偽者

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偽者

 刑事さん。聞いてくださいますか。  そう……。(わたくし)が主人と出会ったのは、まだ学生の頃でした。  当時、北陸の田舎で育った私たちは、お互い本が好きで、図書館でいつも一緒になるうちに言葉を交わすようになったのです。  どちらも引っ込み思案でしたが、本の話となるととても会話が弾んで。  ええ。互いに惹かれ合うのにそう時間はかかりませんでした。  それからも、デートといえば図書館や本屋。  それから……献血センターで献血にもよく参りました。  そうそう。お菓子やお茶がございますでしょう?  お金のない学生の私たちにとって、あそこは喫茶店代わりだったんですね。  そこで「同じA型」と言う事がまた話のタネになったものです。  それから主人は東京の会社へ就職。  私達は長い遠距離恋愛を経て結婚したのですが、主人はずっと日本と海外を行ったり来たりで。  そんな二人でしたから、やっと夫婦二人、静かに暮らせますねと話していたばかりなんですよ。  なのに──。  *   *   * 「奥さん。旦那さんを轢き逃げした犯人は必ず捕まえますから」  消毒臭の漂う薄暗い病院の廊下──。  安西は、穴だらけのソファーで咽び泣く被害者の妻、梶原三枝子の痩せた背中をそっとさすった。  定年まであと僅か。  有休消化を考えると、現場に臨場するのも後数回だろうというのに、サツカン最後の仕事が轢き逃げとはな──。  安西は三枝子に聞こえぬよう小さく嘆息した。  これと言って、何も華々しい結果を上げる事の出来ないサツカン人生だった。  ハコ番からなんとか所轄署の刑事にまでなったものの、殆どがチンケな窃盗で。最後はこうやって交通課の応援に来ている。 「あの、すみません」  背後から声をかけられ、安西は我に返った。  振り返ると、そこには術衣を着た医師とひとりの男が立っている。  男は、臓器移植コーディネーターの山田と名乗り、安西たちに深々と頭を下げた。  脳死となった梶原の臓器を、適応する患者に移植する為にやって来たのだろう。  しかし、山田は酷く困惑した表情で安西たちを見た。  隣にいる医師も、マスクで顔の半分が隠れているにもかかわらず、下がった眉尻と眉間の皺が山田と同じく困惑している事を告げている。 「どうしましたか」  安西は、梶原夫人に代わって言った。 「実はその──」  山田は背中を丸め、上目遣いで安西を見ると続けた。 「梶原信二さんはドナーカードをお持ちだったので、私が馳せ参じ、カードも拝見したのですが。  先生によりますと、輸血の為、こちらに搬送された際に調べた血液型と、ドナーカードに記載されている血液型が違うそうなんです」 「はあ……」  安西は一瞬、それが何だと言うんだと思ったが、血液型が違えば、移植出来る患者も変わって来る。  書き間違えたのだろうか。  ふと、先程三枝子が話していた事を思い出した。 「そういや奥さん。よく献血に行かれていたんでしょう?」 「ええ。2人ともA型でした」 「ドナーカードにもそう書かれていたんですけど──」  マスク越しに、くもぐった声で医師が言う。 「でも、さっき調べたらB型なんですよ」 「そんな……!」  三枝子が立ち上がった。  それじゃあ、あれは一体誰なのだ。  ガイシャの面は、三枝子も確認し、間違いないと言っている。  同じ顔の別人だと言うのか。  安西は心がざわつくのを感じた。  これまでのサツカン人生で、こんな事は初めてだった。 「おい、磯山!」  安西は、ペアを組んでいる、眼鏡をかけた小太りの若い刑事を呼んだ。 「急いでガイシャの指紋を取って照会をかけてみろ。何か引っ掛かるかもしれん」  *   *   * 「安西さん!」  ほどなくして、磯山が体を揺らしながら病院の廊下を小走りにやって来た。 「どうだった」 「ガイシャの指紋、ヒットしました!」  磯山の顔は興奮で紅潮している。安西はその様子からただ事ではないと感じ取った。  肩を上下させている磯山に「落ち着け」と言いながら、自分も興奮で息が上がる。 「ガイシャは、東京に移って間もなく交通法違反のキップを切られてます! しかし──あのガイシャは木村治と言う男で、梶原さんとは別人です!」 「なんですって?」  三枝子は立ち上がった。  その顔からは血の気が失われている。 「あれは……私の夫ではないと言うのですか? そんな! そんな筈は──」  三枝子は混乱してるようだった。  