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プロローグ
恋人から大事な話があると言われた時、井上朋美は「ついにきた!」と胸を躍らせた。
朋美の部屋で朋美の作った夕食を食べ、交代でシャワーを浴びたところだった。プロポーズのシチュエーションとしては物足りないが、日常の延長で……というのは、なんとも朋美たちらしい。
本間拓海とは家族ぐるみの付き合いで、いわゆる幼馴染だ。幼少期より双方の親同士がふたりを結婚させたがっていて、朋美もなんとなくそうなるのだろうなと思いながら育ってきた。
拓海とは子供の頃から級友たちにも夫婦として扱われ、高校に進学するころには初めて身体を重ねた。33歳になるこれまで、朋美と拓海は一途に互いのみを想ってきたのである。
そのはずだった。
「え……、なん、て……?」
「だから、彼女に子供ができたんだ。僕も年貢の納め時ってやつかな~」
照れ混じりに言われて、視界がぶれた。
脳が揺れる。
目が回る。
この人は何を言っているのだろう。朋美は妊娠などしていないのに。
現実を受け入れないと話は進まない。朋美はどうにか喉を震わせた。
「わ、私は……? 私はどうなるの⁉︎ 拓海、二股かけてたっていうの⁉」
「ええ? 人聞きの悪いこと言わないでよ。朋美とはそんなんじゃないじゃん。家族みたいなものでしょ」
およそ恋人同士がすることを一通りどころか何十通りもやり続けておいて、何を言われているのか分からなかった。急に言葉が通じなくなり、まるで異世界人と会話している感覚になる。
「私の親も拓海の親だって、私たちが結婚するものだと思ってるんだよ。私もずっとそう思ってた」
冷静であろうと努力して言い募ると、拓海はバツの悪そうな顔で唇を尖らせた。
「それはおふくろ達が勝手に言ってたことだろ? 僕たちだっていい大人なんだし、互いにその気がないって言えばあっさり引き下がるんじゃないか?」
それは、確かにそうかもしれなかった。年末年始に実家へ顔を出すたび、結婚はどうなのかとせっつかれていた。けれども朋美は仕事が楽しい時期で、まだまだ考えられないと鬱陶しがるばかりだった。
……昨年帰省したときは言われただろうか? おととしは?
朋美にその記憶はなかった。
親の方でも、朋美たちにはその気がないと見切りをつけたのかもしれない。こぶしをぎゅっと握りしめる。親公認なのだからと、完全に安心しきっていた。
最近では朋美も拓海も仕事が落ち着いていて、今年の帰省ではそろそろ落ち着くつもりだと報告する心づもりだったのに。職場の同僚にも長い春だとからかわれていたが、「いい加減、私も覚悟きめなきゃね」などと上から目線で余裕さえあった。
口の中にひどく苦いものが込み上げる。
「……じゃあ、私は……なんだったの」
「なにって。朋美は朋美だろ」
だから、その存在はなんなんだよ!
頻繁に朋美の部屋を訪れて夕食を食べ、朋美を抱いて泊っていく。恋人ではないのなら、いったいなんなのか。
親に泣きつくことも頭に散らついたが、それは朋美のプライドが許さなかった。
わめき散らかしたかったけれど、すんででグッと堪えた。逃げられると思ったからだ。
頭が急激にすっと冷えていく。
――殺そう。こいつを。
唐突にそう思った。
もうそれしかないのだと。
あなたを殺して私も死ぬ……なんて気持ちはさらさらなく、もちろん死ぬのは拓海ひとりだ。
そして、見知らぬ略奪女にも、きっちり責任を取ってもらいたい。
朋美は拓海の殺害計画を立てることにした。
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