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1.ミヅキ
ミヅキというその青年と初めて会ったとき、農夫らしくない佇まいの人だな、と感じた。
まず、年がら年中、畑に出て農作業をしているはずなのに、日焼けの跡がほとんどみられない。癖のなさそうな髪も日光による傷みは微塵も見られず、黒々とした艶やかさで形の良い頭を覆うばかりだ。
白いシャツと黒いズボン。戦時下の今、色味のあるものを着ることは許されていないから、彼の装い自体におかしな点はないのだが、白皙と黒髪と合わせて見ると、人ではないなにか別の存在のように見えてしまう。
異質なものとして、世界から弾かれ、浮き上がってしまったもののように。
「あの」
あまりにも見つめ過ぎたからだろうか。ミヅキが居心地悪そうに声をかけてくる。はっとして彼を見下ろすと、彼が丁寧に頭を下げてきた。
「先生。この度は本当にありがとうございました。おかげさまで僕の村は皆、飢えずにいられます」
「いや……俺はただの助手だから。礼ならここの所長であるキダ先生に伝えてください」
とは言ったものの、上官のキダは軍本部へ行っている。おそらく帰るのは夕方だ。その間、研究所の案内、および、作業説明をするよう、キダから言いつかっている。
「まずはミヅキさんの今後の住まいへ案内します。荷物は……それだけですか?」
これから長い時間を過ごすことになると伝えられていたはずなのに、彼の手には風呂敷包みがひとつあるだけだ。
「ええ、これで全部です」
淡く笑むその顔に生活苦は滲んではいない。いないが、言葉の端々から感じるのは、民衆の間に広がっている貧困の影だ。
だからこそ、ミヅキもここへ来ることを頷いたのだ。
「ミヅキさんは……」
そう呼びかけたとき、ふっとミヅキが小さく笑みを零した。
「先生。僕はただの農夫です。研究所勤めの先生に敬称をつけられるほど立派な人間ではありません」
「……いえ。こちらはあなたに協力をお願いしている立場です。年齢も俺が下と聞いてますし」
この国の身分制度でいえば、軍直轄の研究所勤務の自分はヒエラルキーの上層に位置する立場ではあるのだろう。だが、ケイは自分が敬われるべき存在だとは全く思えなかった。
家族や友人と笑い合っていた村から彼を連れ去るような、非情な計画の片棒を自分は担いでいるのだ。そんな自分が敬われていいはずがない。
「呼び方を変えるつもりはありません。あと、俺のことも先生と呼ぶのはやめてください。俺はあなたにできることができない人間です。そのあなたに先生と呼ばれていいはずがない」
「けれど、ここでの暮らし方を教えてくださるのはあなたでしょう?」
さらりと言われ、暗澹たる気持ちへと傾き始めていた心の天秤が元の位置へと針を戻した。まじまじと見返したケイを、微笑みながらミヅキが見上げる。
「その意味であなたは僕にとって先生だと思います。ですから、そうお呼びすることをお許しいただけませんか?」
……本当に農夫らしくない人だ。
過ったのはそんな思いだった。
丁寧すぎるくらい丁寧な口調。人外の存在を思わせる整った容姿。
やはり、「神の手」を持つからなのだろうか。
「あなたがそう呼びたいとおっしゃるなら」
曖昧に頷くと、ミヅキは柔らかく笑んで、ありがとうございます、と頭を下げてきた。
その彼を伴い、ケイは研究所の建屋の中へと歩を進める。
石造りの床にかつかつ、と自分達の足音ばかりが響く。空気は冷たく、明り取りの窓は小さく、建物の中は仄暗い。小窓からの慈悲のようなささやかな光を目で追うように、ミヅキはケイの後ろからついてくる。
「ミヅキさんがここへ来ることを、村民の皆さんは許さないのではないかと思っていました」
そう言うと、窓に向けられていた彼の視線がこちらに戻って来た。
「どうしてですか?」
「あなたがいれば、村は飢えずに済むでしょう」
そう言ったとたん、ふっと彼の顔に影が落ちた。すうっと笑みが顔から剥がれ落ちていく。
「そうですね。僕が万能であれば……きっとそうだったでしょう」
「万能、ですか? しかしあなたの力は人を超えたものでしょう。あなたの手にかかれば、どんなものだろうと成長させることができる。まさに……」
「先生」
神の力だ、と言いかけたケイをミヅキが遮る。芯に氷を抱いているかのような冷たい声音だった。
「僕は僕の力を尽くし、成果を出します。ですからどうか、先生たちも約束を違えないでください」
「あなたの村への永続的食糧供給ですよね」
もちろん、わかっている。契約した以上、こちらも役目を果たさなければならない。
「もちろんです。俺が責任を持って約束を守ります」
「……よかった」
呟いた彼の顔には再び笑みが戻っていた。それにほっとしつつ、ケイは足を早めた。
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