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「……嫌だったら殴ってくれ」
「……っ!」
意図の掴めないことばと、視界に磨かれた革靴が入りこんできたのは同時だった。ふわっと身体を抱きしめられ、スーツの生地に頬が当たる。
嬉しい。けど、どうして。
しばらく宙をさまよっていた両手は、善の背中に落ち着いた。
「泣かないで、たかやくん」
「……ごめんっ。おれ……善にひどいことした……」
気づけば頬を熱いものが伝っている。滑らかでしっとりとした質感の布地に、水滴が吸い込まれてゆく。せきを切ったように、涙と、謝罪の言葉がこぼれ出てくる。
軽い気持ちで嘘をついたこと。弁護士と付き合うのが面白そうだと思ったこと。ご飯を奢ってもらえればラッキーだと思っていたこと。
懺悔するように吐き出せば、「うん……うん」と善は優しい相槌で受け止めてくれる。ひどいことを言っているのに……抱きしめた腕が解かれることはなかった。
激情も時間が経つほどに落ち着いて、息も整ってきた鷹哉がスン、と鼻をすすったときだった。
「たぁくん、退勤つけておいたから。これ、荷物」
「!!!」
背後からマスターの声が聞こえ、慌てて振り返る。鷹哉の荷物を差し出すマスターと、ドアの隙間からこちらを覗く常連さんの顔、顔、顔。
目と鼻を真っ赤にした鷹哉は「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、善の胸に顔を隠した。
スーツをぐしゃぐしゃにされながらも、頬がゆるんで仕方ない善が荷物を受け取る。
「さ、行こうか」
鷹哉ははじめて素直に、こくっと頷いた。
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