悪漢執事と盗癖令嬢

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  「ほう」  老執事が短く呟き、ふたりの(あいだ)に緊張感が走った。 「この場にあっては言い逃れも逃亡も難しいかと存じますが、よろしいのですかお嬢様」  詰問に近い口調に、ガーベラはしかし余裕の態度を崩さない。 「よろしくってよ爺や。だってまだ六度目ですもの」 「それは、あー……然様で、ございますが」 「誰にも見咎められずこの万年筆を盗み出すこと。爺やに七度ばれたらお父様に報告される。私たちの(あいだ)の取り決めはそれだけよね?」 「それは……然様で、ございます、ね」  つまりこの状況はどうなるのだ? そもそも自分は目撃者に数えるべきなのだろうか。目撃者の前で逃亡を図った場合はどう判定する? ルールの詰めの甘さを突かれた。老執事がそれらに思いを馳せた刹那、ガーベラは窓硝子を蹴り割って中庭へと飛び出した。虚を突かれた彼が硬直した一瞬の隙にその姿は物陰まで駆け失せる。 「な……」  しばし絶句してから、老執事は深く深く溜息を吐いた。  モノを壊してはならないと教えて来た。  誰も傷付けてはならないと教えて来た。  窓の硝子を割りたいという提案を、けが人が出るかもしれないからと却下したことすらあった。  それを忠実に守って来た彼女が、今この場の刹那の判断で庭に居るかもしれない使用人や自分が傷つくのも構わず窓を破壊し、見事に逃亡してみせた。  それはしてはならないと教えて来たし彼女も今までそれを遵守してきたが、同時にものでもない。  不正は無かった。  褒められた行動でもないが、これもまた臨機応変というやつだろう。 「どうにも俺は、とんでもねえ怪物を育てちまってるらしいな」  老執事は人知れず素に戻ってぼやいていた。
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