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 闇が過去を連れて来る。だから夜は嫌いだ。覚えていないけれど、魂の記憶(トラウマ)は簡単には塗りつぶせないのだろう。  美しい夕暮れが変わり、星空すら見えない闇夜が出来上がると決まって声が羽虫の音共にやってくる。 『可哀想に』『──に嫌われた──』『あの方がいなければ──』『邪魔なのよね』『お前さえいなければ私が──だったのに』『──に覚えがめでたいからって』『あの方を解放してほしいわ』  洪水のように声が私を攻撃してくる。何か大事なものを持って逃げていたのに、腕の中のある宝物だったそれは砂となって光を失う。 『ディアンナ、どうか待っていて欲しい』  ああ、私はきっと待てなかったのだろう。待つよりも先に私のほうが限界だった。  砂は跡形もなく消えて、全てを消し去る。過去は怖いもの。逃げ切らなきゃ、また夜に捕まってしまう──。  *** 「んーー」 「ディアンナ、朝!」 「ぎゃふ!?」  毎朝ふかふかのベッドにダイブして起こしに来るのは、モフモフの羊たちだ。  ここ《最後の楽園》では常に羽根をもった羊妖精がいる。モフモフして最高に抱きつきがいがあるのだけれど、彼ら羊妖精は自分たちで毛を刈ることができない。そのため私たち人間が定期的に毛をカットして、その毛を糸に紡ぐ。  ここは妖精と人が共存する理想郷。巨大な世界樹が特徴的で、水の都のように至る所に水路がある。全員が白い修道服に似た衣を纏い、様々な仕事をしつつ穏やかに暮らしていた。  白い建物と水路と、世界樹。  誰も彼もが毎日を楽しんで、時々季節の節目の儀式や祭で結婚する人たちもいる。ここの理想郷の特徴として、ほとんどの人が、この楽園の外の記憶がないということ。  私もここに来て半年だけれど、昔のことは覚えていない。ただ貴族の娘として生きてきた──と思われる所作や教養が身についているので、なんとなくそう思っている。  同世代の女子とお喋りをして、甘い物を食べる時、嬉しくなるのは、きっと過去にできなかったことだったのだろう。カフェに行くとチョコレート系のスイーツを選んでしまうのも、微かに覚えていることなのかもしれない。  今の私にとっては好みだと思って、深く考えていなかった。 「やっと見つけた。──会いたかったよ、アンジェリカ」 「え……私?」  ふいに旅人の恰好をした男性が道端で女性に声をかけていた。旅人の男性は長旅だったのかボロボロの外套を羽織っていて、一目でこの楽園の住民ではないと分かる。《最後の楽園》は招かれた者か、入国申請が通った者しか入れない──らしい。 「まあ、珍しいわね」 「リジー」  三つ編みの眼鏡をかけた少女は物珍しそうに呟いた。 「あ、ディアンナは見るのは、初めてだっけ。たまに居るのよね。元いた国からここを目指して辿り着く旅人がね。国のせいで悪役になったとか、政治絡みで冤罪を吹っかけられたとかで逃げ場がなくなった子とかもいるって聞くけど、恋人が迎えに来たってこともあるのよ」 「恋人」 「あるいは元婚約者、元夫、片思いしていたとか。事情は様々なのだけれど、でもこの最果ての道まで行こうと思う気持ちと熱意があるって、ロマンティックよね」 「そう……?」 「そうよ。過去に私利私欲のために連れ戻そうとした王侯貴族もいたらしいけれど、そういったのは中に入れないようになっているの」 「へえ」  リジーの言葉を聞きながらも、アンジェリカと呼ばれた少女と旅人から目が離せなかった。そこまでして会いたいと思っている人がいる。少しだけ胸がざわついたけれど、すぐに治まった。  私には関係ない。友人もいるし、モフモフに囲まれて仕事環境も最高。  時間がある時は、図書館で読みたかった本を借りて、美味しそうなスイーツのお店でお茶を楽しむ。いつも窓際を選び、窓の外を眺めるだけで充分なのだ。
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