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2.小学生少女、勘太郎に依頼をする
2.小学生少女、勘太郎に依頼をする
四月七日(火曜日)
『探偵さん、お願いです。お空から人を落とす事の出来るお馬の神様からお父さんを助けて下さい!』
「はぁ~いいぃ……?」
勘太郎は突如現れた小学生くらいの可愛らしい女の子の発言に持っていたコーヒーカップを落としそうになる。
そんな間の抜けた勘太郎の行動をその少女は熱い眼差しでただまじまじと見つめているだけだったが、店内にはなんとも言えない不思議な空気が辺りを漂う。
現在時刻は十八時三十分。桜の開花と共に少し日が伸びたせいか日が落ちる時刻が若干緩和されて来た用な気がする今日この頃。それでも外はまだ寒く一気に夜が訪れたその温度変化に思わず勘太郎はつい溜息を漏らしてしまうが、そんな勘太郎の座るカウンターテーブルの上に黄木田店長が淹れてくれたホットのブレンドコーヒーがそっと置かれる。
そのほろ苦い香りが漂うブレンドコーヒーを待ってましたとばかりにすかさず味わう勘太郎は、鼻から通ずる淹れたの香りとほろ苦い舌触り、そして暖かな喉越しで冷え切った体を内側から徐々に暖める。そんな一息つく勘太郎の元に思いも寄らない小さな訪問者が突然舞い込んで来た用だ。
ここは千葉県にある、とある○○市の街の一つ。
舗装された真新しい道路にはクラクションを鳴らす多くの車が行き交い、帰宅ラッシュで混雑する電車が踏み切りの真ん中で互いに交差する。そんな慌ただしい町だ。
駅前の通りでもあるせいか人の行き来はかなり激しく、仕事帰りのサラリーマンやΟL、学生や夕食の買い物をする叔母さんまで、いろんな人達がこの街の商店街や駅ビルを利用している。
そんな駅にも近い商店街の通りの横にその黒一色に塗装されたビルはある。
黒鉄ビル。周りに住む人達は皆そう呼んでいるその理由はビル二階に掲げられている大きな看板が嫌でも目につくからだ。
『黒鉄探偵事務所!』この大きな立て看板が二階に立て掛けられているせいで、この黒いビルはそれなりに有名なビルなのだ。
そしてその下に同じく隣接する用に一階に構えるその喫茶店はある。そう今勘太郎がゆるりとコーヒーを飲んでいる喫茶店、その喫茶店の名は『黄木田喫茶店』。
勘太郎達が仕事の合間の息抜きをする為に集う溜まり場であり、コーヒーが美味い心のオアシス的場所だ。
そんな店の中は古い昭和初期を思わせるシックな作りになっており、壁隅に張り付いた大きな本棚には余すとこ無くいろんな書物で棚が埋め尽くされている。その光景はまるでそのテナント全体が大きな図書館になっているかの用だ。
その喫茶店は読書しながら淹れたての珈琲が飲めることで有名であり、そのジャンルの本の多さからいろんな人達が利用している。
そんな喫茶店店長の名は『黄木田源蔵』。この喫茶店を切り盛りしているマスターであり、勘太郎の良き相談相手だ。そして勘太郎の協力要請があれば全面的に協力は惜しまない気骨のある人物である。
「あれ、所で今日は緑川の奴は来ていないのですか?」
「はい、大学の授業があるとかで今日はお休みです。何か緑川さんに用事でもあったのですか」
「別にそういう訳ではないが、いつも店で働いているイメージがあるからな。今日は一体どうしたのかと思っただけの事だよ」
「彼女は文系の大学生なのですから、バイトばかりしている訳ではありませんよ」
「まあ、たしかにそうだな。バイトばかりしていたら流石に大学の単位に響くか」
そんな黄木田店長と何気ない世間話に花を咲かせていると突然店のドアが開き、その少女は店の中に足を踏み入れる。
小柄な体と腰まで伸びた長い黒髪を揺らしながら少女は店の中に入って来ると頻りに周りのお客さんや従業員の顔をキョロキョロと見渡しながら誰かを探している用だったが、カウンターテーブルに座る勘太郎と目が合うと万遍の笑みを向けながら勘太郎の方へと歩み寄って来る。
