2. 花と緑と弾丸と

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2. 花と緑と弾丸と

 橋の上で、麗良は途方に暮れていた。 (どうしてこんなことに……)  橋の下には、青緑色の池があり、大きな緑色の平皿のような葉っぱが幾つも浮かんでいる。それらの隙間を縫うように、白や黄色、ピンクなどの睡蓮の花が水面上に顔を出して咲いている。 「レイラ、見てごらん。子供がハスの葉の上に乗っているよ。  レイラも乗ってみるといい」 「いや、無理でしょ」  目をきらきらさせて振り返るチョコレート色の顔に、麗良は、嫌悪感を露わにした表情を返した。  ラムファが指さす先には、水面に浮かぶ大きなハスの葉〈オオオニバス〉の上に、四、五歳くらいの男の子が乗っていた。  しかし、傍にあった説明書きを見ると、『体重三十キロまで』と記載されている。  麗良が説明書きに書かれている文字を指さして説明してやると、ラムファは、そうかぁ、と残念そうな顔でオオオニバスを見やった。  どうやら日本語はあまり読めないようだ。 「パパの国にはね、これよりもっと大きくて分厚いハスの葉があって、子供たちが十人乗っても平気なんだ。  みんな、それに乗って競争をしたりして遊ぶんだよ。  パパも子供の頃は、よく遊んだなぁ。  レイラも、パパの国へ来たら遊ぶといい」  そうだ、それがいい、とラムファは、一人納得顔をして頷いている。  麗良が半ば呆れた表情を浮かべた。 「そんなハス、あるわけないでしょう。  オオオニバスが世界で一番大きなハスなのよ。  それに、誰もあなたの国に行くとは言ってない」  棘のある口調で麗良が抗議の視線を送るが、ラムファは気付いていない。それどころか、にこにこと嬉しそうな顔をしている。 「レイラは博識だね。植物が好きなのかい?」 「別に……ここへは、よく来るから、覚えちゃっただけ」  褒められたことが妙にこそばゆくて、ぷいとそっぽを向くと、熱心に池の中を覗いている青葉の横顔が目に留まった。こちらのやり取りなどまるで耳に入っていない。きっと花展に出す作品のテーマについて色々と考えているのだろう、と麗良は考えた。 『麗ちゃん、次の日曜日、一緒に植物園へ行かない?』  そう言って、青葉が麗良を誘うのは、いつも決まって麗良が何か塞ぎ込んでいたり、イライラしていたりする時だ。もう何度もそうして青葉と一緒にこの植物園へ足を運んでいるので、麗良は、この植物園のどこに何の植物があるのか、それらの名前もすっかり記憶している。  はじめは、些細な理由から始まった。祖父に叱られて泣いているまだ幼い麗良を慰めるため、青葉が言ったのだ。  植物園へ行こう、と。  今思えば、幼い子供を慰めるなら、お菓子をあげようとか、公園へ行こうと言うものだ。それでも、青葉が植物園を選んだのは、やはり花道家として花や植物に囲まれて過ごすことのできる植物園にいると自分自身が心安らぐからだろうか。  もしくは、それしか思い浮かばなかったからか、或いは、その両方かもしれない。  どちらにせよ、麗良は、青葉と植物園へ行くことで機嫌を直していたのだから、強ち青葉の提案は間違いではなかったと言える。  以来、青葉は、麗良に何かあると、こうして植物園へ誘うようになった。  今日こうして植物園へ来たのも、突然現れた父親の存在に動揺している麗良を心配してのことだろう。口に出してそうとは言わないが、長年一緒に暮らしている麗良には、青葉の優しさが手に取るようにわかった。 (本当なら、二人きりで来る筈だったのにな……)  久しぶりに青葉と植物園へ行けることに、麗良はラムファに感謝しても良いとすら思えるほど嬉しかった。玄関を出たところで、ラムファの邪気のない笑顔が待っているのを見るまでは――。  そのままくるりと踵を返して家へ戻ろうとした麗良を、青葉が何とか宥めすかし、結局三人で植物園へ行くこととなったのだ。  ラムファは、何がそんなに嬉しいのか、始終笑顔であちらこちらの花や植物を指さしては、麗良に向かって話しかけた。あの花はレイラに似てとても可愛いとか、あの木は自分の国でも似たのを見たことがあるけど何という名前かなど、些細な娘とのやり取りを楽しんでいるようだ。  青葉の手前、ラムファを完全に無視することもできず、麗良は、それら一つ一つの質問に不機嫌な顔で答えていった。そんな麗良の様子などお構いなしに、一人はしゃぐラムファを見て、麗良は、溜め息を吐いた。 (おじい様は、ずるい……)  家にラムファが住み着くようになってから、麗良は、自分の部屋に籠って出ないようにしていた。極力ラムファと顔を合わせたくないからだ。食事も依子に頼んで、部屋まで運んでもらっている。  依子には悪いと思いつつも、自分の父親だと名乗る謎の男と顔を合わせて食事を取るのはどうしても嫌だったのだ。それは、ラムファに対して無言で拒絶の意を表すと共に、良之に対して抗議を現す意味も持っていた。  良之は、あれから何も言わない。露骨にラムファを避けている麗良を見ても、しつこく麗良を追い掛け回すラムファを見ても、ラムファについて麗良に何かを語るでもなく、良之だけは、変わらない日常の中にいた。  そんな良之の態度が腹立たしく、でも、直接面と向かって抗議を口にすることは出来ないので、自室にこもることしか麗良には出来ない。 「レイラ、見てごらん。すごく大きな花があるよ」  見上げるほど大きな花を指さし、ラムファが大声で麗良を手招きしている。  世界最大の花と言われる〈ショクダイオオコンニャク〉だ。その名のとおり、一本の巨大な蝋燭を支えている燭台のように見える。  傍を通り過ぎて行く人たちがラムファを見て、くすくすと笑っているのに気づき、麗良は顔から火が出る思いがした。  背の高い異国風の容貌をしたラムファは、とにかく目立つ。特に行き交う女性たちからの熱い視線が麗良には痛く、このまま回れ右をして逃げ出そうかとも思ったが、それはそれで逆に目立ちそうなのでやめておいた。  身を縮ませて、行こう、と青葉に声を掛けるものの、自分の世界に入り込んでしまっている青葉の耳には届かない。 (全く、男の人って自分のことしか考えてないんだから……)  内心で悪態をつきつつも、麗良は、青葉の真剣な顔を傍で見ているのが嫌いではない。幼い頃は、彼の注意をこちらに向けようと必死だったが、ある程度大きくなってからは、それが無駄なことだと悟って諦めるようになった。  常に彼の心を占めているものは、たった二つだけ。  そして、そのどちらにも麗良は敵わないと知っている。  じっと青葉を見つめる麗良の視線に微かな熱が込められているのを、ラムファが焦るような困った顔で見つめていた。
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