0人が本棚に入れています
本棚に追加
『東京タワーに昇ってみたい』
田舎育ちの志津里にとっての夢を、私は叶えてあげたかった。
だから、とある連休にM市の遠縁に幼い豊作を預けてから、2人で
東京へと旅行に出かけた。
豊作は、当時は乗り物酔いが激しくて、東京へ行くのを嫌がったのだ。
それが......。
豊作だけは『身体の損傷なく生きれる』という幸運にもなった。
雨のなか、東京の某所でふと立ち寄った飲食店で、店内が突如として
半壊したからだ。
全壊するような威力では無かったが、爆音が響き、物が砕け散り、
壁の一部が崩れ、誰もが心身共に消えない傷を抱えることになった。
それは警察が調べ尽くしても原因が不明であり、事実上の未解決事件に
なってしまったことも......含めてだ。
この事件における一般死亡者は3名、店の経営夫婦、当時36歳の映画監督。
重軽傷者は16名。
『重軽傷者』と、ひとまとめに報道されたが、それは様々だった。
そんな中で、報道記者の中には遠慮のない者もいた。
事件と怪我と後遺症で辛いのに、更に言葉や態度でも傷つけられる......。
しかし御坂直道氏だけは違っていた。
当時は20代の若者であり駆け出しの記者ではあったが、だからといって
緩さがあったわけではない。
「悔しいでしょう、やりきれないでしょう、それを吐き出して欲しい。
そして語りたくないことは無理に聞きません」
そう言ってくれたのだ。
結果的には彼の取材は世に出なかった。
記者としての掘り下げのツメが甘いのだと。
「僕には才能は無いようです」
後に電話で話したときに彼は取材がカタチとして実らなかったことを
丁寧に詫びてきた。
君には、この仕事をするには優しすぎるのですよ。
その言葉を私は呑み込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!