0人が本棚に入れています
本棚に追加
その日の夜、暗い兄の部屋で兄の代わりにベッドによこたわる千晶人形を冷めた目で見下ろした。
きっとこの先も兄の服を着て兄のふりをしてこの家に居座り続けるのだろう。
この人形がいなければ、母も父も楽になるだろうか。
そんな考えが頭を過る。
ずっと静かだった私の心に、沸々と湧き上がるものがあった。
兄がいなくなって悔しいのは母だけじゃない。
人形になった兄を育て続ける母は、私をないがしろにしているわけではない。
だけど兄がいるように振舞うよう、私や父にまで強要してくるのは勘弁してほしい。
その兄はあなたにしか見えないんだよ。
私にはその人形は兄には見えないんだよ。
私には笑いかけてくれないんだよ。
だけど、でも……。
気が進まない。
兄をもう一度殺すなんて。
それも2度目は私が手にかけるなんて……。
「……お兄ちゃん、許してくれるかな?」
答えてくれない兄の人形に声をかける。
これでは母と同じだ。
返事をしない人形に話しかけて心の平穏を保っているあの母と。
「……お兄ちゃん、ごめんなさい。悪い妹でごめんね」
いつからか、私だってこの人形を兄だと思いたくなっていた。そうすれば心の穴は埋められる。だとしてもそれはただの布切れで。本物の優しかった兄では無い。勝手にアイスを食べられたと喧嘩だって出来やしない。
兄じゃない。
兄はいない。
これは兄じゃない。
人形だ。
兄だったらよかったのに。
私は兄の机からはさみを取り、それを人形に突き刺しながら何度も兄に向って謝っていた。
「ごめん。ごめんなさい。お兄ちゃん、ごめん。悪い妹でごめん。ごめん」
心臓は痛く苦しいはずなのに涙は一滴も出てこなかった。
最初のコメントを投稿しよう!