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このアンダルシア地方では、ちょうど百年前、つまりキリスト生誕より一四六三年が経過した時より、天使が天から落ちてくるようになった。そのことに関して、当地に住まう司祭であるこのアンブロシウスが簡単な報告を帝都に対して書き送り奉るものである。
百年前、最初に落ちてきた天使は、幼児が遊ぶ人形よりも小さく、甲虫と戦っても負けそうなほどの大きさだったという。天使はすでに死んでいたので、それを拾った人間は家の庭に墓を作り、教会の神父を呼んで追悼のミサを上げ、恭しく、衷心から天使を埋葬した。そのように教会の記録には書かれている。
一年が経ち、五年が経ち、十年近くが経って、人々は落ちてきた小さな小さな天使のことなど忘れてしまった。
十年目になって、また新しく天使が空から落ちてきた。今度の天使は、最初の天使よりも一回りほど大きかった。それでもその大きさ人形ほどでしかなかった。その天使はパン屋の屋根を突き破り、練った大きなパン生地の中に墜落した。パン屋の店主は何も知らずに、そのままパン生地を捏ねて、オーブンに入れて焼いてしまった。そういうわけで、この天使も死んでしまった……尤も、天使が落ちてきた時にはすでに死んでいたのか、あるいは落ちた瞬間に死んでいたのか、またはパン生地がふっくらと焼き上がる時に死んだのか、そのいずれであるのかは誰にも分からなかった。
また一年が経った。パンになった天使の話はだんだん人々の記憶から薄れていった。五年が経ち、十年が経とうとしていた。人々は天使のことなど忘れていた。
最初の天使が落ちてきてから二十年後に、また天使が空から降ってきた。今度の天使は猫ほどの大きさがあって、落ちてきた時にはまだ生きていた。それは街の裏路地に落ちてきた。そのように、そこに住んでいた浮浪者は言ったという。だが、場所が悪かった。そこは野犬の群れのねぐらだった。天使は武装をしており、鎧兜に身を包み、手には剣と盾とを持っていたが、多勢に無勢で、最終的には野犬によってバラバラにされてしまった。浮浪者が人を呼び、呼ばれた人はさらに人を呼び、そうして大勢が集まって、人々は野犬の群れを追い払った。しかし、その場に残されていたのは、野犬の鋭い牙にやって食いちぎられた天使の頭部だけだった。今でもその頭部は、ある高名な医者の診察室で、ホルマリン漬けになって保存されている。
また一年が経った。勇敢だったが不幸だった小さな天使の話など、みんな忘れつつあった。五年が経ち、十年が経とうとしていた。
三十年目に降ってきたのは、五歳の少年ほどの天使だった。天使は老婦人の住んでいる集合住宅の二階のテラスに引っかかっていた。少年のような天使は、その頭脳も精神も少年そのもののようで、老婦人によく懐いた。老婦人もよく天使を愛し、世話をし、慈しみの心を持って育てた。しかし老婦人はその時すでに病魔に蝕まれていた。天使が落ちてきて、老婦人と一緒に暮らし始めてから二年目に、老婦人は自宅で息を引き取った。天使は泣き崩れた。天使は泣き、泣き続け、さらに泣きくれて、ついにはその全身が涙と化して、最後はただの水溜まりになってしまった。人々は水たまりになった涙を小瓶に掬って保存をした。今でも街の角の化粧品店には、天使の涙が収められた小瓶がショーウィンドウに飾られている。
老婦人と水溜まりになった少年の天使の話も、次第に忘れられた。五年が経ち、七年が経ち、十年が経過しようとしていた。
