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皆が皆スポーツ好きなわけじゃない
「きぃぃぃぃぃっ!!!」
女は叫んでいた。猿もドン引きなレベルで。彼女にとって大事件が起こっていたのだ。今まさにテレビの番組表を見ながら、暴れ出さんとしている。
「なんでっ!!??」
怒りが頂点に達し、触れるもの皆傷つけんとする勢いで、リモコンを持つ手を振り上げる。
「なんでっ!!野球中継なのっ!!!???ドラマは!?!?」
叩きつけられた勢いでチャンネルが変わる。最近話題の芸人が、ひな壇で滑っている。そんな場面を前に女は机に突っ伏して絶望していた。彼女にとって、週に一回のドラマは人生最大の楽しみであり、オアシスであり、楽園であった。それを望みもしない野球中継に奪われたのである。
「きぃぃぃぃぃっっ!!!」
再度悲鳴が上がったかと思えば、今度は電池の切れたおもちゃの如く、ばったりと動かなくなるのであった。
「もうダメだ。何もやる気が出ない」
こうして彼女の虚しい水曜日は幕を閉じたのである。
それから2日経ち、金曜日になった。女が日課の情報番組をつけると、なんと野球中継の映像が流れている。キャスターやら、応援サポーターやらが勝利した喜びを顕にしているのを見て、沸々と怒りが湧き上がってくる。ビールを浴びている選手も、話を聞こうとしてびしょ濡れのキャスターも、全員日本海に沈めてやりたい。女はそんなモヤモヤを抱えながら、仕事へ向かったのであった。
「人の楽しみ奪っといておめでたい奴らだわ・・・」
ついぞ、そんな愚痴が零れそうになる。職場では特に問題もなく、時間が過ぎていく。その帰り道のことだった。
いつも通りにスーパーで買い物をする。
「ねぇ、この間の試合見た?」
「凄かったわねぇ!」
そんな会話が聞こえてきて、手が震える。昼間忍んでいた怒りが再び顔を出し始めたのだ。ここにいてはいけない、早く帰ろうとさっさと買い物を済ませようとした時だった。
「呪いましょうか?」
後ろからそんな言葉が聞こえてきた。思わず振り返ると、長い黒髪の女が立っていた。癖毛なのか、毛先があちらこちらしている。左目は前髪で見えない。怪しい人に話しかけられたと思っていると、目が合ってしまった。
「わ、私に言ってます?」
「他に誰が?」
それもそうかと、何故か納得してしまう。
「私はこういうものです」
女は名刺を差し出した。『呪い屋姐さん』とだけ書かれている。
「なにこれ?」
「呪うんです。貴女の代わりに」
「呪うって、そんな物騒な・・・」
「まあまあ、1度話を聞いてみて下さい。さ、着いてきて」
言われるがままについて行くと、喫茶店へ連れてこられた。よく分からぬまま席に着くと、
「マスター、コーヒー2つ」
勝手に注文されてしまった。コーヒーが運ばれてくると、1口飲み、呪い屋は女を見た。
「それで、貴女が怒っている訳は?」
「それは・・・別に人に話すようなことでもないんですけど・・・」
「いいから、いいから」
促されるので、女は野球中継のせいで好きなドラマが放送されなかったことを話した。それに対しいかに怒っているのかも。呪い屋は静かにコーヒーを啜りながら聞いていた。
「もう本当に信じられない!!」
怒り任せに話し尽くし、コーヒーを飲み干す。すると、黙って聞いていた呪い屋が口を開いた。
「その怒りを沈めるためにも、呪いましょう」
「怒りを、沈める?呪いで?」
呪い屋は自信有り気に微笑む。
「でも、そんなことできるの?」
「できますとも!おまかせ下さい」
呪い屋は紙を1枚取り出した。なにやらニョロニョロと赤色で書かれている。
「さて、誰を呪うべきだと思います?」
「え、えーと、あの時間に野球中継を流した人、とか、試合をあの日に決めた人とか?」
「ふむ、確かに、時間を決めた人を呪うが良さそうですね。選手やキャスターは悪くないですし」
呪い屋は黒い筆ペンでサラサラと何かを書き足していく。書き終えると、自分の髪を抜いて、真ん中に置き、紙を三角に折りたたんでいく。
「はい、お終い」
「もう?」
ニコリと笑い、呪い屋は紙を懐へしまった。
「お代は、そうですねぇ」
「お代・・・!?あの、そんなには・・・」
女の声を遮り、呪い屋は手を差し出した。
「500円で」
「500円!?」
「はい。特定の人物でもないし、というか、不特定多数過ぎて効き目の保証があまりできないので。」
「は、はあ」
女は500円を渡して、喫茶店を後にした。なんだか、分からなかったが、胸の中の怒りはすっかり消えていた。
「なんだか、すっとしたわね」
夕暮れ空の中、女は足軽に帰路に着いた。
「はい、マスター、コーヒー代2人分ね」
呪い屋は500円を喫茶店のマスターへ払った。
「毎度・・・」
マスターはレジへお金をしまい、コーヒーカップを片付けるのだった。
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