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FPSゲーマーの朝は遅い。
午後二時四十五分に起床。
部屋の隅にある小さな冷蔵庫からエナジードリンクを取り出し、プシュリと開けてカフェイン錠剤数粒と一緒にゴクリと飲む。
錠剤と炭酸飲料が胃の中で混ぜ合わされ、大量の泡が発生していくのがわかった。
起きてすぐにこれをやると空腹感が紛れ朝飯を食わなくてもよくなるのだ。
飯を食うと血糖値スパイクで眠くなり思考が鈍る。
FPSゲーマーにとって思考の鈍化は致命的なのである。
たかがゲーム。大多数の人間はそう言って呆れる。しかし彼らは知らないのだ。我々がいかにマルチタスクをこなしているのかを。
土地及び構造物の把握、先見え理論からの右壁と左壁での有利か不利かの理解力、適切な装備の取捨選択、接敵した際の装備と距離から交戦するか否かの判断。仲間がやられた時の人数不利はランチェスターの第ニ法則でどれだけの損耗なのか。鹵獲物資の――……例えをあげればきりがない。
FPSのことを色々考えながらエナドリを飲んでいると、脳ミソが大量のカフェインを起爆剤にしていい感じに回ってきた。
「さて、今日もいっちょやりますか」
ゲーミングチェアに座りPCのスタンバイモードを解除しデスクトップを表示。三十五グラムのワイヤレスマウスを机の端に起きティッシュを一枚引っこ抜く。そして足元にあるスプレー缶を拾い上げ、ノズルをティッシュでくるむと「ブッシュー!」と景気よくスプレー缶の中身をぶち撒ける。
スプレー缶の中身はニッティングシリコン。FPSゲーマーと服飾関係者にはお馴染みのアレである。
その薬剤まみれのティッシュで、四十五平方センチメートルのガラス製マウスパッドを丁寧に拭き上げる。これが俺の一日の始まり。
そう、俺はマウスパッドを育てているのだ。
マウスパッドを育てるという一般人からしたら意味不明な概念であろう。
例えるなら鋳物や中華鍋のシーズニングと一緒。
よく言うだろ?中華鍋を育てるって。あれと一緒さ。
マウスパッドの端にマウスを置いて優しく指で弾く。するとマウスは本物の鼠みたいにスルスルと移動する。
「今日も滑りは上々、あとは試合を御覧じろうってな」
俺はゲーミングチェアに深く腰掛け、首の後ろにエンタープラグ挿し込む。これは生体電流を使って電子機器を操作する為のものだ。今やどのゲームも脳で操作することができる時代なのだ。
じゃあなぜマウスとキーボードを使うのかって?
簡単な話だ。脳でのコントロールは脳神経に多大な負荷を与えるからだ。その負荷を少しでも軽減し、より長い時間ゲームを楽しむために編み出されたのがこの二刀流操作というスタイル。脳での操作設定は人それぞれだが、俺はその設定を五感へのフィードバッグにガン振りしている。
FPSで重要なのは音であり、グラフィックスは最低設定がいいというのはプレーヤー間では常識だ。しかし極めてリアルな視覚情報がもたらすプレイフィールは没入感が違う。俺は五感に関わる設定はどれも最高値に設定している。
「これが俺のリアルだ」
シニカルに決めてみる。いいね、これ。
エナドリの缶に歪んで映る俺の顔はお世辞にもイケメンとは言えなかった。
それでも良いんだ。俺には観戦者がいる。
先週の試合だったかな?
自分でもスーパープレイだと思う連続長距離ヘッドショットキルをかましてやったのだが、試合後に美少女アイコンのアカウントからラブレターみたいなファンメッセージが届いたのだ。しかも、何通も。まあそんなのは割とよくあること。
どーせ中身はおっさんだろ?