四十年目に降ってきたのは、大人の体格をした天使だった。落下してきた天使は市庁舎の天井を突き破ったが、無傷で、意気軒高としていた。天使は人を集めると、今日から自分がこの街の支配者であると宣言した。誰もが天使の言葉に従った。なぜなら天使は天使であるからこそ人間はその言葉に従わねばならぬと当時の人々はみんな信じていたからである。天使は法律を整備し、上下水道を整備し、貧民を救済するための制度を生み出し、病院と学校を建てた。天使はまた、軍隊を編成した。天使は自らの政治的な成果を、他の地方にも及ぼそうとした。しかし、その天使が落ちてきてから五年後に、天使は戦場で決定的な敗北を喫した。敗れた天使は敵の将によって首を刎ねられた。その前に、天使は生きたまま翼を引きちぎられたとも言われている。
非業の死を遂げた天使の話は、なかなか人々の記憶から消えなかった。天使が落ちてきてから六年が経ち、七年が起ち、十年が経とうとしていた。人々は、次はどんな天使が落ちてくるのだろうかと噂しあった。
五十年目に、また天使が落ちてきた。その天使は大きく、魁偉な体格だった。身の丈は三メートルを超え、体重は五百キロ近くあった。その天使は太り過ぎで、落下の際に押し潰した川沿いの水車小屋の中から動く方ができなかった。天使は常に苦しそうな呼吸をしていた。水車小屋の持ち主はその地方の領主であったから、領主は自分の財産を毀損した天使に懲罰を加えるべく軍隊を派遣した。軍隊は放列を敷き、一斉砲撃を浴びせた。その後に歩兵と騎兵の群れが天使に殺到した。しかし、それでも、天使には傷一つついていなかった。天使は相変わらず、ふうふうという苦しそうな呼吸を繰り返すだけだった。攻撃は何度も繰り返されたが、すべて同じ結果に終わった。やがて領主は諦め、軍隊を引き上げさせた。ちょうど長雨の来るシーズンだった。そして、まさにその長雨が、その天使の最期をもたらしたのだった。長雨によって増水した川が氾濫し、天使は水車小屋の残骸と共に濁流へ飲み込まれていった。その後の行方は杳として知れない。
大き過ぎて太り過ぎていた天使の話も、次第に人々は忘れていった。五年が経ち、九年が経とうとしていた。人々は噂をしあった。次はどんな天使が来るのか? いや、人々の噂の焦点はそこではなかった。次はどんな大きさの天使が来るのか? それが重要だった。もし、次に来る天使が、あの水車小屋の天使よりも大きいのだとしたら……? 人々は恐れと共にそれを待った。
予想通り、六十年目にも天使が降ってきた。人々が予想した通り、天使はさらに大きくなっていた。天使は十五メートルの大きさだった。全身を黄金の鎧で覆っており、手には剣と盾を持っていた。天使は怒り狂っていた。目は血走り、歯は砕けんばかりに食いしばられていた。それは人間に対する憎悪のためにそうなっていたのだった。天使は人間を殺戮し始めた。一度その天使に見つかってから逃れられた人間は一人もいなかった。天使はその手に持つ剣で、人間の首を刎ねて回った。都市に来ると、天使は建物を見下ろしながら街路を闊歩し、手当たり次第に殺戮を楽しんだ。やがて天使は満足したのか、あるいはこのように小さな都市で暴れることに飽きたのか、その翼を羽ばたかせて何処へともなく飛び去っていった。その行方はやはり不明である。新大陸の方へ飛んでいったという者もいれば、インドの方へ飛んでいったという者もあり、いや、トルコの方へ飛んでいったという者もいる。しかし、いずれの地方からは何の報告も寄せられていない。
生き残った人間たちは、いまや恐怖に駆られて口々に噂をしあった。次に来る天使はいったいどれほどの大きさになるのだろうか? 今回の天使は十五メートルだった。それなら次は三十メートルか、それとも五十メートルか……?