「ん、誰だあの子は、もしかして迷子か何かかな?」
全く見覚えの無い少女の姿に勘太郎が不思議な顔をしていると、その少女は勘太郎の目の前まで来ると行き成りにわかには信じられない一言を言い放つ。
その一言こそがこの少女が持ち込んだ依頼と深く関わる事となる、不可思議で恐ろしい事件の始まりだった。
『空から人を落とすことの出来る馬の神様だと……なんだそれは?』
勘太郎は危うく落としそうになったコーヒーカップをそっとカウンターテーブルの上へ置くと、その少女をマジマジと見る。
髪は黒髪の腰まで伸びたロングヘアで頭にはピンクのヘアバンドをしている。
服装は白いブラウスの上にピンクのジャンパーを羽織り、下は赤いスカートに足には動きやすい運動シューズを履いている。
その歳格好からして小学生の高学年と思われるその少女は、左肩から下げた大きなバックの中から両手に余る程の大きな赤いダルマの貯金箱を大事そうに取り出したが、何かを決意したかの用にその重そうなダルマの貯金箱を勘太郎の方へと突き出す。
「え、なに、一体これはどう言う事かな?」
見るからに可憐そうな少女が目を潤ませながらこちらを真っ直ぐに見ているのだから勘太郎が戸惑うのも無理は無い事だろう。
その可愛らしい仕草と美貌とが相まって守ってやりたいと思わせるそんな妹キャラの用な容姿をしている。
恐らく勘太郎の推察では、同学年の小学生男児なら約八割の男子は皆この少女の事が多分好きだろうと軽く想像してしまう。そう思ってしまう程にこの目の前にいる少女は正に絵に描いた用な正統派美少女を連想させた。
そんな可憐さとはかなさを漂わせる美少女に勘太郎は出来るだけ優しく話しかける。
「お、落ち着いて下さい。先ずは君のお名前から教えて貰えないかな。君は一体誰なのかな。それに何故行き成り見ず知らずの俺にそんな話をし出したのかな?」
そんな優しげな勘太郎の態度にはっとした表情を見せたその少女は、慌てる気持ちを落ち着かせながら自らの自己紹介をする。
「わ、私の名前は、春ノ瀬桃花。小学六年生の十二歳です。その黒一色の服装、あなたがあのお爺さんの言っていた、どんな不可解な事件でも瞬時に解決に導く事が出来るという噂の探偵。黒鉄勘太郎さんですね。私はあなたに頼みごとがあって長野県の山沿いの町からここまで来ました。お父さんを……私のお父さんを……あの恐ろしいお馬の神様からどうか助けて下さい!」
「長野県から千葉県までわざわざ来たのですか。たった一人で小学生がですか。それで、一体俺に何を頼もうと言うのですか?」
「だから、私のお父さんをお馬の神様から助けて下さいと何度も言っているじゃないですか!」
「ん~っ、その馬の神様って所がよく分からないんだけどな。とにかく落ち着いて最初から話して貰えるかな。そうしないと一向に話が見えてこないですから。まあ珈琲でも一杯飲んでから詳しく話を聞かせて貰いましょうか」
そう言いながら勘太郎が黄木田店長に珈琲を注文しようとすると、その動きに合わせるかの用に少女のテーブルに甘い匂いが漂うミルクカフェオーレがそっと置かれる。
「どうぞ、小さなお嬢さん。これはそちらにいる黒鉄さんからの驕りですよ」
「え!」
勘太郎はこの少女にカフェオーレを奢ると言った覚えは無いのだが、珈琲を勧めた手前『勿論代金は割り勘ですよ』とはもう流石に言えない。
黄木田店長は勘太郎に合図を送るかの用にお茶目にウインクをしながらその場を立ち去るが、そんな入らぬ気遣いをする店長に勘太郎は態とらしさすら感じてしまう。
何せ今月は大きな金になる依頼が少なかったので勘太郎の財布の中身はかなり金欠なのだ。なのでせっかく気を利かせて勘太郎の株を上げる為に行った黄木田店長の行為も今の勘太郎に取っては極めて迷惑な行為に写ってしまう。
どうせなら黄木田店長の驕りと言って欲しかったのに……と思ってしまう程に今の勘太郎は金に余裕が無い小さな男へとなっていた。
だがその愚痴を口に出すのは余りにもかっこ悪いので、勘太郎はさも黄木田店長の行為に同調したかの用に「あ、ありがとう御座います!」と言いながらぎこちなく返事を返す。