ネットではそんな意見も散見される。
まあ、そう言いたくのもわかる。だが、これがホントなんだな。
そうに決まってる。
周囲の嫉妬と羨望の眼差し。実に気持ちがいい。
「っと、そろそろウォーミングアップやらんと」
デスクトップにある「LDOI」と名の付いたアイコンをクリック。
その瞬間――、視界が暗転。
ルゥーック・ダウン・オン・インヴェーダー
デーデーデー♪
デーデーデー♪
八十年代のゲー厶センターの店先にある筐体から流れてきそうな音とクソダサいフォントで書かれたオレンジ色のタイトルロゴが俺の脳内に再生される。
なんとも間の抜けた始まり方。しかしこのゲームは俺等みたいなFPS中毒者から大人気なのだ。
ゲームのデザインは俺みたいな硬派なゲーマーに好かれるロボットもの。物好きは頑張って課金してロボ娘を作ったりしている。しかし内容はバチバチにリアルな戦争FPSだから人気とは裏腹にプレイヤー人口は多いとは言えない。
というのも制作者は本物の軍。まだ新設したばかりの国連宇宙軍というのだから驚くのも無理はない。
現代戦でドローンが投入されるようになり、ラジコンヲタクやゲーマーが戦場で活躍できる時代が来た。国連宇宙軍の連中も来るべき全面戦争に向けて着々と準備を進めているのだろう。
まあ、ゲーマーの俺には全く関係のないことだが。
世界情勢なんてクソ喰らえ。
俺は俺のやりたいように生きる。
思わずニヤリと顔が歪んだところでゲームの読み込みが終了し、いつものホーム画面が表示される。
「ほんじゃ、まずは一戦っと」
ログインボーナスやその他諸々の通知も見もせず「出撃」をクリック。
俺は実践派かつ感覚派なので射撃訓練場などでエイムを温めるなんてことはしない。
どうせ死なないのだから即出撃&即死亡で良いのだ。
選んだ試合形式はクイックマッチ。これは世界中で行われている試合の中で空きが出た場所に適当に放り込まれる素敵仕様。待ち時間は殆どない。
「お、珍しい。開始前じゃん」
俺の脳内画面に状況開始まで八十二秒の文字。周りには他のプレイヤーもいて体を左右に振ったり屈伸したり踊っていたりするやつもいる。この待ち時間中に爆音で音楽を鳴らしたり訳の分からん外国語で大声を出す場合、俺は容赦なくそのプレイヤーのマイク設定を消音にする。今回は大丈夫そう――。
「あの、本物ですか?」
眼前のロボ娘が若い兄ちゃんの声で話しかけてきた。
「もしかして今配信中……じゃないですよね。いつも十八時から配信してるし」
さてどう返したものか。
俺はネット上ではクールかつ寡黙で硬派で実直な歴戦の猛者と思われるようブランディングしている。ここで「あ、ども」とか「よろしくお願いします」等と気軽に返事をしてはそのイメージ戦略が台無しになってしまう。
「あの……オレ、いつもAlien5642194の配信見てて……」
「……。」
「おいお前、アニキは今、精神統一をしているんだ。邪魔すんな」
なんと返事すべきか考えていると、横からまた別の声が聞こえてきた。
「でしょ? アニキ?」
ショルダーキャノンを二丁、両手にグレネードランチャーを装備した重戦車みたいなロボットがズイと視界に入ってくる。
「あ、あんたは……」
「俺はアニキの相棒さ」
「……。」
重戦車ロボは自慢気にグッと右のグレランの砲身を立てた。
重戦車ロボ――アカウント名「金欠shikemoku」
何度か同じチームで戦場に行ったことがある。
見た目は低機動高火力の固定砲台ビルド。敵に回したら地味に面倒臭いタイプだ。
「アニキとまた同じチームだなんてツイてるっす。高栄っす」
俺を慕いペコペコと頭を下げてくる重戦車ロボ。声も同様の野太いおっさんの声。
こういう時ってさ、ラノベなら語尾が「〜っす」な元気な後輩系の女子の声するよね。もしくはロリボイス。
なんでファンメッセージは女子が多いのに、ゲームに来るのは男ばかりなのだろうか。
というか俺はお前のことバディだと思ったことは一度もないのだが……。
「あんた、知ってるぞ。この間の配信の時、この人に迷惑かけてた戦犯プレイヤー……」
「アン? あれは俺のビルドが刺さらなかっただけだ! 俺がNOOBなわけじゃねえ! テメェみてぇな最近始めて課金だけしかしてねぇ奴と一緒にすんな!」
なぜFPSゲーマーは喧嘩腰の奴が多いのだろうか?呆れるばかりだ。
「お前ら、少し黙れ。始まるぞ」
「すいません……」
「おーし、アニキにいいとこ見せるかー!」
そして試合が始まる。
