1人が本棚に入れています
本棚に追加
終章
「私にとって結婚は『水平線を目指す航海に出る』と同じなの」
「水平線の向こうは崖だもんな」
「あんた何時代の人間よ。馬鹿らしいって意味!」
沢渡の前で眉間にしわを寄せる乾の姿は、決して馬鹿らしさを覚えている者のそれではない。その出で立ちはまさに“夜景の一望できるレストランに招待された見目麗しい女性”だった。
お世辞にも空調が効いているとは言い難いカフェの一席。沢渡は店員にブランケットを頼み、乾に肩から掛けるよう促す。
「マリッジブルーか」
「まだ婚約してない。今は……ホライゾンブルーって感じ?」
「……お前それ、意味わかって言ってんの?」
きょとんとする乾に、沢渡はため息を吐いた。
「しわ、増えるぞ。しかめっ面はやめとけ」
手を伸ばし、ほんの一瞬だけ乾の額に沢渡は触れる。
「そうね……もう約束の時間だから、行くわ。ありがとね」
――
乾がカフェを出た後、沢渡は夜明けの陽光を思い浮かべた。その光は乾と出会ってからの10年間、淡くも鮮烈だった青い思い出を徐々に白く、そして透明に消し飛ばしていく。
「ブルーなのはこっちだっつーの……」
冷めた珈琲に口を付ける。沢渡の心に、後悔と祝福が混ざった苦みが沁み込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!