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20.天津神
20.天津神
まるで勇気を示すかのように力強く叫んだ瞬間、光義の手は自由になり、操られていた体は束縛から解放される。
「か、体が動く。もう金縛りがなくなったぞ!」
「馬鹿な、ワシの呪いがこうも容易く解けるなど、そんな事があってたまるか!」
信じられないと驚く首切り坊主だったが、そんな疑問に応えるかのように、家の中から一人の少女が姿を現す。
「もう終わりです、邪神の力でこの世に蘇りし悪意ある怪異、首切り坊主よ。汝に相応しい闇の世界に帰るがいい!」
「お前は……ば、馬鹿な?」
玄関のドアから現れた女性が光義の妹の伊勢間紀保子であるという事実を知り、首切り坊主は信じられないというような目を向ける。
「そんな馬鹿な、あり得ぬ、あり得ぬわ。お前には確かに、自室で首を搔き切って自決をしろと命令したはずだ。なのになぜ生きている。呪いを受けた、ワシの命令は絶対だ。なのになぜだ、なぜだぁぁぁぁぁ!」
大絶叫する首切り坊主に、妹の紀保子は淡々とした口調で言う。
「人間への精神支配はなにもあなたの特権じゃありません。それくらいの事なら私も出来ますから。なので紀保子ちゃんが首を搔き切る前に、精神を操ることなど造作もないです」
「そうか、お前は暁の神か。その小娘の体を操って、見事救って見せたと言う事か」
「ええ、そういう事です。幸い彼女が私の力が及ぶ射程距離内にいて良かったです」
意識の無い紀保子は無機質に笑うと、後ろ手に隠してある美少女フィギュアのご神体を首切り坊主に向けて堂々と見せつける。
両手に抱えられているご神体フィギュアは神々しい光を放ち、その眩い光から逃げるかのように首切り坊主はすぐさま闇の中へと距離を置く。
「くそおぉぉぉ、暁の神、アマテルめ、ワシの前に姿を現す事のできる概念はもう既に出来上がっているのだろ。だったら姿を現して、このワシと勝負しろ。隠れているとは卑怯だぞ!」
妹の紀保子を激しく睨む首切り坊主に、暁の神・アマテルは毅然とした声でいう。
「フフフ、もう勝負は決している事に気が付かないのですか。人間から、いいえ、私の氏子から目を離し、注意を私に向けた時点であなたの負けは決定したのですよ」
「なんだとう?」
ハッとしながら光義の方を向いた瞬間、光義の口から勢い良く何かの液体が首切り坊主の顔へとかかる。
本来なら素通りするはずのその液体はなぜか霊体でもある首切り坊主の顔へとかかり、肌や体へと付着する。
「なんだ、この液体は、これはただの水ではないな。一体なにをかけた?」
謎の液体をかけられた事で冷静さを失った首切り坊主は、この液体の正体に気付く。
「これは、まさか!」
「そうだ、それは神明神社の手水舎で汲んできた水に、神にお供えし清められたお米と、伊勢の海から取り寄せた粗塩をブレンドした首切り坊主に対抗できる特別品、それがペットボトルの中身だ。三分の一の水に粗塩を混ぜて、その中にお米が少量加えられているから、そのペットボトルが顔に激突した時はかなり痛かったが、お前に気づかれる事なく手元に届いて良かったぜ。お陰で至近距離からお前の顔面に、この粗塩入りの神水で混ぜこまれた、お米入りのダシ汁を直接吹き付ける事ができた」
「お米のだし汁だとうぅぅぅ、馬鹿な、馬鹿なあぁぁぁーーぁぁ!」
「首切り坊主、お前の過去は、あの廃寺の近くにある図書館で見つけた古い書物からその弱点を探り当てる事ができた」
「なんだとう……」
「首切り坊主、死ぬ間際の生前のお前は、恩を仇で返してしまった心の醜さと、塩と米を盗み、人を殺してしまった罪悪感とで僧侶としては絶対に許されがたい罪の意識を心に刻み込んでしまった。その証拠にお前は、無意識的に塩を極端に嫌っていたからな」
「その古い書物に書かれている事など、なんの信憑性もないのに、たったそれだけの理由でその話を信じたのか」
「他に手はなかったからな。それだけ俺は追い込まれていたと言う事だ。僅かに残された可能性から検証し、仮説を立て、些細な事も見逃さないと思ったから、生前お前が抱いていた善意ある苦悩を信じて、この書物に書かれてある出来事を信じる事にしたんだ。生前のお前は、お米と塩に罪の意識を感じていると思ったから、罪や後悔から切り離されて悪霊と化したというのなら、再び己の罪を記憶として返してやればいいと思ったんだ」
「あり得ぬ、あり得ぬわ、ワシに罪悪感が、罪の意識が、芽生えるなど、そんな事があってたまるかああぁぁ。せっかく死してようやく後悔や戒めを切り離す事ができたというのに……あり得ぬわぁぁ!」
