プロローグ:立柱

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プロローグ:立柱

 山桜の花が散る丘の上に、村人達が集まっていた。彼らの視線の先は、綱で結ばれた方形の柱である。 「ソオレ! ソオレ!」  白衣(びゃくえ)の男たちが、太鼓の音に合わせて声を張り、一斉に綱を引くと、柱はゆっくりと礎石の上で起き上がっていく。やがて、ズシリと重い音とともに、柱は晴天を衝かんとばかりに真っ直ぐそびえ立った。  それを見守っていた村人は、わあっと歓声をあげ、皆一同に拍手を送った。  この日、相楽(さがらか)(京都府木津川市)の地で初めて、仏塔が建てられたのである。  簡素ではあるものの、美しく、力強い塔であった。  時は推古(すいこ)天皇の御世(みよ)。天皇の(みことのり)により、臣下の者達は自らの氏族(うじぞく)の威信にかけ、競って寺を建てだした。  この時代、大半の民衆はまだ仏教というものに馴染みがなかったが、此処、相楽では少し事情が違っていた。  というのも、この地には朝鮮半島北部の国・高句麗(こうくり)から渡来した人々が集住しており、彼らの中には、公然と仏を拝める日を心待ちにしていた者も、少なくなかったのである。  しかし、後に〈高麗寺(こまでら)〉と呼ばれるこの寺に、金堂や講堂といった伽藍(がらん)はまだない。  それには、あと半世紀ばかり待たなければならない。  今はまだ、南には弥勒菩薩(みろくぼさつ)を祀る堀立の小堂、東には心柱(しんちゅう)だけの仏塔、北の離れには僧房(そうぼう)と思しき居館が、輪韓河(わからかわ)(木津川)を望む北岸の台地にひっそりと佇むだけである。  この時、本格的な伽藍を有する寺は、皇族か、大臣(おおおみ)蘇我馬子(そがのうまこ)のそれ位で、多くはこのような草庵に過ぎなかった。  塔の前で、高句麗から来た僧が法要を営む。  後ろに列立するのは、この寺の願主で、村落の首長・狛国協(こまのくにやす)と彼の一族。  その隅で、白髭を蓄えた老人が一人、手を合わせいた。  老人は狛氏の者ではない。  名を、東漢坂上子麻呂(やまとのあやのさかのうえのこまろ)といった。 『待たせてすまなかったな、(こま)よ。 これでやっと、お前を供養できる……』  この寺は、狛氏の氏寺ではあるが、同時に、子麻呂の義弟・駒の供養も兼ねていた。  かつて、とある理由から、墓を造ることも許されなかった駒を供養するために、子麻呂は奔走した。  そこで手を差し伸べたのが、元より交流のあった狛氏の長・国協だった。  自分たちの寺が出来た暁には、縁のある駒も共に供養すると。  そのため、狛氏ではない子麻呂にとってもこの寺は悲願となり、建立に尽力した。  しかし、それだけではない。  この寺の建立に関わった者が皆、四十三年前、高句麗使節のある一件に関与した者たちであった。  そもそも、この寺が建っている場所自体、かつて高句麗使節が滞在した『高楲館(こまいのむろつみ)』、その跡地なのである。  やがて僧が読経を終え、参列者に向き直ると、国協と子麻呂は前に進みでて、深々と一礼した。 「立柱(りっちゅう)のお勤め、ありがとうございます。 曇徴(どんちょう)様」 「いやいや、お顔を上げてくだされ、子麻呂様。 このような縁に感謝を申し上げるのは、拙僧のほうです」  子麻呂の低い物腰に、曇徴は少し戸惑いを覚えた。 「この地は画工(えたくみ)が多いと聞いておりましたので、てっきり、いつものように顔料や紙墨の技法を教えるために呼ばれたのかと。 よもや、祖国の遣使が訪れた場所に寺を建てる大役を仰せつかるとは思いませなんだ」   曇徴は照れくさそうに言いながら、子麻呂に会釈をした。  彼の気負わず、はきはきとした姿勢が、子麻呂には心地よく、自然と口角も緩くなった。 「勿体のう御言葉です。 此処は、吾と義弟(おとうと)の思い出の場所であります故」 「そう、それです。 初めて聞いた時は驚きました」  曇徴は深い相槌を打った。 「あの一件は、拙僧も噂には聞いております。 しかし、大使の高磐(コパン)様が倭国に帰化し、子麻呂様と兄弟の契りを交わしていたとは……」 「ええ。 東漢坂上駒(やまとのあやのさかのうえのこま)。 それが、この地での彼の名です」  そう言うと、子麻呂は塔に目をやり、儚いため息とともに言葉をこぼした。 「あれは出会った時から、一人で無茶をする男でした……」  物憂げな子麻呂に、曇徴はただならぬ事情を察した。  だが同時に、自分が風聞でしか知らない件について、本当は此処で何があったのかを、子麻呂自身から聞かなければならぬとも考えた。  曇徴は意を決し、子麻呂の瞳をまっすぐに捉えながら、奥ゆかしく尋ねた。 「……良ければ、その件、詳しく聞かせて願えませぬか。 この寺に関わる者として、同郷の者としても、本当の事を知らずに過ごすことはできませぬ。 それに、拙僧が聞き手であれば、子麻呂様の御心も、少しは軽くなりましょう」  曇徴の情け深い言葉に、子麻呂は目頭が熱くなるのを、唇を噛み締め堪えた。 「(かたじけ)ない。 老人の思い出話ですが、聞いていただけますか」 「ええ、ええ。 勿論です」 「では、あの館で、夕餉でも食べながらお話しましょう」  子麻呂は、曇徴を北の居館へと招いた。  館の茅葺き屋根は、砂金を散らしたように陽光を照り返しいる。  ふと西を見ると、沈む夕日が、生駒の山際を黄金色になぞっていた。
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