まわる空まわる命

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 ふわっふわの羽毛! これがないと話にならない。  僕たちは夜に生まれた。寒い冬、氷雪と闇に閉ざされた夜に。その頃はまだ誰もふわふわじゃなかったけれど、南極の極寒の中を生き残るため、僕たちはみんなで黒と灰色の羽毛を生やした。  僕の卵を産んでくれたママも、卵を温めてくれたパパも、僕がかえりたてのころは代わる代わる餌を運んでくれていたけど、今は二人とも一緒に海に出るようになった。親たちがいっせいに魚をとりに出かけている間、何日も庇護を失うことになる僕たち雛は、身を寄せ合うことで耐える。みんなでくっつき合ってまんまるい群れを作り、寒さをしのぐ。周りのお兄さんやお姉さんの力を借りて、天敵から身を守る。  みんなと同じく夜に生まれた僕だけど、夜のことは好きじゃない。地平線までどこもかしこも見渡す限りまっしろの大地に立ち、凍てついた風がごうごうと吹き荒ぶのを聞きながら、まっくろな遠い空で星々がゆっくり巡行するのを見上げていると、僕は無性にこわくなって震えてしまう。この世界はあまりにも大きくて過酷なのに、僕たちはなんてちっぽけで無力なのだろう。  こわい、こわい、奈落の底にどこまでも落ちていくような気持ちになる。今にも、命を奪われてしまいそうな感覚。僕は、こんなところでは、哀しすぎて息もできない。  群れのまんなかにいる時だけ、僕はほんの少し安心できた。ぎゅうぎゅうで、温かで、ふわふわに囲まれていて、安全だ。まるで卵の中にいるみたいに──ペンギンの卵が必ず安全という意味では決してないけれど。それに、いつもまんなかにいられるわけじゃない。みんなの体温で温まった雛は、やがて群れの一番外側で吹雪を受けてみんなを守る当番になる。そうやって群れは少しずつ動いている。  まわる、まわる、僕たちはたえずゆるやかにまわりながら、まわる空を見て、まわる日々を過ごす。何日も何日も。  今日も短い昼が終わって、また夜がやってくる。うんと長くておそろしい夜が。僕は半ば眠るようにして、群れのうごめきに身を任せていた。  でも、遥かかなたに声を聞いた。大人のコウテイペンギンの声。  待ちに待った瞬間だった。とうとう親たちが帰ってきたのだ!  僕たちはにわかに活気づいて、ぴいぴいとかしましく鳴き出した。鳴き声を頼りに、僕たちは両親と再会することができる。いくつもいくつも、数えきれないくらい声はあるのに、僕たちは不思議と、親の声をはっきり明確に聞き分けられる。親も、自分の雛の声がちゃんと分かっていて、迷わずまっすぐに会いにきてくれる。  大人たちの鳴き声の中に、ママの声を聞き取った僕は、一段と声高にぴいぴい鳴きながら、懸命に群れからまろびでた。急激にお腹が空いてくる。早く、早くママに会いたい。お留守番中、仲間はたくさんいたけれど、僕はまるでひとりでいたみたいに寂しかった。  ママ! 僕はここだよ! 餌をちょうだい! 僕、ずっと待っていたんだ。 「知っていますよ」  ママは言った。 「ママ! ママ! 会いたかった! やっと会えた!」 「そうね、生きてあなたとまた会えて本当によかった。偉いわ、あなたはこんなに甘えん坊さんなのに、みんなと一緒によく頑張ったのね」 「僕、お腹が空いた!」 「はいはい」  僕は元気いっぱいに口を開けて、ママがお腹にためて運んできた餌を、無事にもらうことができた。喉をしきりに動かして、僕は空きっ腹に餌を流し込んだ。体中がじんわりと温まるのを感じる。 「ママ! もっと!」 「はいはい」  僕はくりかえし餌をねだり、ママは何度でも餌をくれた。やがて僕はママが今回とってきてくれた分をすっかり食べてしまった。まだまだ全然足りない。もっと食べたい。たくさん食べたい。このごろ僕はむくむくと大きくなっていて、前よりずっとお腹が減るようになったのだ。