月下の楽園泥棒

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月下の楽園泥棒

 ——八月七日。満月の晩に、かの有名な『忘れられた楽園』を頂戴しに参ります——   「ふざけたこと言いやがって」  刑事さんは、くしゃりと音を立てて予告状を握りつぶした。その顔には怒りが浮かんでおり、彼の悔しさが伝わってくる。この怪盗からの予告が届いたのは初めてのことではないのだ。 「『忘れられた楽園』ですか……。知る人ぞ知る有名な作品ですね」  『忘れられた楽園』。かつて神が作り出したという、人間の立ち入りが禁止された楽園を描いた有名な作品だ。聞けば、何百億もの価値があるそうで、妖艶で、しかしながらどこか恐ろしさも感じるこの作品は幅広い年代に愛されている。かくいう私もこの絵画の大ファンだ。  刑事さんは苛立ちを隠すこともなく目を釣り上げる。 「あいつのいけ好かないところはその手口だ!」 「そのせいで、いつも発見が遅れていますもんね」  怪盗は毎回精巧な偽物を作って本物と入れ替えているのだ。そのため、最初の犯行は一週間も発覚が遅れた。たまたまその作品のマニアが異変に気がついたことでようやく発見に至ったのだ。 「あぁ。だが今度こそあのこそ泥をとっ捕まえてやる」 「警部! 全員配置につきました!」  駆けつけてきた若い警察官が、勢いよく敬礼する。刑事さんは雑に予告状をコートのポケットに突っ込むとぐるりと美術館を見回した。絵画の周りには屈強な警察官が六人ほど。さらに離れたところにも数人。勿論出入り口も完全に包囲している。ここから逃げ出すのは相当難しいだろう。 「よし、全員絵画から目を離すなよ。怪しい奴がいたらすぐに取り押さえろ」  テキパキと指示を回しこの場は厳戒態勢となる。ここから絵画を盗むのは難しいだろう。ぼんやりと立っている私に刑事さんは呆れたように腰に手を当てた。 「しかし……なぜ探偵のあんたがこんなとこにいるんだ」 「やだな、探偵に怪盗は付きものでしょう?」  私がにっこり笑ってそう言うと、彼は大きなため息をつく。 「まあいい。あんたにはいつも助けられているしな」 「ありがとうございます」  今までたくさんの事件を解決したおかげで、探偵というのはかなり融通がきくのだな。こんな立ってるだけで何もしない探偵ですら、追い払うことはできないのだから。     「何も起こりませんね」  既に外は明るくなり始め、可愛らしい鳥の鳴き声が館内に響き渡っていた。私の呟きに刑事さんは眉をひそめる。 「おかしい。……まさか模倣犯、もしくはイタズラか?」  ブツブツと何かを考えながら、絵画を見張っていた警察官に声をかけた。 「おい、絵画に異変は?」 「問題ありません! 私が瞬きもせずに絵画を監視していましたので、間違いありません!」 「……瞬きはしてもいいんだぞ」  いつものことなのか、苦笑いを浮かべながらも刑事さんは慣れた様子で部下の話を聞いて回っている。私は特にすることもないので、他の美術品をぼんやりと眺めていた。 「どうですか、泥棒は捕まりましたか」  突然館内に響き渡った荘厳な声に、空気が一気に張り詰める。そんな中、刑事さんはすぐに声の主に駆け寄り、ピシッと敬礼をした。 「館長。残念ながら怪盗は捕まっておりません」  情けないような報告に、館長はふう、と息を吐いた。そして優しくも緊張感を孕んだ声で話し出す。 「この美術館で美術品が盗まれるのはもうこれで五回目。警察を責めるつもりはありませんがこのままでは我々も困ります」 「すみません。次こそは必ず!」  顔が強張った刑事さんをよそに、館長は私に目をやった。 「おや、あなたは探偵さん」 「どうも」  帽子を軽く持ち上げ、挨拶をする。彼から見れば、推理も碌にせず美術品を鑑賞している私はおかしな存在に見えただろう。 「探偵さんもあの怪盗を追ってらっしゃるんですよね」  相変わらず柔らかい声に包まれた鬱憤が私に容赦なくのしかかる。しかし、私は別に怪盗を捕まえるためにここにきたわけではないのだ。 「えぇまあ。捕まえられるとは思っていませんけどね」 「それでも探偵なのかよ」  にこやかに答えた私に、刑事さんは吐き捨てるように呟いた。