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第三話
前にダイエットのためにと篤志郎とウォーキングでこのビルを見かけたのだ。
なんと入り口である扉は開いており、入れる状態であった。壁面は落書きされたり窓は破られていたり酷い有様であった。
「お化けが出そうでこういうところには興味があるけどちょっと怖いし多分犯罪の原因になるから絶対梨々花はこの辺りは歩いちゃダメだよ」
と心配されていたことを思い出す。こうやって自分を心配してくれる身近な人はもういない。
ビルを目の前に、以前よりももっと荒れている気もしない。そしてドアも開いてて梨々花は恐る恐る押してみるとやはり入ることができた。どこかの倉庫だったろうか。まだ日が沈む前だが夜になったら完全に真っ暗になる。だからそれを前に上に上にあがろうと階段を登る。綺麗とは言えない。夜逃げでもしたのだろうか。
この会社に何があったのか。確かにお化けが出そうで怖い。
「……脇汗ガードハイパーつけておいてよかった」
こんな中でも自社製品に感謝する底辺社畜。じっとり不気味な雰囲気に梨々花はひんやりとした汗を感じる。もし脇汗ガードハイパーつけていなかったらお気に入りのこのブラウスは脇汗ジミがついてしまうだろう。
だが梨々花は汗ジミがつこうが関係ない。
そして屋上まで昇り詰めた。屋上の手前のドアが開いてなかったら意味がなかったが普通に開いた。
着いた時にはもう周りは薄暗くなっていて思ってたよりも高いビルの上。さすが廃ビルの上、周りも暗く
「わー、何も無い」
と梨々花は顔が引き攣る。遠くに夜景が見える。
「しょうがない、自分の最期にふさわしい景色……」
遠くの景色が霞む。目に涙が溜まっているから。
「これでいいのよ、これが私の人生」
子供の頃を振り返る梨々花。何かにつけてとろくて引き立て役で影のような人生。
ぽっちゃりとしたスタイルが名前と不釣り合いだと虐められた。
大学生になりある程度おしゃれにも目覚め社会人になって篤志郎と出会い恋をして初めての彼氏、初めての相手、そしていつかは結婚だなんて考えていた。
仕事もようやくこれ、と決まったものが見つかった! と。
自分にしてはトントン拍子に人生が進んでいく、と思った。上手い話すぎた。
やっぱり自分はいい人生を歩む人間ではない。もう終わりにしたい。
梨々花は遠くの夜景から今の目の前の真っ暗な景色を見る。
「……」
無言で屋上の低い柵に登る。ヒールは脱いだ。ストッキング越しに冷たさが足に伝わる。
柵にひっかかってストッキングが伝線した。まぁいいやと思いながらも足元を見ると
「ひぃ」
自分が高所恐怖症ということを思い出す。しかもさっきまで暗く見えた景色がなぜか下までくっきり見える。足がガクガク震える梨々花。
「大丈夫、大丈夫」
何が大丈夫かわからないが人間、極限の状態に陥ると変なことを口走るみたいだ。
「……お父さん、お母さん、ゆるしてね。ごめんね」
実家にはしばらく帰ってない。ペットのマルチーズのロンは全く懐いてくれなかったなぁと思いつつも父も母も仕送りはなく、反対に仕送りをしていた梨々花。
家が貧乏だったから高校の時からバイトを掛け持ちして家にお金を入れてきた。
仕事も怒られてばかり、うまくいかなくてもやめなかったのは親への仕送りのためだ。
篤志郎はそんな梨々花を慰めてくれた。こんな彼と一緒に幸せな家庭を築けたら。
よく思い返せば彼から結婚の二文字を口にすることがなかった。……そういうことだったのだろうか。
その時点で梨々花は気付くべきだったのか、彼女1人で花畑で踊り浮かれていたことに。
浮気なんて全く予兆もなかった。花畑で頭が働かなかったのか。そんな自分を責める。その度涙が溢れていく。
朝からの冷たさが全身に駆け巡る。
過去のことを振り返った泣くのはもうやめよう、梨々花はゴクンと唾を飲み込んで足に力を入れた。
「さよーならー人生ーっ!」
と暗闇に飛び込んだ……。
走馬灯。
梨々花はこれが走馬灯か。
なぜかさっきまで悲観していた過去とは違って楽しかった時の思い出ばかり次々と流れてきた。
家族と楽しく旅行した時のこと。
友達と遊んでいる時のこと。
初恋にドキドキした時のこと。
自分の描いた絵が褒められてさらに賞を取った時のこと。
就職試験で合格通知をもらった時のこと。
同期と入社してから飲みに行ったこと。
ちょっとしたアイデアの企画が採用される手前までいって上司に褒められたこと。
篤志郎と恋に落ちて結ばれた時のこと。
デートして楽しかった時のこと。
幸せだった時のこと。
ずっと悲観していたはずなのになんで死ぬ前にこんないい場面ばかりを思い出すのだろうか。悲観していたのは幻想でほんとうはいいこともたくさんあった、そういうことなのか。梨々花は混乱する。
「なんでこんなときにこんなことをー」
と梨々花は叫ぶ。だが自分の体は下に落ちる……
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