天の国へ

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「あの子が天使さまに連れて行かれたんだって」 「いいな」 「次は僕だといいな」 「違うよ、きっと僕だよ」 「天使さまは見ていてくれるものね」  さわさわと噂話が流れていく。ここは教会、聖歌隊の少年少女が寝起きをする建物。今日もまた一人消えたらしい。  ここの聖歌隊は教会併設の孤児院から声のいい少年少女が集められ指導を受けている。孤児院では同じ部屋に何人も詰め込まれるから、個室を与えられてそこで寝起きできる聖歌隊は孤児院の子どもたちみんなに憧れられている。けれど大きくなっても教会に残る人は少ないから教会は定期的に孤児院から子どもたちを補充する。あんなにいい環境を手放すほど外はいいものなのだと思い、孤児院のみんなは大きくなるのを心待ちにしている。  『天使さま』の噂話は数か月前から流れている。そもそも脱走なのか何なのか、子どもがいなくなることはたまにあった。それなのにここ最近はそれが増えてきて、その原因は天使さまということになっている。天使さまは天の国に連れて行ってくれるらしい。それ以外の話はないのになぜかこの噂話はずっと語られている。まあそんな噂話が蔓延るのもあれのせいだろうけれど。  教会は聖歌隊を利用して金を稼いでいる。その金はほとんどが国への上納金となっているけれど、一部は孤児院運営のために使われている。それがなくなるだけでも孤児院から人を減らさなければならなくなるだろう。それがわかっているから誰も文句を言わないし、誰も外の人に訴えようとしない。聖歌隊を使って稼ぐ方法はいろいろある。順当に歌を聞かせて募金を募るものから、金持ちの家に子どもを預けて好きにさせる代わりに金を得るという国に知られれば流石に何らかの罰があるだろうことまで。金持ちの家で何をされるのかは知らない。ただ、聖歌隊の一員として歌えるような状態で返すことという条件だけはあるらしい。痛いこと、苦しいことがあったと言う子もいれば、何も言わない子もいる。帰ってきたほとんどの子が何かに怯えて暮らすようになる。その様子がない子は何も覚えていないようにふるまっている。もしかしたらあまりの恐怖に本当に記憶をなくしているのかもしれないけれど、どうせ何度も行かされるのだから同じ恐怖を何度も新しく味わうことになってしまうことを考えると覚えているのとどちらがマシかはわからないだろう。  それでもやはり子どもたちの歌声は美しく、教会に来る人達は皆感動したように帰っていく。聖歌隊としての質はいいし、何も知らない人からすれば子どもたちは天使のようだろう。  子どもたちはみんな天使さまを待っている。天の国に行くことを待ち望んでいる。大きくなるのを待ってここから出るなどという気の長いことはできない。ただ今ここから連れ出されたいと思っている。  そういえばこの聖歌隊の中で昔に自殺した子がいたらしい。その死体を教会の大人たちは皆見たけれど、立ち入り禁止にしてどうするか話し合っている間に消えてしまったらしい。  きっと私たちの仲間が連れて行ってしまったのだろう。もしかしたらそれが最初だったのかもしれない。  今では仲間もかなり増えている。ほとんどの子があそこにいたときの負の記憶を消してもらってようやくこの仕事をやっている。記憶を消すことをほとんどの子が希望すると言ってもいい。まあ仕方ないだろう。あそこで経験したことはこの仕事には基本的に役に立たないのだから。ただ嫌なことがあったということだけはわかる。だからあの子たちを連れて行くのだ。私たちにはもう記憶のないあの酷い環境から連れ出して、こちらは、天の国はこんなに幸福なのだと知ってもらうために。そうして私たちの仲間となってくれるように。 「天の国に行けますよう」  あの子たちの言葉にしない祈りを聞き届けて。
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