2.中条流

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2.中条流

 蓮之介と紫野が蛇骨長屋に腰を据えるまでは、このあたりは中条流の町医者や産婆が主に妊産婦を見ていた。  中条流といえば、古くからの婦人系の医術として伝わり認知されているが、蓮之介のように長崎で南蛮医療を学んだ者にとっては、医学的根拠のない危険な医術いや、医術ですらないと考えていた。 「こんな貧乏長屋の下賎な町医者の言葉など信じて良いのか」  その日、お腹の膨れた妊婦を連れてきたのは、御家人・島田勇之助(しまだゆうのすけ)紀恵(きえ)、そして訝しげに眉を顰めて嫌味を言う勇之助の母であった。  初めての子であるのか、中年に差し掛かろうかという小太りの勇之助は要領を得ず、診療所の外でウロウロとするばかりであった。 「貧血のご様子、もう少し召し上がってくださいね。それと、冷えは厳禁です、お勝手に立つ時間はなるべく短く。疲れたら横になってください」 「お待ちなさい。中条流ではお産の前も後も、妊婦を横たえたりはしません。あなた方が評判だと言うから来てみたものの、やはりまやかしですね」  蓮之介は苦笑して肩を竦め、紫野と顔を見合わせた。 「致し方ありません。御家人とは言え我が家の家計は苦しい。中条流の名医に見せるわけにも行きませぬし……」  紫野の耳には、姑の言葉はあまり耳には入っていない。彼はじっと、俯いたまま何も言わぬ嫁の様子を観察していた。  紀恵というその妻、後ろ姿では妊婦と分からぬほどに痩せており、何より、子を迎える待ち遠しさ、嬉しさが微塵も感じられない。不安と諦めに満ちた昏い表情は、紫野の心を締め付けた。 「御主人、こちらへ」  驚く姑に構わず、紫野はそう声を上げて外に出るなり、玄関から手を引くようにして勇之助を診察室に招き入れた。 「さ、ご隠居様は待合室でお待ちを」 「何と申す」 「ご夫婦のお子のことにございます。まずはご夫婦でこのお産を乗り切るべきこと。あなた様は外野です」  すると、姑は眦を上げて肩を怒らせ、金切り声を上げた。 「無礼者め!! 落ちぶれたとは言え我が家は神君家康公の……」 「はいはい、行った行った」  家の由来を撒き散らす姑を蓮之介が引き受け、追い立てるようにして待合室へと出て行った。  夫が紫野の向かいに座すと、妻がすっと後ろに下がった。 「お並び下さいませ、紀恵様」  そう言って紫野が優しく微笑むと、妻の目からほろほろと涙が溢れた。 「これ紀恵、泣くことではなかろう」 「お辛うございましたね」  紫野が労わるように手を取ると、紀恵はさめざめと泣いた。 「そのような事で母となれるのか……原口殿と申されたか、男の私が出産の穢れを受ける訳には参らぬ。御免被る」 「お待ちを」  何を思ったか、紫野は夫の脇差を抜いて腹に切っ先を当てた。  刀などお飾りでしかない夫は、泣きそうに狼狽え、腰を抜かした。 「士道不覚悟」 「ひいっ、な、何と」 「武士でありながら死を怖がるではないか。女はこれと同じ死をかけた出産に挑むのだぞ。命に男も女もない。ましてや子の命。あなたの家を継ぎ、幸せをもたらすであろうあなた自身の子の命……失うのは怖くはないか」 「しかし、お産のことなど……」 「それは女人にしかできぬ大仕事。ならば、あなたにできることと言えば、紀恵殿の憂いを払い、紀恵殿を労わり、寄り添うことではないのか」 「武士たるもの、妻に寄り添うなど……」 「まだ言うかっ!! 」  紫野は手にした刀で夫の額に垂れる後れ毛を切った。  はらりと手元に落ちた髪を見て、夫は失神した。 「あ、あなた……先生っ、な、何をなさいます!! 」 「紀恵殿。あなたもお姑に言われっ放しではいけません。自分の身は自分で守ってください。しっかり食す、体調が悪い時は大威張りで休む、勝手所で立ち仕事を続けない……自分のお子です、守って差し上げて。そして、産んだ後、お子が困らぬよう、あなたもしっかり体を整えて子育てに備えなくてはなりませぬ」 「先生……」  紫野はサラサラと紙に生活の要点などを書き記した。 「お姑様はおそらく、中条流の医者に見せると仰るでしょうね。確かにここは貧乏長屋の診療所ですが、母子を助けたいと思う心に一点の曇りもありませぬ。それだけは、信じてください」  紫野は、百味箪笥からいくつかの包みを取り出し、書状に添えた。 「ナズナを干して挽いたものです。血の道にも、食欲不振にも効果があります。ヨモギを煎じても良いのですが、まずはこちらで様子をみてください。お産まではまだ2月以上ありますから、食べられるようになったら、少しずつ、お庭などを歩いて動くようにしてください。御三度は適当に」 「て、適当に、ですか」 「はい。適当に。埃で人は死にません」  驚いたように目を見開いた後、紀恵は紫野と同時に吹き出したのであった。
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