ひょっとしたら、結婚した当初から別人だったのかもしれないのだ。  しかし、事はそれだけでは終わらなかった。 「安西さん」  磯山は安西の傍に歩み寄ると、耳打ちをした。  思わず鼻の穴が広がる。  それは安西が酷く驚いた時の癖で、若い頃は先輩によく「お前は目を剥かずに鼻を剥く」と言われた程だ。  安西は磯山に頷くと、「連れて来い」と言って、コーディネーターの山田に向き直った。 「山田さん。ご足労頂いたのに申し訳ないが、今回は見送って頂きたい」  山田はしょんぼりと肩を落としたが、分かりましたと言うと頭を下げ、磯山が走って行った廊下をとぼとぼと歩いて行く。  その場には安西と三枝子、医師の三人が残った。  医師は席をはずそうとしたが、敢えて残ってもらった。  磯山が戻って来るまでの間、三枝子と二人にはなりたくなかったのだ。  暫く三人は無言のままその場に立ち尽くしていたが、三枝子の肩越しに磯山が戻って来るのが見えた安西は、僅かに頷くと三枝子に声を掛けた。 「奥さん。あなたとご主人との間にお子さんは?」  三枝子は小さくかぶりを振った。 「私たちは夫婦二人っきりでございます」 「そうですか。妙ですね。今、こちらの女性にガイシャの面通しをして頂いたのですがね」  三枝子の前に、磯山に連れられた若い女が立った。  目を真っ赤に腫らした女が二人、状況が掴めないまま、これは一体何なのかと安西に視線を投げる。  安西は、若い女に会釈をすると、「敦子(あつこ)さん、ですね?」と確認した。 「ええ。あの……」  敦子はハンカチで鼻を押さえると、三枝子を手で指し示して言った。   「どちら様でしょう?」  明らかに、三枝子の顔色が変わった。  唇が戦慄き、敦子を見るその眼差しは化け物に遭遇したかのようだ。  安西が目配せすると、磯山はそっと、三枝子の横に立った。  それを確認して、安西は話し始める。 「こちらは、轢き逃げに遭った梶原さんの娘さんで、梶原敦子さんです」  三枝子は子供がいやいやするように首を振っている。  安西は構わず続けた。 「敦子さんが言うには、ガイシャは父親(・・)の梶原信二に間違いないと言うのですよ。  敦子さんが成人し独立するまでは、何度も海外赴任となった父親に母親と共に同行していたそうです。  しかし、あなたの事はご存じないと言う」  磯山が、ぐっと三枝子の肩を掴んだ。  そんな磯山の顔を、三枝子はじろりと睨む。  安西は三枝子の顔をの覗き込むと言った。   「──はて。貴女は一体誰なんです?」  *   *   *  自称・梶原三枝子。  本名・松本ルリ子は、翌日、詐欺、及び殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。  梶原信二の自宅の床下から、妻の三枝子の死体が発見されたのだった。  本件はまだ捜査中で全てが明るみに出てはいないが、  木村は何らかの理由で梶原と戸籍を交換。  梶原になりすまし、三枝子と結婚。娘、敦子をもうける。  そんな中、梶原になりすましていた木村と文通やメールを続けていたルリ子が上京。  ルリ子の証言によると、数ヶ月前の再会までに何年もの間が空いていたとは言え、木村の顔は梶原とそっくりで、別人であることに気が付かなかったという。  その為、梶原本人と思い込み、ルリ子は不倫関係となった。  娘の主人の話では、繰り返す海外赴任により夫婦は以前から不仲になっていた。それも後押しとなって、二人は共謀の上、邪魔になった梶原(木村)の妻を殺害するに至った。  と言うのが大筋であるとされている。  木村が娘の存在をルリ子に隠していなければ、ひょっとしたらルリ子は無罪放免となっていたかもしれない。  偶然とは実に恐ろしい。 「私から梶原を奪った女だから殺したのに。  そもそも愛した人が別人だったなんて」  取調室で、より一層小さくなった三枝子と──いや、ルリ子はそう言って咽び泣く。  安西はその細い肩を見下ろすと、きっぱりと言った。 「ルリ子さん。梶原さんが偽物であったとしても、貴女がした事は、紛れもなく、傲慢で、身勝手な人殺しだ──」  その瞬間、ルリ子は崩れ落ちた。  *   *   * 「さて、後は頼むよ」  安西は段ボールに私物を突っ込むと磯山を振り返った。  磯山は、腹を震わせながら泣いている。  安西はそんな磯山の腹を抓ると、女性警官から花束を受け取り、意気揚々とデカ部屋を出ていく。  そんな安西の背中を、磯山は目に焼き付けた。  
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