ここで結婚式

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「おたがい三十歳まで独身だったら、結婚しよう」  別れる時、彼女はそう約束してくれた。  付き合い始めた頃は、サヨナラなんて思いもしなかった。  同い年、同じ出身地、同時期に上京。  しかも、歩いて行ける距離にアパートの部屋を借りていた。  そんな二人がバイト先の居酒屋で偶然、出会ったのだ。  強力な磁力が働いたのだと思った。  離ればなれになるはずがないと思った。  彼女はかけもちでコンビニのバイトをしていた。  二年後、ニューヨークへダンス留学する資金が貯まった。  お金のない僕は東京に残るしかなかった。  別々の道を進む時が突然訪れた。  落ち込んだが、僕には希望があった。 「三十歳になったら結婚できる」  僕はわき目もふらず働いて、貯金した。  あっという間に五年が経った。  三十歳を前に初めてパスポートを申請しに行った。  生まれて初めて国際線に乗った。  そして今、モンゴルの砂漠の真ん中にいる。  ここが、彼女が待ち合わせに選んだ場所だったからだ。 「五年後の今日、ゴビ砂漠の真ん中で結婚式を挙げよう」  彼女が空港でそう告げた時、僕は涙でぐちゃぐちゃだった。  でも、その約束の場所だけはハッキリと心に刻んだ。 「まさか、こんなに広い砂漠だったとは!」  来てみて、驚いた。  聞けば、この砂漠に日本が丸ごと三つ入るらしい。 「だいたいここが真ん中デス」  ツアー業者はそう告げると、僕をヘリから降ろしてさっさとUターンして帰ってしまった。 「ホントかよ?」  どこにも「真ん中」の目印はなかった。  砂丘しか見えない地平線が360°の大パノラマで繋がっていた。  暑い。なのに、寒気がする。 「死ぬかもしれない」  そう思った。夜になるとグンと気温が下がるらしい。  もし、彼女がもう結婚していたら?  その可能性は大いにある。  でも、そのことは考えないようにして生きてきた。  僕は何を根拠に自信満々でバイトして、その貯金をはたいてここまでやって来たのだろう。  胸ポケットには指輪の小箱が入っている。  もしかすると、これは約束ではなかったのかもしれない。  ありえない待ち合わせの場所を選んで、彼女は僕に永遠の別れを告げたのかもしれない。  そんなこと、今になって気づくなんて。  頭がクラクラしてきた。 「サハラ砂漠の真ん中で」  そう言われていたら、僕だって冗談だと思ったかもしれない。 「真ん中ってどこだよ!」  そうつっこめたような気がする  サハラはでっかいイメージがあったから。  ゴビ砂漠なら、何だかありえる気がした。  鳥取砂丘より少し広い程度だと思っていた。 「世界は思ったより広いぞ!」  三十歳になった僕が今日、学んだことだった。  「世界は広いぞーッ」と叫びたくなったけど、バカみたいなのでやめた。  この砂漠の砂塵が黄砂として日本まで届くそうだ。  僕はその砂に混じって日本へ帰りたいと思った。  灼熱の太陽がジリジリと背中に照りつける。  その日射しも次第に傾いてきた。  それでもまだドキドキしながら待っていた。望みは捨てていなかった。  夕暮れが近づくと、風が出てきた。  汗や砂が目に入り、開けていられなくなる。  ペットボトルの水はあと少し。  美しくオレンジ色に輝く地平線とは反対に、僕の心は一足早く暗く沈んだ。  少し歩くだけで足がふらつく。  遠くの低い空にサーチライトを灯したヘリの機体が見えた。  そうか、あらかじめ迎えの便を頼んでいたのだ。  ヘリは近くの砂丘の裏側に着陸した。  僕は力なく膝をつき、両手で砂を掴んだ。  手の甲に涙がこぼれ、砂地に沁みこんでいく。 「こんな場所まで来て……」  自分のバカさ加減を知り、胸がグッと苦しくなった。  ポケットの中の指輪の小箱を虚しく感じる。  いっそ、この砂漠に箱ごと埋めて帰りたい気持ちになった。  ふと顔を上げると、砂丘の上に人影が見えた。  サラサラのショートボブの髪が乾いた風に吹かれている。  彼女によく似た髪型だと思った。  きっと幻を見ているのだろう。  蜃気楼というやつなのかもしれない。  人影が手を振っている。  誰に? 僕に? 「おーい!」  その声に懐かしさを覚えた。  もう一度、しっかりと目を開いて人影に焦点を合わせた。  「あっ」と声が出た。  強力な磁力が再び働いたのだと思った。  約束の場所は間違っていなかった。 「だいたいここが真ん中デース!」  砂丘の裏側からツアー業者の声が聞こえてきた。  僕はカラカラの喉で精一杯の声を張り上げた。 「おーい!」 (了)
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