七十年目に降ってきた天使は、それよりも大きかった。身の丈は百メートルを超えていた。その大きさが災いして、天使は落下の衝撃に耐えることができなかった。あまりにも自重が重すぎたのである。落下した天使はその地方に大きな地震を起こした。大地は陥没し、灌漑は破壊された。都市は崩壊し、無数の人々が崩れ落ちた建物によって押し潰された。落下の衝撃で天使の死体はバラバラになった。手足が千切れ飛び、頭部も衝撃で胴体から離れた。天使の死体はすぐに腐敗し、大量の虫と蝿と蛆が群がり寄った。虫たちが病気を運び、人々は次々と病に倒れた。病床にない人間は、天使の死体をノコギリで切り出し、ブロック状になった腐肉を手押し車に乗せて、深く掘った穴へと投げ落とすと、上から火をつけて焼却をする作業を延々と続けた。死体が完全に片付け終わるのに、丸三年が費やされた。焼却に使う燃料代だけで一つの艦隊分の金貨が消えた。
八十年目が迫った。この地方に残っている人々はほとんどいなかった。ほぼすべての人間が他の地方へと逃げ出していた。次に落ちてくる天使は、間違いなく今回の天使よりも大きいだろう。そして、その天使は、今回よりもはるかに大きな被害をもたらすであろう。人々はそのように確信したからこそ逃げ出したのだった。残っている人間は、特に信仰心の篤い者たちと、特に不信心の者たちだけだった。
八十年目が来た。しかし、天使は落ちて来なかった。人々はあっけにとられ、それでもまだ疑っていた。一年が経ち、二年が経ち、やがて人々がまた地方へ戻ってきた。三年が経った。都市は復興し、田畑はまた収穫をもたらすようになっていた。四年が経ち、五年が経ち、人々はさらに数を増やした。六年が経ち、七年目も八年目も同じように過ぎた。アンダルシア地方は、今や空前の繁栄を見せていた。九年目が過ぎた。十年目はすぐそこまできていた。しかし人々は、もう天使が降ってくることはあるまいと思っていた。
九十年目が来た。その日の朝、教会の屋根に有翼の人間が降り立っているのを見た人々は、脆くもパニックに陥った。その天使は、常に光り輝いていた。太陽よりも明るく、それでいて月よりも優しい光を天使は発していた。天使は、凛として透き通った声で、人々に話しかけた。記録によると、その言葉は以下の通りである。
「私は諸君ら人の子らに警告を与えるためにここへ来た。今より十年後に、この地方一帯を覆い尽くしてなお余るほどの大きさな天使が天より落ちてくるであろう。それは神に叛逆し、神と戦い、敗れたがゆえに地上に落ちてくるのである。諸君らはそれから逃れる術はない。その天使が落下すれば、この地方は一撃のうちに壊滅し、もはや再起不能となるであろう。ただ、私がこれかれ述べる対策をとるのならば、諸君らは生をながらえるであろう……私に従うのだ。私こそが諸君ら人間の希望にして光なのであるから」
その天使は人々に穴を掘るように命じた。地の底に到達するほどに深い穴を掘り、坑道を作り、それらをつなげ合わせ、より深いところに空間を作り、その中に町を作り、畑を作る方法を、天使は教えた。人々はさっそくその仕事にとりかかった。確かに、地下深くへ逃れれば、地表の災厄から逃れられるであろう。超巨大な天使が降ってくるまでに、あと十年ほどしかなかった。人々は異常なまでの熱心と献身と勤勉を示して、地下に新たな街を作っていった。
そして、この報告書を書いている今日この日こそが明日に百年目、つまりキリスト生誕より一五六三年が経過する日を控えている、まさにその日なのである。地下の街「新アンダルシア」は完成した。地下の畑には、地下の空に降臨したあの希望にして光の天使が生命と光のエネルギーを注いでいる。それゆえ、作物の収穫は順調で、食糧不足を懸念する必要は全くない。家畜たちの生育も順調である。
我々は充分に備えた。この上になお何が起こるにしても、我々は必ずやそれを乗り越えることができるであろう。我々にはあの希望にして光の天使、ルシファー様がおられるのだから。
天使ルシファー様に関しては、明日を乗り越えた後にまた別途報告書を作成する予定である。かの天使は実に偉大で、我々アンダルシアの民に多大なる恩恵を施した。
それでもなお、我々にとってなすすべがなくなるならば……ルシファー様によるお力添えも及ばぬその時は……この地下世界より、我々は叫ぶであろう。「神よ、我々を守りたまえ!」と。
主なる神、全知全能にして万物の造り主である父なる神が天の国の栄光を地にも顕さんことを。
皇帝陛下万歳。
司教アンブロシウス謹んでこれを記す。
(「アンダルシア地方の天使に関する簡潔な報告」おわり)
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