今回の任務は情報収集を行っている敵斥候部隊の殲滅。及び物資の回収。鉄火場の舞台はオレゴンのクリスマスバレー。
恋人たちがイチャつきたくなるような名前だ。
「恋人たちが多そうな地名ですね」
「バカ。もう今は誰もいねえよ」
険悪な雰囲気をさせる二人を無視して俺はマップに降下ポイントのピンを打つ。
「アニキ、そこ降りるんすか?」
「展開してる敵部隊のまん前ですけど大丈夫なんですか?」
「問題ない。殺られたら次の試合に行くだけだ」
「マジかよ。噂はホントだったんだ。アニキやっぱマジパネェ」
二人のやり取りを尻目に俺は地図を睨む。
次第に指定した降下ポイントが近づいてくる。
射出にカーソルを合わせる指に力が入る。
―――射出。
その瞬間、体に圧倒的な重力が掛かる。
実際に重力が掛かっているわけではない。ロボットに搭乗していたら重力による負荷はこのくらいだとAIが演算してその情報を俺の脳みそに叩き込んでくるのだ。
「――ッ、くぅ」
このゲームはよくあるバトロワゲーと違って空からダイブするわけじゃない。ロボットを巨大なレールガンで射出するのだ。
毎回やってるが意識が暗闇に引きずり込まれそうになる苦痛。だがこれがいい。こうでなきゃいかん。
LDOIの五感設定は初期だと二十パーセントになっている。それでも新規プレイヤーは初出撃で脱落するのはこの感覚が原因だからだ。それとその後の負け試合。
注意喚起のアナウンス、見ない奴多いんだろうなぁ。
俺はそんなことを考えながらカメラを上下左右に動かす。
対空砲なし。敵航空戦力なし。敵は眼下の部隊だけ。
完全な奇襲。
間もなく地上というところで俺はフレアとチャフをバラまく。お空に描く反撃の狼煙ってね。
ブースターを逆噴射して落下速度を減衰させる。
――着地。
敵部隊までの距離千メートル。
ど派手な登場をしたのだ。それに応えるように敵部隊から熱烈な歓迎を受ける。
ダララララ――っと機銃掃射が飛んでくるがそれも想定の範囲内。追加装甲増し増しの機体は貫けまい。
俺は狙撃銃を構えトリガーを引く。効きもしないのに撃ってくる敵の一体を撃破。
ピーピーっと警告音。
高出力レーザーの充填エネルギー波を感知。
レーザービームは追加装甲といえど防げない。
「増装捨てる」
自分の装備状況がわかるようにチーム全体にボイチャを飛ばす。
すかさずブースターを吹かす。
俺のロボは追加装甲増し増しの重戦車タイプに見せて、実は一撃貰ったらほぼ即死の超高機動格闘タイプだったりする。しかしこれは初期機体のうちの一つだからどこの基地にもあっていまいち見栄えにかける。
だからど派手な登場と開幕パージで男の浪漫を刺激する行動を取っているのだ。断じて新規プレイヤーがいるから俺にヘイトが集まるようにしているわけではない。
そしてここからは短期決戦。ブースターの燃料が切れる前に一気に勝負をつけなくてはならない。
レーザーブレードを抜刀。
供給エネルギー先をバッテリーから機動核へ。
機動核の安全駆動設定を解除。
限界出力運用開始。
敵部隊の間を縫うようにかっ飛ぶ。
その瞬間ブレードを叩き込む。
「チッ、二体狩り残した」
やはり寝起きは体が鈍る。
ハンドガンで牽制して茶を濁しながら旋回する。
その瞬間、突如爆散する残存敵勢力。
「アニキぃ! やりましたよぉ!」
「……。」
俺は主目標を達成したのでそのまま回線を切った。
「ま、回収作業だけなら途中抜けしてもいいだろ」
主目標は達成してるから途中抜けしても罰則はなし。
「あそこですれ違い様に一閃して終わってればなー。不完全燃焼感はんぱねー。金欠shikemoku、ブロックしとくかぁ」
椅子に座り直したところで部屋のドアをノックする音。
「タカシ、もう起きてるかい? 母さん、あんたの好きなアンパンと牛乳を買ってきたからさ。これお食べよ」
心配そうな母ちゃんの声。
「母ちゃんそんなモンいらないよ! ゲームしてんだから邪魔すんなよ!」
「今ね、大将さんが来てるんだよ。お願いだから会ってあげておくれ」
チッ。それが狙いか。テメエは俺のメンタルヘルスワーカーか何かかよ。
「タカシ、開けるよ」
「入ってくんじゃねえ!」
俺の声を無視して開けられるドア。入ってくるどこか弱々しい姿の母ちゃんとガタイのいい男。
「タカシくん。久しぶりだね」
「テメェ……、母ちゃんを誑かしてんじゃねえよ」
「タカシ、大将さんにそんな口きいちゃだめよ……」
「っるせーな! 母ちゃんは黙ってろよ!」
まったくイライラする。なんで俺の邪魔をするんだ。
俺はこのゲームで遊ばなきゃいけないってのに!