そんな勘太郎のケチ臭い想いなど梅雨とも知れない春ノ瀬桃花は、その差しだされたカフェオーレに砂糖を五杯とシロップを二個程入れながら美味しそうに口をつける。
どうやら黄木田店長はこの少女が甘党なのを瞬時に見抜いた用だが、勘太郎は全く分からない。さすがは黄木田喫茶店の店長を勤める珈琲職人と言った所だろうか。
それだけお客さんの事を良く見ていると言う事なのだろう。
そんな黄木田店長の読み通りにふう~ふう~と息を吹き付けながら美味しそうにホットカフェオーレを飲む春ノ瀬桃花と名乗る少女を見つめながら、勘太郎は心の中で自分の自己紹介をする。
俺の名は『黒鉄勘太郎』(二十三歳)この喫茶店の二階に小さな探偵事務所を構える黒鉄探偵事務所の経営者だ。
このいかしている上下のダークスーツスタイルは、二年前にとある事件で亡くなった俺の親父『黒鉄志郎』の生前の服装をそのまま真似た物なのだが、特に見ている人達の反応は薄い。
俺は密かにその黒一色の姿を格好いいと思っているのだが、周りからは余り受けが良くないようだ。
その偉大な探偵、黒鉄志郎の亡き後を受け継いだ黒鉄探偵事務所の二代目・黒鉄勘太郎が(生前黒鉄志郎が必死に追っていたと言う)不可能犯罪を掲げる謎の組織。日本中に蔓延る不可思議な事件には必ず裏で暗躍しているとされるトリック犯罪集団。『円卓の星座』の正体を突きとめる為、今日もその行方を追う。
少し話がそれたが、つまりこの黒鉄ビルのオーナーはこの俺であり、黄木田店長にこのビルの一角を貸しているのも俺と言う訳なのだ。
そんなどうでもいい自己紹介を勘太郎が脳内でした所で、カフェオーレを半分飲み干した春ノ瀬桃花が息を整えながら漸く一息つく。
「では、お話しますね。二年前からよくテレビのニュースで話題にもなっている不可思議な人体空中落下事件の事は知っていますよね。結構全国的に話題にもなった事件ですから。天馬様と呼ばれるお馬の神様と交信が出来ると言うとある住職の神罰の力で、罪人とされる者達をお空に舞い上げてからそのまま地べたへと叩き落とすと言う……とてもにわかには信じられない不可思議な力を持った宗教団体の話です。そんな恐ろしいお馬の神様を祀っているお寺の名は『天馬寺』と言います」
「天馬寺ねえ~っ、ああ確かにそんなニュースがちらほらと過去にありましたね。その寺を任されている住職が長年の荒行の末に天馬様と呼ばれる神の馬との交信に成功を得たとか、悟りを開いたとか言っていましたね。何だかかなり胡散臭いオカルトチックな話ではありますけど」
「でも実際にこの二年間の間に十数人もの人間がその天馬様のお告げで死んでいます。しかもその全ての人が天空落下と言う不可解な現象で亡くなっています」
「確かその死亡した被害者達の周りには飛び降りられる用な高い建物や自然物は一つも無かったんですよね。だからこそその現場を見たと言う関係者の人達は皆口を揃えてあの天馬寺の住職のお告げで人がまた死んだと考えている。そうですよね。あれ、でもおかしいな。俺の知る限りでは、最近そのローカルテレビのニュース番組にコメンテーターとして出ていた何処かの大学教授が、その天馬寺の住職に死の予言をされたんですよね。何でもその大学教授は一週間以内に天馬様の天罰によって天空落下で成仏するのだとか……そんな話を何かのテレビでちょっと小耳に挟んだ物でね、その後どうなったのか気になっていたんですよ。はははは、まあそんな可笑しな予言が早々当たる訳ないですけどね」
「いいえ、残念ながらその予言は見事に的中してしまいました。何でもそのコメンテーターはゲストで出ていたその和尚に猛烈な批判をしたそうなのですが、その真実を追究しようと言う行為がどうやらその後の大学教授の叔父さんの運命を決めてしまった様です。何せそのお告げを聞いた三日後にその大学教授は、その予言通りに謎の天空落下現象でそのまま地面へとたたき落とされてその場で即死していますからね。何でも廃車を取り扱うスクラップ工場内の廃車の屋根に落ちて元々壊れていたフロントガラスを更に粉々にしたとか」
