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12
ずっと黙っていたトーマスが口を開いた。
「先生、そういう事であれば、必ずしも王都にいないといけないというわけでは無いですね」
医師が不思議そうな顔をした。
「え? ええ……そうですね。定期的な診察は必要ですが」
室内を再び沈黙が包み込む。
「トーマス? まさかとは思うがお前……」
そう言ったのはアレンだった。
「ああ……領地に戻ろうかと考えている。領地と言っても祖父母が住んでいた田舎の土地だ。僕はアスター侯爵籍から抜けて、祖父が所有していた男爵位を継ごうと思う。それがマリアの為だ」
アレンが立ち上がった。
「ダメだよ、トーマス。それでは引き籠りじゃないか? マリア嬢と一緒に仙人にでもなるつもりかい? 絶対にダメだ。アスター侯爵家はどうするんだ!」
「父と後妻の間には女児ではあるが後継者と成り得る者がいる。その子が婿養子でも迎えて継げばいいさ。今言った男爵位は、祖父が僕にくれたものなんだ。売って結婚資金にでもすればいいと言ってね。それに田舎ではあるが、特産品もある。贅沢をしなければ生きていけるさ」
「却下だ」
地を這うような声を出したアラバスに視線が集中した。
「アラバス?」
「却下と言ったんだ。自然豊かな環境というなら、王宮の敷地内で十分だろう? 王族専用エリアなら自然林に囲まれているし、湖もある。それにここなら宮廷医もいるし、お前も仕事を続けることができる。マリアの周りを優秀なメイドで固めよう。もちろん正しい知識を習得させた上でだ。これで何の問題もないだろう?」
「それは……」
アラバスの口角がニッと上がる。
「よく考えてみろ。お前は自分がマリアの身の回りの世話をすればいいと思っているだろうが、人格がどうあれ実際のマリアは女ざかりの十七歳だぜ? お前が風呂に入れるのか? 幼児を育てるように汚した下着を履き替えさせてやるのか?」
トーマスが息をのんだ。
アラバスが続ける。
「お前らしくもないな。ショックを受けたことは理解するが、もっと冷静になれよ。王宮で治療を続けながら暮らすのが一番だぞ。もう一度言うが婚約は解消しない。マリアは早急に卒業させて、できるだけ早く婚姻式を挙げる。王子妃を蔑ろにする使用人はいないさ」
「ちょっと待ってくれ! 卒業試験にはパスしているから、卒業に関しては問題は無いが、マリアは王子妃としての教養もマナーも忘れている可能性が高いんだぞ」
「そのことは考慮した。そこはなんとでもする。心配するな」
「心配するのが当たり前だ! それに世継ぎのこともあるじゃないか。やはりこうなった以上マリアとは婚約解消して、次席だった令嬢を新たに……」
最後まで言わせずアラバスは立ち上がった。
「何度も同じことを言わせるな。婚約は解消しない。これは命令だ。王子妃が抜ける穴はお前たち二人がフォローしてくれ。世継ぎならカーチスの子を養子にすれば何の問題もない。何より今更どこぞの貴族令嬢と婚約者として、一から関係を築くなど面倒なだけだ。俺はそれほど暇じゃない」
「アラバス……」
トーマスはそれ以上何も言えなかった。
「では俺は今から国王と王妃に状況を説明してくる。それと、アスター侯爵家の当主には何も伝えるつもりは無い。それで良いか?」
トーマスが力なく頷いた。
「ああ……」
アレンが項垂れるトーマスの横に座りなおした。
「トーマス、お前の気持ちは痛いほど分かるよ。でもアラバスの気持ちも分かるんだ。冷静に考えれば、アラバスの言うとおりだ。ここに居ればマリア嬢は平穏に過ごせるだろう? それが何よりの治療だろう? 僕も協力するからさ。確かに面倒だという発言はいただけないが、俺たちは長い付き合いだ。それがあいつの本心じゃないって事は、お前にも分かるだろう?」
「ああ……友とは本当にありがたいものだな……少し冷静さを欠いていたようだ。すまん」
「そんなこと! これほどのことがあったんだ。当たり前だよ」
トーマスは力なく笑った。
アラバスが出て行ったドアに視線をむけ、独り言のように呟く。
「国王陛下と王妃陛下がなんと仰るか……もし毒杯を賜るような事があれば、僕も一緒に飲むよ。その時は止めないでくれ」
アレンがトーマスの肩をポンと叩いた。
「何を言ってるんだ。あの国王夫妻がそんなことをするはずがないし、説得に向かったのがあのアラバスだぜ? 万が一にも通らないってことはないだろう?」
黙って事の成り行きを見守っていた王宮医が口を開いた。
「王宮に住まわれるのでしたら、私の命が続く限りお側にいることをお約束しましょう。それにね、今のマリア様に必要なのは同性の話し相手かもしれません。女性の心は女性にしか分かりませんからね」
王宮医は立ち上がり、ゆっくりと頭を下げて執務室を出て行った。
アレンが改めてトーマスに言う。
「さあ、今のマリア嬢はお前を兄とは思ってないみたいだろ? まずはそこからだな。僕は引き続きあの時の令嬢を探す」
促されたトーマスは、笑顔を無理に作って腰を上げた。
アレンにはその泣き出しそうな笑顔が、痛々しく見えるのだった。
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