「俺の顔見て満足だろ? 早く出てけよ!」
「タカシ……ちょっとだけでいいからなにか食べておくれよ」
「いいっつってんだろ!」
「タカシくん!」
「タカシ……お願いだよ。もうこんなことはやめておくれ。母さん、あんたが
普通に育って普通に働いて普通に暮らしてくれるだけでいいんだよ。だからこんなことばかりしてないで普通の仕事についておくれよ」
「タカシくん。お母さんの言うことも少しは――」
「あー! うっせーなー! そんなに誰かと飯食いたいなら二人で行って来いや! ほら、金やるからよ!」
俺は投げ銭で稼いだ金を二百万円ほど母ちゃんのスマホに送金する。生活費だって月に五十万は入れてるのだ。文句なんて言わせねえ。
ギャーギャーとうるさい二人を無視して俺は椅子に座りゲームの続きを始める。
◆
「タカシ……」
悲しそうに息子の背中を見る老女。その姿を苦虫を噛んだような顔で見つめるガタイのいい男。
「お母さん、私は立場上、彼にやめろとは言えません」
「知っています。だけど……だけど……ううっ、タカシぃ……」
「三年前、突如として現れた異星人の地球侵略者。タカシくんは私の指揮の下、防衛任務に就いていました。そして――……」
「知っています。私も覚悟はしていました。息子を失くす覚悟を。でもタカシは帰ってきてくれました。五体満足とは言えないけれども」
「はい。そしてタカシくんは過酷なリハビリの最中、人類の技術を結集して作られた遠隔操作ロボットのパイロット募集の存在を知りました。そして……」
「でも……、だからってどうしてタカシがこんなに苦しまなければならないのでしょうか! タカシは何も悪いことをしてないのに! タカシは――、タカシは――……」
「贖罪、でしょうね。守れなかった町の人々に対しての、戦友に対しての。タカシくんは真面目でしたから。だから贖罪の意味で五感フィードバッグも百パーセントにしてるのでしょう」
「はい、うちの子は小さい頃からまじめでいい子でした。でもだからって……こんなのあんまりで……」
やり切れなさもあってか男は窓の外を見る。庭先の木には一枚だけになった枯れ葉が風に揺れていた。
「全人類は打倒侵略者の下に資源や金銭や労働力を援助を募り集約しています。コレを娯楽目的にしている輩もいますが……、タカシくんはあえてそんな輩を演じているのでしょう。あなたを心配させない為に」
「それがわかっているから、余計にこの子が不憫に思えて……うぅっ」
「誇ってください。お母さん。タカシくんは敵撃破数世界一位なんです。全人類の英雄なんです。だからお母さん、これからもタカシくんを支えてあげて欲しい」
男は老女の方を向くと力強く頷いた。
「それは……いつまででしょうか? いつまで私はこんな思いを……」
「もうすぐ全面戦争が始まるでしょう。その時に、侵略者の母艦に奇襲を仕掛けます。それが成功すれば人類に平和が――」
「グアアアアッ!」
突如、部屋に響き渡る絶叫。
タカシは体を仰け反らせイスから転げ落ちる。
「タカシぃ!」
「タカシくん!」
暫しの静寂、そして広がるアンモニア臭。失禁したのだ。タカシは。
「あっ――、ガッ……ハァハァ。まさか下半身がぶっ潰れるとは思わなかったぜ。ハハハ、あのヤロー。アイスキャンディーみたいな武器だからって舐めて掛かっちまったぜ。さあて次だ。汎用機体だからどの基地からでもすぐに出撃できるぜ。ヘヘへ」
タカシはイスに這い上がる。何日も風呂に入らず失禁までして汚れた姿になってもその背中には男の意地が感じられた。
そんな姿を誰が笑おうか。
配信のコメント欄にも下卑た言葉を書くものは誰もいない。
「ガンバレ! タカシ!」
「家族の仇を取ってください!」
「俺も適合手術が終わったらすぐに参戦する! だからガンバレ!」
「中学生です。私は応援することしかできないけど……ガンバってください! タカシさん!」
「ゴメンな、タカシ。俺はリタイヤ組だ。怖くなったんだ。でもお前には期待してる! ほら!今月の傷痍軍人年金五万円だ!」
「ナイス赤スパ!」
「ナイス赤スパ!」
ものすごい勢いで流れていくコメントの数々。
タカシはニヤリと笑うと再び「出撃」をクリックした。
「さあ、試合開始だ。」
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