柵の外の少年

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柵の外の少年

「空が抜けるようにって表現あるじゃない? あんな感じだよね、うまく声が抜ける時って」  タカヤは無邪気な笑顔を俺の方へ向けてそう言った。俺は数時間前の自分に、心から感謝した。この笑顔を見ることは、もしかしたら叶わなかったのかもしれないのだ。 「じゃあ、ソレがお前はだーい好きななわけね? それがあれば生きていけるってこと?」  意味ありげに返した俺の顔を見て、タカヤは顔を赤らめた。 「そっ……そうだよ。悪い? でも、顔のせいでなかなか叶わなくてさ」 「悪かねえだろ。俺はいいと思うけどな。お前、向いてると思うよ」  俺は、錆びた手すりにもたれかかって、指の間に挟んだタバコを口元へと運ぶ。タカヤはそれを優しく奪い取ると、俺の耳元でそっと囁いた。 「ダメだよ、またうまく鳴けなくなるだろ?」  そう言って、火がついたままのタバコを手で握りつぶした。 「何やってんだ、お前!」  俺は慌てて飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルを握らせた。タカヤの肌が焼けた匂いに軽い目眩を覚え、ぐっと眉間に力を入れる。 「ちょっと待ってろよ、冷やすものもらってくるから」  その時、俺はその場を離れた。  それが、タカヤの今後を決めるとも知らずに。 ◇ 「おい、そんなとこから落っこちたら、下にいるやつも一緒に死んじまうぞ。こっち来い」  金曜日の夜23時、都会の喧騒の中で、一際欲に塗れた笑い声が響き渡る場所。その中の一角に、風に吹かれながら今にも消えそうな命に出会った。  古いビルの中にある、サビが目立つ非常階段。その手すりの外側に佇んでいた、白肌に誘うような唇をした、少年。抜けるような肌や輝く黒髪は、その生命力の高さを語っているのに、目の奥には光一つ感じられないほどの孤独を抱えている。  振り返りはしたものの、何も言わずにこちらをぼうっと見つめているだけで、俺はそこに映し出された精巧なホログラムにでも話しかけているのだろうかと疑ってしまったくらいだ。 「おい、こっち来いって」  ようやく終わった録音作業の後で、頭がガンガンしている俺は、それをすっきり晴らすためにタバコを吸いにきた。その場所にこんな辛気臭い生き物がいたら、イラついて声をかけずにはいられない。 「なあ、お前死ぬつもりなのか? それにしたって、そんな場所から落ちるなよ。大体そこに立ってる奴ら、その日生活する金にも困ってんだよ。死ねばマシだけど、大怪我させられたら目も当てられねえぞ。死ぬなら、別の場所に行けよ」 「……死ぬなよって言わねーの?」 「はっ?」  それは、衝撃の出会いだった。  目の前にいる少年は、驚くほどジメジメとした雰囲気に似つかわしくない、軽やかでその割には豊かに響く、ドキリと胸を打つ声をしていた。 「……言えっかよ、そんな無責任なこと。お前が何に苦しんでるかも知らねえのに」  少年とは対照的に、乾燥した室内で集中した作業を終えたばかりの俺は、ガサガサの声を咳払いとともに絞り出した。そして、最近では肩身の狭くなったスモーカーの喜びを肺に溜め込んで、ストレスとともに思い切り吐き出した。 「あー生き返る……って死にそうなやつの前で言うことじゃねえか」  少年の警戒心がやや緩んだのが、表情の軟化で見てとれた。何があったのかは知らないが、目の前で死なれちゃ夢見が悪い。とにかく、タバコを吸う間だけでも生きておいてもらおうという汚い考えを抱いて、俺は軽口を続けた。 「お前、やたらにいい声してんな。何かやってんのか?」  少年は、俺の方へと振り返ると、錆びた柵に手をかけた。いよいよ飛び降りるのかと一瞬冷や汗をかいたが、その柵を握りしめると、ポロポロと涙をこぼし始めた。 「お兄さん、ギター弾くの? お願い、ちょっとだけ聴かせてくれない?」  先端の高温がつきてしまい、灰の塊だけになりつつあったタバコをジュッと揉み消して、俺は少年の目を見た。そして、再び俺は彼の持つものに驚かされることになる。  さっきまで一切何にも興味は持たないと強固な姿勢を宿していたその目に、突然妖しげな光が踊り始めたのだ。 ——なんだ、あれ。 「よくわかったな。何を見て気がついたんだ?」  俺は、少年の目の中の怪しい光が、だんだんと大きく強く光るのを感じて、それがどうなるのかを見たくなった。どうやらギターの話をしているとソレは強くなるようで、思わず少年のいる方へと吸い寄せられるように近づいていった。
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