また長い間、なにも食べずに待つのだから、今だけはめいっぱいお腹に入れておきたかった。  僕はぐるりと辺りに耳を澄まして、大人たちの声を聞いた。でも、探している声は、一向に聞こえてこない。 「パパは? パパはいないの?」 「分からない。私も見ていないのよ」 「パパ! パパ! どこなの? 早くきて! パパ!」  僕は鳴いて呼ばわったけれど、パパの返事はない。  いつまでたっても。  結局、大人たちがまた海に出る時になっても、パパは現れなかった。 「最初に海に入る前には、確かにいたのよ。でもそこから一度も会っていないの」  ママは悲痛な声で言った。 「パパは死んじゃったのね」  海には天敵がたくさんいるから、たぶんパパは食べられてしまったのだ。僕は、非常にショックを受けた。 「パパ! パパ! パパ! わああん! 僕、お腹が空いたよう!」 「ごめんなさい、我慢してね。パパの分まで、ママがいっぱいとってくるからね。それまで、頑張って生き延びるのよ。約束よ」 「ママ! ママ! 死なないで!」 「ママは死にません。信じて、良い子で待っていなさい。負けちゃだめよ、寒くたって、ひもじくたって、寂しくたって!」 「ママ! ママァ!」  ママは他の大人たちと一緒に、一心不乱に、よちよちと歩いていってしまった。取り残された僕は、苛酷な運命を前にして、呆然と立ち尽くしていた。でも、時は待ってくれない。体はみるみる冷えていく。雛たちはもうまんまるの群れを作りはじめていたので、あわてて僕も参加した。ぎゅうぎゅうと互いを押し合いながら、僕はまだ、信じられないという気持ちにとらわれていた。  僕は死んでしまうのかもしれない。ああ、どうしよう!  みんなは、ふたりの親から餌をもらって、ようやく生きていけるのに、僕は半分しかもらえない。たったこれっぽっちの食糧で、次にママが帰ってくるまでの長い時間、地吹雪の中を耐え忍ばなくてはならない。こんな寒くて痛くて厳しい世界で!  これまでだって僕たちは、痩せて凍えて動かなくなった仲間を、何度も何度も見送ってきた。次に体温をなくすのが僕ではないと、どうして言えるだろう。  僕は絶望的な気分で空を仰いだ。煌めく星々が無数に降り注いでいるまっくろい空を。  僕がこんなにも打ちひしがれて、死の淵に立っているというのに、世界はそんなことは全くお構いなしに、いつも通りゆっくりと回っている。  なんて非情で無慈悲な世界に、僕は生まれてきてしまったのだろう。めまいがするほど生きがたく、それ故にどこまでも美しい世界に。  どんどんとふくらんでゆく孤独感と、それを凌駕してあまりある危機感で、僕はあっという間に押しつぶされてしまいそうになる。  どんなに仲間に守ってもらっていても、どんなにふわふわの羽毛を生やしていても、やっぱり僕は悲嘆に暮れてしまうのだ。  だって、この凍りついた大地のどこにも、食べるものなんてない。僕はまだかよわい雛だから、歩いて海まで辿り着くこともできなければ、冷え切った海にもぐって泳ぎまわることもできない。  僕みたいに小さな命は、おそいくる不安にさいなまれながらも、狂おしいほどに願うことしか許されてはいないのだ。  パパ! パパ! 帰ってきて!  ママ! ママ! 死なないで!  こんなところに僕を置いていかないで! ひとりにしないで! 僕を助けて! 寒いよう、お腹が空いたよう!  本当は声を限りに鳴きわめきたかったけれど、このまま力尽きて死んでしまわないためには、群れの中でまわりつづけて体を温める以外の行動なんかできない。  そうしてがまんしていれば、その上で運がよければ、もしかしたら辛うじて、生き残れるかもしれない。そんなあまりにもかすかな希望にすがり、僕はぐっと辛抱して、空を見つめ続ける。  数多の星影をまといながら、ただ僕たちを取り囲んでまわるだけの、暗くて冷たい果てなき夜空を。  おわり
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