津田グループ 日本最古のカタログショッピング!

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「ちっさ!」  明治九年のこと。    農業工学者の津田仙は、祖国のトウモロコシの小ささにドン引きしていた。 「なんだこれは! 粒がどれも小さすぎて、食べごたえがないじゃん! アメリカを見習わんかい! あのでっかくて、甘みのあるもろこしを!」 「コーンフレークにしたらグゥレイト、ですわお父様!」  娘の梅子も、母国産トウモロコシの出来栄えに不満を漏らす。 「ダメだな。梅子よ、このままでは農業において、海外に負けちまう! 根本的に品種改良せねば! しかし海外からのトウモロコシなんぞ、どうやって取り寄せれば……そうだ!」  津田仙は、海外産トウモロコシの種の出荷先を、雑誌に乗せることにした。 「どうも、津田仙でございます! 今回ご紹介するのは、こちらっ! 米国産のトウモロコシ! 見てください、この粒の大きさ!」 「さっそく食べてみましょう……うーん、おいしいですわ! 国産のトウモロコシより、断然大きくって甘みもすごい!」 「そうでしょう! 食べ応えが、バツグンなんですよ! 腹持ち最高! グゥレイト!」 「でも、お父様! お高いんでしょ?」 「通販ですからね。それなりの金額はしますよ。でも、みなさんにお買い上げいただくのは、実の方ではございません! 種苗でございます! なななんと、海外のトウモロコシを国産にしちゃおうじゃないかと!」 「まあ素敵! 母国でトウモロコシを生産できれば、いつでもグゥレイトなコーンフレークを作れるってことですわね!?」 「左様でございますよ、娘・梅子よ! 今なら郵便税込みで、なんと! 一〇銭でお届けいたします!」  当時、一銭の価値は、約二〇〇円。  アンパンの値段が、ちょうど一銭だったらしい。  つまり明治時代の一〇銭は、現代の価値でいうと約二〇〇〇円くらいであろう。  令和の五〇〇〇円紙幣、津田梅子の半分くらいの価値だ。   「まあお父様! 一〇銭で、大きなトウモロコシを育てられますのね!?」 「そうなんですよ! みなさんも一緒に、大きな国産の、『国産の』! トウモロコシを、育てましょう!」 「先行投資ですわ! お父様、ありがと~ですわっ」 「今すぐ、郵送でご連絡を!」  こういった文言を、農業雑誌に掲載して、料金を募った。  これが、日本最古の通信販売である!  後に津田仙は、他の農作物を通販で売っていった。    ただ、津田仙が通販を普及させていたのは、まだ農業関係者のみ。  高島屋が通販を始めたのが、明治三三年。  三越が電話による通販を始めたのが、明治四四年である。    そこから考えると、いかに津田仙が時代の先を言っていたのかがわかるはずだ。     (若干の脚色はございます)
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