果実

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 三日ほど前のこと。突然西川が訪ねて来た。  学生時代からの付き合いだが、昔から自然と触れ合うことが好きな男で、暫く会社勤めをしてある程度の金をためると、とある県の寂しい山間部に引っ込んでしまった。そこそこの土地を買って、色んな農作物を育てながら、専業農家のような自給自足のような、という生活を送っていると聞いたのも、もう十年くらい前の話だ。滅多に都会に出てこない彼が、久しぶりにお前の顔を見たくなったと言って連絡してきたものだから、こちらも何やら懐かしくなって、自宅に招き入れた。  久しぶりに会う西川は、肉体的には以前より痩せたように見えたが、とてもアクティブな雰囲気がした。血色も良く、よく笑い、以前よりも饒舌になったように思えた。自分がいかに健康的で、元気に、そして幸福に生きているかを滔々と語り、お前ももっと自然と触れ合った方がいいぞと強く勧めてきた。 「それはそうと、今日は手土産を持ってきたんだ」  ひとしきり近況報告を終えると、やおらバッグの中から白いビニール袋を取り出した。 「まあ、一口食べてみてくれ。味は絶対保証する」  そう言いながら彼がビニールから取り出して見せたのは、初めて見るものだった。ぱっと見た印象は、何か葡萄のような植物の実という感じだった。それが大体10個くらい固まっている。表面は透明感のある、鮮やかな赤色をしているのだが、真っ赤な球状のものがぼこぼこと密集している様は、何やら馬鹿でかいイクラかザクロを思わせる外観で、ちょっと薄気味悪いイメージだった。 「……なにこれ?」 「まあ、見るのは初めてだろうな。これは、俺が育てているんだが、ある種の植物の実なんだ。敢えてわかりやすく言うならば、まあ、葡萄の新しい品種みたいなもんかな。山の中で偶然見つけたんだが、素晴らしい発見だった」 「素晴らしい発見?これがか?」 「まずは、四の五の言わずに一つ食べてみな」  私自身、葡萄は嫌いではないし、特に巨峰とか粒の大き目のものは好物だ。初めて見るこれは、妙に真っ赤な表皮が血の色みたいでちょっと抵抗があったが、とりあえず一粒手に取ってみた。ぶよぶよした感触も少し気になったが、思い切って口に入れる。  それは、まさに衝撃だった。  葡萄の新種という先入観があったが、それは全く違うものだった。葡萄だけではなく、他のあらゆる果物、リンゴやミカン、イチゴ等全ての果物の風味を総合したような複雑な味。極限まで磨き上げられたような上品な甘味と、それに絶妙なバランスを取った酸味、そして隠し味のようなほろ苦さまで味わえる、素晴らしいものだった。そして口腔内には、果実というよりは、今を盛りと咲き誇る様々な花のような香りが瞬時に立ち込めた。 「これは、すごい……」 「全部食べていいよ。俺の所にはいくらでもあるから」  西川の言葉を待つまでも無く、私の手と口は休みなく動き、あっという間に残った果実も平らげてしまった。  そんな私の姿を見て、いかにも愉快そうな笑顔を浮かべていた西川は、暫く雑談を交わした後、食事の誘いも断って、あっさりと帰ってしまった。なんでも、これの商品化に絡んで次の訪問先があって忙しいとのことだったが、確かにこんなに美味しいフルーツが本格的に商品化されたら、物凄いヒットになるだろう。  短い時間だったが、彼との再会は妙に印象深いものだった。交わした雑談の中にも、時折り昔の彼からは想像しにくいような表現が顔を出すのも、何となくこいつもそれなりに成長したんだな、とか思っていた。  全ての生き物には生存戦略があるよね。種として生きて、繫栄していくために、合理的な行動を行おうとする。まるで知的な存在が入念に考えたかのように、美しいまでに合理的で抜け目のない戦略が、沢山発見されているだろう。自ら声を発しない植物だってそうさ。まるで優秀な参謀が立案した作戦が粛々と遂行されていくように、緻密かつ大胆な行動を行い、自らをデザインし直して変化していくことさえ成し遂げる。  例えば、葡萄の種は、渋くて固い皮に包まれているよね。固いから食べにくいし、不味い。当然、それは吐き出される。万一間違って呑み込まれても、消化されずに排出される。こうして、中の大事な部分、つまり遺伝子が凝縮された部分は大事に保存され、やがて芽を吹くまで守られる。その代わり周囲は甘くて果汁たっぷりの果肉に包まれて、鳥や獣といった、他の生き物から愛される。それは勿論食べられるということを意味するが、食べられることによって、種は周囲にまき散らされる。繁殖のエリアを増やすことが出来るわけだ。こういうやり方で生存範囲を拡散させていく植物は、昔から沢山あった。  もともと、これも種子のある品種だったらしいんだがね。ある日、まったく偶然に、突然種無しの個体が誕生した。まさに、それも一つの生存戦略の産物だったんだ。種無しになることが生存戦略だなんて、ちょっと変だよね、ふふ。だが、これこそ逆転の発想というわけなんだよ。   この新種は、従来よりも格段に効率的なやり方を編み出したんだ。鳥や獣といった動物よりも、もっともっと高速で長距離を移動し、発達したコミュニケーション技術によってその果実の情報、何よりもその魅力を伝えることにより、それをどんどん地球全体に広めてくれる素晴らしいキャリア。そう、人間に目を付けたんだ。美味しくて、種の無い食べやすい果実は、みんなから愛される。そしてこの品種は、大事な遺伝子を種の固い皮に包んだりしなかった。その代わり、美味しい果肉の中に大量の遺伝子を保存することにしたのさ。  口に入れられた遺伝子は、口内や舌、そして食道の粘膜から瞬時に体内に吸収される。そして胃腸で消化される前に、人間の体内深く潜り込んでしまう。それを食べた者はキャリアになって、色んな所に運んでくれるわけだ。そして、彼らの遺伝子は、人間の体細胞に寄生しながら、増殖を続ける。やがて身体の表面が膨らみ始め、次から次へと沢山の実が生えてくる。人間達は、単に遺伝子を運ぶだけでなく、それを養い、次世代の実を育て、産み出す母体にもなってくれるわけさ。  その遺伝子は、勿論脳内にも浸透する。他の動物よりも大きく発達した人間の脳髄は、彼ら遺伝子の求めるままに最良の生存戦略を常に考え、繁殖の為の最も効率的な方法を創出し、実行に移してくれるわけだ。まさに理想的なパートナーじゃないか……  ふと、目が覚めた。布団の中だった。  私は、いつの間にか、ちゃんと布団に入って眠っていたのだ。  今のこの話、いつ聞いたんだっけ。西川が来た時?あいつ、そんな小難しい話をしていたかなあ?いや、確かあいつは私に手土産をくれた後は、割とすぐに帰ってしまった筈だ。  なんだか、どうも記憶が曖昧な感じだ。今聞いたのは、たった今見ていた夢の中で、あいつがしていた話のような気もする。何だか自分の頭の中にあいつの声が直接聞こえてきたような感じで、ちょっと変な気分だな。  でも、まあ、どうでもいいや。  今はそれよりも、脇腹の辺りの皮膚が、何やらもぞもぞ動き始めているような気がして、妙に落ち着かない。 [了]
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