終章

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終章

「私にとって結婚は『水平線を目指す航海に出る』と同じなの」 「水平線の向こうは崖だもんな」 「あんた何時代の人間よ。馬鹿らしいって意味!」 沢渡(さわたり)の前で眉間にしわを寄せる(いぬい)の姿は、決して馬鹿らしさを覚えている者のそれではない。その出で立ちはまさに“夜景の一望できるレストランに招待された見目麗しい女性”だった。 お世辞にも空調が効いているとは言い難いカフェの一席。沢渡は店員にブランケットを頼み、乾に肩から掛けるよう促す。 「マリッジブルーか」 「まだ婚約してない。今は……ホライゾンブルーって感じ?」 「……お前それ、意味わかって言ってんの?」 きょとんとする乾に、沢渡はため息を吐いた。 「しわ、増えるぞ。しかめっ面はやめとけ」 手を伸ばし、ほんの一瞬だけ乾の額に沢渡は触れる。 「そうね……もう約束の時間だから、行くわ。ありがとね」 ―― 乾がカフェを出た後、沢渡は夜明けの陽光を思い浮かべた。その光は乾と出会ってからの10年間、淡くも鮮烈だった青い思い出を徐々に白く、そして透明に消し飛ばしていく。 「ブルーなのはこっちだっつーの……」 冷めた珈琲に口を付ける。沢渡の心に、後悔と祝福が混ざった苦みが沁み込んだ。
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