「もう終わりだ、首切り坊主。お前の顔や体から白い煙のような湯気が出だしたぞ。お前の弱点を探り当てた事で、その邪悪な霊体を消滅させる事のできる概念が生まれたと言う事だ。つまりはアマテル様がお前に最後の印籠を渡すのだ!」
「高々人間ごときが、粋がるな。ならば最後にお前を道連れにしてくれるわ!」
最後のあがきとばかりに鎌を振り上げ襲い掛かる首切り坊主だったが、光義の心臓の脇から素早く伸びる日本刀の一突きが首切り坊主の胸を捉える。
「ぐっはあぁぁ、そんな馬鹿な、馬鹿なあぁぁぁぁぁぁ!」
首切り坊主は自分の胸に突き刺さる日本刀を食い入るように見る。
「あああぁぁ……罪が……忘れていた罪の意識が……心の中に舞い戻って来る……」
いきなり光義の背後から出て来た日本刀の刀身に胸を貫かれた首切り坊主はその衝撃にしばらく悶絶すると、体が消し炭のように消えていく。
「消える……生前に感じていた罪の意識と混ざりあって……ワシの存在が消えてしまう……うっわああぁぁ、邪神様あぁぁぁぁぁぁ!」
「消えた、首切り坊主が、煙のように消えやがった」
消滅を見届けた光義の横にご神体と同じ姿をした、暁の神・アマテル様が静かに並ぶ。
(こいつがアマテル様か。肉眼で初めて姿を見たが、なんだか可憐で可愛らしい姿をしているな)
初めて姿を見た光義は不敬にもそんな感想を抱いていると、いつ言葉を発するのかと注意を向ける。
だがアマテル様は言葉をかけてはこず、ただ黙ってその場に佇んでいるだけだ。
(くそ、隣にいるのに、何も話さないのか。なら俺の方から話をしてやる!)
「あの~あなたがアマテル様でしょうか。助けてくれてありがとうございます」
緊張しながらも声をかけてみたが、なんの反応もないようだ。
その場の気まずさに光義がホトホト困っていると、暁の神アマテルは消滅したばかりの首切り坊主のいた箇所をそっと指差す。
「そこに、なにかあるのか?」
光義が駆けつけて見ると、そこには胸の辺りに風穴の空いた、首切り坊主のフィギュアがそっと落ちていた。
光義はその首切り坊主のフィギュアを拾い上げると、意味が分からないとばかりに暁の神アマテルの方を見る。
「これは一体どういう事だ。このフィギュアはなんだ。これじゃアマテル様と一緒じゃないか?」
話しかけても語らない半透明の姿をしたアマテル様の代わりに、倒れている妹の紀保子を介抱する高円寺神奈が話し出す。
「アマテル様の言葉をそのまま伝えるわね。光義、苦難を乗り越え、よくここまで頑張りました。謎を解明し、弱点を探り当てた事は称賛に値します。そしてそのフィギュアの事ですが、それは闇に魅入られた幾多の怪異達が、邪神様と呼ばれる邪悪な神の力によって、この世に体現する為に作り出された形代です。つまりは私と同じように、首切り坊主にもご神体があると言う事です」
「ご神体だとう。じゃなにか、その黒幕ともいえる邪神様とやらは、怪異の者たちに体を与える事ができるというのか。しかもその媒体が寄りにも寄ってフィギュアとは、なんの冗談だ。その邪神様は五助爺さんと同じようにフィギュア作りが趣味だとでもいうのか。いい迷惑だぜ!」
「なぜご神体がフィギュアなのかは分かりませんが、おそらく現代の若者の思考や流行りに合わせて作り上げているのでしょう。悪意ある人間に闇のご神体を渡すのなら、仏像ではなく、フィギュアの方が受け取って貰える率が高いでしょうからね」
「そして、その邪神様とやらがこの世に現れるという事を、天照大御神は予測していたから、五十年前に、巫女であるトメ婆さんに八咫の鏡の欠片を託したのか」
「そう言う事みたいね。そして邪神様の活動により、その野望阻止の役目は、孫である光義くん、あなたに託された。この世に溢れる幾多の怪異達を闇に返す為にも、私と共に戦いなさいと、アマテル様は言っているわ」
「いや、それはさすがに無理過ぎるだろ。あの首切り坊主にも苦戦していたのに、あんな化け物級の妖怪たちと意味もなく戦ってたら、命が幾つあっても足りはしないぜ!」
神奈が代弁するアマテル様の言葉に意気消沈する光義に、神奈は元気な声で励ます。
「大丈夫ですよ、光義くん、なんとかなります。あなたには暁の神・アマテル様が憑いているんですから、人々を守る為にも立ち上がってください。それが神様より力と使命を授かった者の務めです」
「務めねぇ、嫌な務めだな」
「神に仕える巫女として、及ばずながら私も協力しますから、一緒にアマテル様を支えて行きましょう!」
「アマテル様……か」
光義はにこやかに佇むアマテル様を見つめると、運命的に巻き込まれた自分の使命に思い悩むのだった。
第一章 首切り坊主編、終わり。
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