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もうすぐで、24になろうとする季節。
王族で唯一のオメガだったリュートは、家族から忌み嫌われ、王族の罪人が閉じ込められていた塔のてっぺんに追いやられるように暮らしていた。
自分の暮らす国では、オメガは家畜以下、子を孕む道具、もしくはアルファの性欲処理としてしか見られない。
なので王族にオメガが生まれたことは恥だった。
と言っても、リュートはオメガであっても発情期も極軽く、ベータと然程変わらなかった。
そんな中、一年のほとんどが冬であるノルレベク王国から同盟国であるガリア王国にオメガを国王の妻にと求婚状が届いた。
王族にオメガはリュートのみ。
後宮があると聞いた。
きっと若い男女がいる中で、背は180と高く、痩躯で度があっていない眼鏡をかけ、平凡な見目の自分には見向きもされないだろう。
もしも何ヶ月も閨が無かった場合、離縁でもしてもらって一般市民にでもなってもいいかもしれない。
国に帰っても、一生塔で暮らすのなら、身分など捨てて下働きでも雇ってくれそうなところがあったら働きたい。
塔での掃除洗濯は、幼少から全て自分でしていたので料理以外はなんとかできる。
政略結婚である以上、オメガである自分に決定権や拒否権など無い。
従うことしか出来ない。
なるようにしかならないと思いながら、少ない従者と共にリュートはノルレベク王国へと向かった。
「リュート王子殿下、遠路お疲れ様でございました。リュート王子殿下付きの侍従を務めます、ヒェルと申します」
褐色の肌をした壮年の優しそうな男が頭を下げた。寒い国なので厚手の衣を着ていた。
「ヒェルさん、ありがとうございます。不慣れではありますが、こちらこそよろしくお願いします」
会釈すると、ヒェルは少し驚いたように、「恐れ多いお言葉、恐悦至極でございます」と嬉しそうに微笑んだ。
「我らが陛下は、一週間後の婚礼の儀に、礼拝堂でお会いになられます。それまでは、どうぞごゆっくりとお寛ぎくださいと御伝言を仰せつかっております。何かご入用なものがございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
すぐに会うのではないのか。少し気が抜けた。
一週間というのは長いようで短い。
出来れば会って、早々自分のこれからを決めてほしかった。
「……ありがとうございます」
「殿下のお住まいになられる宮はこちらでございます」
本宮から少し歩いたところに後宮があり、緑豊かで、とても豪華な作りだ。
最盛期には20人以上の側室がいたそう。
しかし今は静かだ。
まるで誰もいないかのように。
キョロキョロと見ていたら、ヒェルが「珍しいでしょうか?」と微笑んだ。
「あ、そうですね。あと、やけに静かだなと。王后陛下や他の側室の方は?御挨拶をしておきたいのですが……皆さんどこかに行かれているのでしょうか?」
「いいえ。リュート様以外此処には誰一人と住んでおられません。今上王陛下は、正室様だけしかお側に置かれないとお決めになられておりますのでリュート様は王后になられます」
「……は?」
何かの聞き間違いかと「え?もう一度すみませんが?」と聞き直した。
ヒェルは嫌な顔をせずに「リュート様は陛下のたったお一人の御后様でございます」と、にこやかに言った。
「は!?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまい、冗談かと、もう一度聞き直そうかと思ったが、ヒェルが嘘をつくことは無いだろう。
「てっきり俺は数多の側室の一人なんだと思ったんですが……」
「いいえ。こちらの後宮は全て殿下だけがお住まいになられます」
一体どういうことだ。出立する前に聞いていた話と違う。確か王后が一人、側室が何十人といると聞いていた。
「俺だけ……というのは……いくらオメガでも……俺は孕めるかわかりませんよ」
ヒェルは悲しそうな顔をして「殿下」とこぼした。
関係のないヒェルに話したところでどうにもならない。自分だけを娶ると言っている変わった国王に言わなければならない。
「長旅でお疲れですので、お茶を淹れましょう。お口に合うと良いのですが」
椅子に座るように言って頭を下げてどこかへ行ってしまった。
リュートは、椅子に座ってため息をついた。
