生きてる

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生きてる

 トントンと包丁がまな板に触れる軽い音と、そのリズムの軽快さが心地よくて、ふっと目が覚めた。  昨日も遅くまでレコーディングに付き合わされ、帰りは日付が変わる直前になっていた。迎えの車のありがたさに、何度拝み倒しそうになったかわからない。ケガをして大変な思いをしながら生活をしてはいるものの、サポートしてくれている孝哉のおかげで、むしろ快適になったことの方が増えたような気がしていた。 「六時か……」  今日は一日在宅勤務になっている。一件リモートでの打ち合わせがある以外は、仕様書の作成を進めることにしていた。今の会社でSEとして働き始めてから三年経つのだが、今回初めて在宅勤務の選択肢があることを知った。  孝哉が送迎してくれるから、通勤に不便は無いのだけれど、事務所内の人口密度が異様に高いため、人にぶつかる可能性が高い。そうなると治りも遅くなるだろうということで、上司から在宅勤務を提案された。  孝哉の家は、俺の給料じゃ手が届かないような、お高い分譲マンションで、見晴らしがいい場所に立っているからか、通信面でも問題が起きにくい。  ここでなら、ストレスなくリモートでの打ち合わせも出来るかなと思い、その提案に乗らせてもらった。  打ち合わせの資料を読み返しておこうと思い、タブレットに手を伸ばしたところで、ドアがノックされた。乾いているけれどみっしりと詰まった固形物に、薄い皮膜の張り付いた硬質なものがぶつかる音が鳴り響く。  三回鳴らす約束をしたからか、律儀に毎朝コンコンコンとそれは繰り返されていた。孝哉はそういった約束の類を違えることが全くない。生真面目で優しい男だった。 「隼人さん、おはよう。俺、今日一限からだからもうメシ食うけど、一緒に食べる?」  この時間にすでに爽やか好青年として仕上がった顔に、穏やかに微笑みを浮かべながら部屋へと入ってきた。俺は今、孝哉の部屋のベッドを借りている。まだ足をつくことができないため、ベッドの方が困らないだろうと言って貸してくれているのだ。  孝哉自身は、親父さんの部屋で寝ている。俺の世話をすることを決めた時に、孝哉は親父さんにすぐに連絡をしたらしい。その時に、親父さんの方から部屋を使っていいよと言ってくれたのだと聞いている。  退院前に一度電話で話をさせてもらったのだが、とても人当たりが良くて優しい声をした人だった。 「おー、食べる。洗い物はしておくから、おいておけよ」 「別に置いといていいんだけど、それいうと怒るから置いとくよ。はい、これ」  そう言って笑いながら、松葉杖を手渡してくれた。そして、万が一倒れても足をつかずに済むように、すぐ目の前に立って待ってくれている。 「よいしょ」 「……ねえ、あんた本当に二十五なの? すげーおっさんくさい」 「……うるせーよ」  そうやって笑いながら、今日も一日が始まる。  テーブルについて椅子に座ると、ご飯と味噌汁に目玉焼きという孝哉のいつもの朝食が並んでいた。それに自分の欲しいものを選んで追加するというのが、新木家の朝食なんだそうだ。 「いただきます。毎日ありがとうな」  俺が手を合わせながらそういうと、孝哉は口元を隠して後ろを振り返っていた。その方が微かに揺れている。 「え? 俺、今何か変なこと言ったか?」  小鉢の中にころんと転がっていた梅干しを口に放り込んで、俺は聞いた。堪えた笑いはなかなか収まらないらしく、真っ赤な顔をしたまま孝哉はまっすぐ向き直った。 「いや……すっごいナチュラルにお礼とか言うよね、隼人さんって。そういうタイプに見えないんだけど」  箸を持ち、お椀を抱えながら「いただきまーす」と言う孝哉をチラリと覗き見た。まだうっすらと笑みが顔に残っている。 「そうか? ありがとうとか、すみませんとか、言っても別に損しねえことはなんでも言うぞ、俺。挨拶しない、返事しない、でやっていけるような仕事してねーしな。仕事の八割くらいは打ち合わせだから」 「へえ、そうなんだ。もっとコードと睨めっこしてんのかと思ってた」 「それは……」  箸を振りながら話し始めた俺に、すかさず「箸振らないの。行儀悪いよ」とチクリと指摘が入る。 「あ、すみません」と答えると、「本当だ。すぐ謝った」と言って、孝哉は楽しそうに笑った。 「そう、えっと、なんの話だ? あ、コードな。それはプログラマーがやってくれてるから、俺の仕事の範疇じゃないんだよ。他の会社がどうかはわかんねえけど、うちは、SEは打ち合わせして仕様書書いて、クライアントとプログラマーの橋渡しするのが仕事みたいなもんだな。営業とはまた違うんだけど、そんな感じ」
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