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翌日、彼はさっそく上層部にパワハラの件を訴えた。
不思議なことに、上層部はそのことをすでに知っており、上司は即日解雇されていた。
(なんだ、私が訴えるまでもなかったな)
男はそう思い、仕事に取り掛かった。
しかし、解雇された上司の言葉が頭からこびりついて離れない。
「お前はもっと人間的になるべきだ」
その言葉が、どうしても忘れられなかった。
後任の上司はすぐにやってきた。
今までの上司と違い、やけに冷たそうな目をしている。
いや、実際冷たかった。
「いいか。お前は私の言う事だけを聞いていればいい。余計なことは一切考えるな」
冷たい口調でそう言い放つと、膨大な仕事量を男に振ってきた。
並みの人間なら悲鳴を上げそうな量ではあったが、男は「上司の命令なのだから」と不満のひとつも漏らすことなく淡々とそれをこなした。
しかし、男が優秀すぎたのが災いした。次々と仕事をこなす彼に対して、上司は日増しに作業量を増やしていった。
「それが終わったら次はこれだ。いいか、余計なことは一切考えるなよ」
男は上司の命令に背くことなく、言われるがままの毎日を送って行った。
それが数ヶ月も続くと、男はふと思うようになった。
(これは自分のやるべき仕事なのだろうか。上司に言われるがままの毎日で。これで仕事をしたと本当に言えるのだろうか)
大量に積み重なった書類の山に囲まれながら、男の中に疑問が生じた。
(来る日も来る日も、同じことの繰り返し。これではまるで感情のないロボットではないか)
頭の中に前任の上司の言葉が浮かぶ。
「お前はもっと人間的になるべきだ」
なぜか、その言葉が胸に突き刺さる。
もしかしたらあれは、本気で部下を育成しようとした彼の本心だったのではないだろうか。
男の価値をもっと伸ばそうと思った本当の言葉だったのではないだろうか。
(人間的……)
このとき初めて、男はかつての上司の思いがわかった気がした。
「おい、聞いてるのか。次はこれだ。時間内に終わらせろ」
「………」
上司の声に、男は我に返った。
目の前には、椅子にふんぞり返って命令をくだすガマガエルのような顔をした上司がいる。
横柄な態度が鼻に突くその上司の命令に、男は初めて無反応を示した。
「おい、返事はどうした!」
「………」
「聞こえないのか、返事はどうしたと聞いている!」
「………」
「おい! おい!!」
上司の怒鳴り声に、男はやっと口を開いた。
「私は“おい”という名前ではありません。きちんとした名前を持っています。部下を名前で呼べないようなあなたは上司の器ではありません。そうやって偉そうに命令する前に、ご自身の人間性を見つめ直してはいかがでしょうか」
「な……」
男はそう言うなり、ポカンと椅子に座る上司に頭を下げて颯爽と部屋をあとにした。
その場の誰もが、予想だにしていなかった言葉だった。
内心、冷徹な上司を快く思っていなかった社員たちが、「よく言ってくれた」と言わんばかりの表情を浮かべている。
男は、そんな社員たちの気持ちに応えるかのように意気揚々と会社をあとにした。
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