考えても仕方がないが、どんどん悪い方へと考え込んでしまう。
「どこかお具合が悪いですか?それとも何か困り事ですか?」
突如聞こえた幼い声に、リュートはハッとして顔を上げた。
そばに12、3くらいの少年が立っていた。
漆黒の艶やかな髪に、一際目を引く赤か紫か独特の色をした瞳をしている。
何処にでもいる同じ歳の子供とは少し違う。なんと言ったらいいのか、聡い、落ち着いた雰囲気を纏っている。
王宮勤めしているとこうなるのだろうか。
ヒェルと同じデザインの同じ色の侍従服を着ていた。
リュートは左右にざっと頭を振って微笑んだ。
「あぁ、いや。なんでも無いですよ。後宮の侍従ですか?」
「はい。そうでございます。殿下、私に敬語は不要でございます」
「あ〜、うーん。君は……あ、名前なんて言うんですか?俺はリュートです。殿下って呼ばれ慣れて無いから名前で呼んでくれますか?」
少しオロっとして、少年は「私はネネと申します。よろしくお願いいたします、リュート様」と頭を下げた。
「よろしくお願いします、ネネ君」
「ネネとお呼びください」
リュートは「ネネ君って可愛いからそう呼ばせてください」と笑った。
「男の子に可愛いって駄目でしたかね?」
「いいえ、リュート様のお好きにお呼びください」
ネネは少し恥ずかしそうに、はにかんだ。弟がいたらこんな感じだったのだろうかと、ほっこりする。
そして、リュートは「えっと……なんでも無いって言いましたけど、困り事は実はあって……俺の独り言だから聞き流してくれますか?」とポツリと言った。
「さっき、ヒェルさんに、ここには俺しかいないって聞いたんです。俺はてっきり何十人もいる側室の一人だと……陛下はどうお考えなんでしょう。俺だけなんて周りが許さないのでは?俺はオメガといっても発情期も軽くて、ベータよりも等しいんですよ。陛下の子を孕めるかもわからない。それに、俺に王后なんて厚かましいにも程がある。陛下はアルファです。アルファにはアルファの王后が隣に立つべきだ」
はぁと息を吐いて、リュートは頬杖をついた。子供に愚痴ったところで何もならないが、誰かに聞いて欲しかった。
「リュート様は……陛下の后になられるのはお嫌ですか?」
「あ、いや。そうじゃ無い。俺なんかが烏滸がましいっていうだけですよ。陛下にならいくらでも王后や側室になりたい人はいるでしょう?俺なんかじゃなくて。俺はね、自分の国でオメガだからって理由で塔かは外に出たことが無かったんです。俺の国では、それだけオメガはそういう扱いなんです。多分陛下のお耳にも入っているのではないかな?そんな蔑まれる性の俺が陛下の陽の元は眩しすぎるんですよ。すみません、俺の独り言ですから忘れてください。まあ、俺に発言することなんてできないので、決まったことはどうすることも出来ない……陛下がうしろ指指されないか哀れにならないか……俺なんかで」
テーブルにティーカップが置かれ、リュートは「ありがとうございます」と口にする。
「美味しい!お茶淹れるの上手いですね」
ネネは嬉しそうに微笑んで、「お手に触れることをお許しください」とリュートの手を握った。小さいが温かい手だ。誰かに触れたのはいつぶりだろう。
握られた手から体中に幸福感がじんわりと伝わってゆく。
「陛下はそうは思われませんよ。ずっとリュート様が来られるのを待っておられたんです。ずっとソワソワしておられたんですよ。リュート様がこの国で不自由が無いように輿入れが本決まりになる前からずっと色々とご用意されていました」
「??俺陛下と会ったこと無いんですけど、何処かで会ったことあったんでしょうかね?」
ネネは意味深に微笑んで「陛下にお訊ねください」と菓子も小皿に盛って置いてくれる。
リュートは一人だと味気無くて、「ネネ君、俺と君だけだから一緒に食べませんか?」と前の空いている席を人差し指でコツコツと叩いた。
ネネは少し躊躇ったが、リュートが「誰か来たら俺がちゃんと言うから」と座らせた。
「いつも一人だったから誰かと向き合って食べるのが嬉しい」
何気無く言ったのに、ネネは悲しそうな顔をしてリュートを見つめた。リュートは話題を変える為に、ネネにこの国のことを時間が許す限り教えてもらった。
ネネも楽しそうに教えてくれるので、ヒェルが来るまでずっと話に夢中になってしまった。
*
ヒェルが急足で、部屋へと戻って来る。