彼の怒りはもっともだ。この場にいる私は関係者でもなければ、無料で美術館に遊びにきたも同然の人間なのだから。そして私に彼と対立する理由もない。 「趣味みたいなものなので」 「そうですか……。私としては怪盗を捕まえてくれればなんでもいいんですがね」  全てを諦めたかのような館長の呟きは、慌ただしい警察官の声にかき消されてしまった。  それから三時間ほど経過しただろうか。結局またしても怪盗は現れず操作は難航していた。その時、館長は何かに気がついたように早足で絵画に駆け寄る。  「むむ?」 「どうかしましたか? 館長」  刑事さんの問いかけが聞こえていないのか、しばらく静かに絵画を眺めている。そして、ポツリと呟いた。 「……偽物だ」 「え?」 「『忘れられた楽園』が偽物に入れ替わっている!」 「何⁉︎」 「あらま」  その一言で館内に一気に動揺が走った。盗まれるのも、手口も同じ。それ自体はもう慣れ始めていた。問題はこの場に現れなかった怪盗がどうやって絵画を盗み、偽物とすり替えたか、だ。 「ほらここ、女神の髪の毛の先の形が違うだろう!」 「一体いつの間に! 我々はずっと見張っていたんだぞ!」  現場は大混乱。館長は絵画を何度も指差し慌てているし、刑事さんは強く頭を掻いている。 「また同じ手口ですね。一体どうやってこんなことしたんでしょうね?」  私がそう言うと、刑事さんは頭を抱えて縋るような目を向けた。 「あんた探偵だろ? 少しは考えてくれよ」 「はは、どうして私が推理しなくちゃいけないんですか」 「そんなこと言ってる場合か? なんのための探偵なんだ」 「ここに来てるのはただの趣味ですから」  そう。私は推理しにきたのではない。ただの個人的な趣味でここにいるだけなのだ。名探偵がいつでも推理してくれるとは思わない方がいい。それに、探偵だって推理したくない時もあるだろう。 「……分かった。ただし! 捜査の邪魔だけはするなよ」  諦めたように頷いた刑事さんは、釘を刺すようにそう言ってどこかへ行ってしまった。警察というのは大変だな、なんて思いながら 「善処します」  と、刑事さんの背中に声をかけておいた。    それから数分後、私は美術館の三階にあるトイレにいた。下からは慌ただしい足音と声がしている。勿論、用を足しにきたのではない。  私はことの顛末を話し終えると、トイレに座っている男に目をやった。 「と、いう訳です、探偵さん。今回、どうやって怪盗は絵画を盗んだんでしょうね」  男は私を刺すように鋭く睨んだ。トイレで捕まるなんて、全くドジな探偵さんだ。今回、唯一彼が私の手口に気がついていたようだ。盗みの現場で鉢合わせしてしまったため、昨日の夜からこのトイレに隠れていてもらったのだ。  服を拝借したままでは寒いだろうし、一応カーディガンを羽織らせている。人殺しは趣味ではない。 「それは君が一番知っているんじゃないか?」  男の皮肉まじりの声に、私は頷く。 「そうですね。簡単なトリックなので、なぜこうもバレないのか不思議です」  彼の小さな舌打ちが聞こえた。私は聞こえないふりをして微笑んでみせる。 「探偵さんは分かりましたか?」 「無論。次に現場に現れた時、必ず捕まえる。今のうちにせいぜい楽しんでおくことだな」  必ずだ、と強調するように探偵は強い意志を持って言う。挑発するような笑顔に、私は満足して彼の膝に予告状をそっと置いた。 「ご忠告どうも。では、次は二ヶ月後の夜の三時頃に盗みに参ります」 「この大嘘つきめ!」  男は吐き捨てるようにそう言い、私を睨む。その顔があまりにも怖いので、私はトイレの扉を閉めることにした。さて、彼に死なれては困るので、なんとか三階の捜索をするように刑事さんに頼んでこなくては。あとは館長の衣服を次のために用意しなくてはいけない。大忙しの私は油を売っている暇なんてないのだ。 「では、また会いましょう」 「あ、おい。僕の服返してくれよ!」  探偵さんの情けない声が廊下にまで響く。彼ならきっと私を追い込んでみせるだろう。そんな期待を胸に私は軽い足取りでトイレを後にした。
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