リュートに頭を下げてネネに声をかけた。「総侍従長がお呼びです」と言うと、ネネは「今すぐでしょうか?」と訊ねた。「今すぐです」とヒェルが言うと、名残惜しそうに立ち上がった。
「申し訳ございません、リュート様。私はここで失礼いたします」
ネネが王宮へ一旦戻るということで、リュートは見送る。
「ネネ君。着いた早々色々すみません、あと、ありがとうございます」
「リュート様、私は全く嫌ではありません。貴方が来てくださることに、とても心待ちにしていましたし、実際来てくださってさらに嬉しく思っています」
励ましかと、リュートはふふっと笑った。
「君がそう思ってくれて俺も嬉しいですよ。最初に会ったのがヒェルさんとネネ君で良かった。ありがとうございます」
リュートの片手を握って、ネネは「また」と笑って行ってしまった。大人びて、少し不思議な子だなと思いながらリュートはその小さな背中を見えなくなるまで見送った。
*
「リュート様、お時間でございます」
ヒェルに導かれ、真っ白な婚礼衣装を身に纏ったリュートは、大聖堂へと向かう。
たくさんの招待客の中、リュートは国王が待つ祭壇へとゆっくりと進んだ。
あっという間の一週間だった。
けれども、最初に会ったネネが今日まで姿を見せなかった。
忙しいのかなと……寂しいなと思いながらも、自分が会いたいと言って仕事を煩わせるのは忍びない。もしかしたら、後宮の侍従では無かったのかもしれない。
ヒェルがいてくれたので不自由は無いのだが、出来ればもう一度ネネに会いたかった。
不思議な気持ちだった。
誰かを待ち侘びる、逢いたいと思うのは。
だが、後宮にいればいつかは何処かで会える可能性もある。
考えていたら、視線の先に純白の衣装が映った。
国王だ。
膝を折ろうとしたリュートに、両手が差し出された。
大人にしてはやけに華奢で幼い。
そっと自分の手をとられ、その握られた手を凝視した。
「会いたかったです」
見覚えのある声。リュートはハッとして顔を上げた。
そして息を呑んだ。
目の前には、リュートと同じ純白の婚礼衣装を着たネネが立っていた。
どうしてネネがここにいるのだ。
侍従では無かったのか。
「あれ?ネネ君?」
惚けた声で訊ねてしまったが、ネネは悪戯が成功した子供のように楽しそうに笑っている。
ああ、この笑顔を、顔を見たかった。
避けられていたわけではなかったことに安堵した。
「またと言ったであろう?しかし今日まで一切会わず黙っていて申し訳なかった。国王としての自分では無く、素の自分と会って欲しかったのじゃ。騙したようになって申し訳ない」
普段はそう言う話し方なのか……いや、まさかのネネが国王。リュートは開いた口が塞がらない。
「またってそういう……ネネ君、君は国王陛下だったの?」
「貴方の夫となるエイリークじゃ。ネネは家族にしか呼ばれぬ特別な名である。貴方にも呼んで欲しかったのでそう名乗らせてもろうた」
「あー、じゃあネネ君ってこのまま呼んでもいいのかな?」
「是非そうして欲しい。リュートさん、私は12とまだ幼い。けれどすぐに貴方と釣り合うように大きくなります。だから私のそばにいてください」
リュートは、ふっと笑った。
「結婚式でプロポーズですか?ふふ、斬新ですね、ネネ君」
ネネは少し戸惑ったような顔になって「すまぬ。順番をまちごうてしもうたか……急いては事を仕損じるとはこのことか……ヒェルにも怒られた」としょんぼりし始めた。ヒェルも共犯か。
リュートはネネの手を握って笑った。
「君には後でいっぱい聞きたいことがあるんだ。とりあえず今はこの状況だし、後で覚悟して置いてください」
「ふむ。離婚以外の事ならば聞こう。リュートさん、私の元へ来てくれてありがとう」
「本当に俺でいいんですね?残念ながら君が大きくなったら俺はおじさんになってますよ」
「貴方が歳を重ねようとも関係無い。貴方しか私は結婚したくない。他の者などいらぬ」
どうして俺なんだと、今すぐに聞きたかったが、婚儀を中止させるわけにはいかない。
このまま進めばネネと結婚してしまうが、リュートは心の中で嬉しい気持ちでいっぱいだった。
誰かに必要とされることがこんなにも嬉しいとは。
そして幸福の花びらが舞っていた。
まさかこんな驚きが控えていたとは……。
「貴方を一人にはせぬよ。ずっと私がいます」
優しい声で言われ、リュートは目を瞠って、そして微笑んだ。
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