「つまり君は、神の馬を崇めるその住職の怒りを買ったコメンテーターが謎の天空落下現象で天罰を受けて殺されたと言いたいのかい。流石にそれは無理があるし、ちょっと信じられない話だな」
「でも実際にその大学教授のコメンテーターはその神の馬と交信出来ると言う和尚さんのお告げで死んでいます。それにその天馬寺の和尚さんの言い分では、『自分はその天馬様の有難いお言葉をそのまま伝えただけだから自分は何も悪くない。これは神がお決めになった人のカルマ(業)運命の定めなのだ!』とそう言っているそうです」
「宗教家の言う精神論は小難しい過ぎてよく分からんな。それでその情報を提供したと言う関係者とは一体誰なのですか。もしかしたらその人の大袈裟なフェイク情報かも知れませんからね」
まだ話半分で応える勘太郎の態度に春ノ瀬桃花は幼いながらも真剣な顔を向けながら神妙な顔をする。
静かに皿を拭き始める黄木田店長の見守る中、春ノ瀬桃花の話が始まる。
「実は私のお父さんはその神の馬を崇める天馬寺で、高田傲蔵和尚のお弟子さんとして厳しい荒行に耐えながらもう三年も修行に勤しんでいるんですけど。その高田傲蔵和尚が二年前から妙なことを言い出したらしいんです。『神のお告げがあった。神のお言葉を聞くべく長年座禅を組んで瞑想していたらついに天空を司る天馬の神様がこのワシの心に語りかけてこられた!』とか言って本業の住職としての職務を放置して、天馬様と言うお馬の神様を祀る個人の宗教法人を作っちゃったらしいんです。何でもそのお馬の神様は天空の空を操り、疾風のようにその風に乗る事が出来る神通力を持っているのだそうです。そう前にお父さんが言っていました。この二年間の間に如何にもと言うくらいに怪しい宗教団体を化したその天馬寺にお父さんも巻き込まれてしまって、もう三ヶ月になろうと言うのにまだ荒行の途中だと言う理由でお寺の中から外へは一歩も出られないでいます。なので当然家に帰って来てもいません」
「お馬の神様って……話だけ聞いていたらまるでギリシャ神話の話に出て来る天馬、ペガサスだな」
「ペガサスなんてそんな格好よさげな物ではありませんよ。あれは……あのお馬の神様は正に悪魔です。化け物です。そしてそのお告げを聞く事の出来ると言う高田傲蔵和尚もまた、紛れもなく狂っている人間の一人です。何故ならあの高田傲蔵和尚に逆らう者は例え誰であろうと天馬様の不思議な力で天空へと浮上させられて、そしてそのまま地べたへと叩き落とされるのですから。その証拠となる事実がある以上今起きている現象は紛れも無い真実なのだそうです!」
恐らくは自分の父親から聞いた話なのだろうが彼女なりに必死で訴えるその姿に勘太郎としては信じてやりたいのだが、イマイチ実感が伝わって来ない。何せ何も無い空に人を浮上させそのまま地べたへと落下させる事が出来るだなんて、そんな有り得ない話はつい子供の戯れ言だと思ってしまうからだ。
「ん~っ、ただ信じてと言われてもねぇ、その和尚さんの周りで不可思議な現象が起きていたとは言え本当にその和尚さんの言葉に合わせて人が死んでいたのかは甚だ疑問がつきませんね。それにその住職のアリバイが一体どうなっているかは今の段階では分かりませんが、もしその住職が嘘を言っているのなら、お告げだけで人を死なせている用に見せ掛ける為に殺人を実行する協力者が必ずいると考えるのが普通です。まあ、テレビに出てまでそのお告げとやらを実行に移しているのですからその為のアリバイも必ず用意しているでしょうしね」
その協力者がいるかも知れないと言う勘太郎の言葉に春ノ瀬桃花の顔は突然青ざめる。小さな体を震わせどことなく怯えるその姿は、余程恐ろしい何かを見たと言う事を直ぐさま想像させた。
「どうしました……春ノ瀬さん」
「高田傲蔵和尚の超常現象を呼ぶお告げと謎の協力者ですか。一ヶ月前に私見たんです。いつもの用に学校帰りに天馬寺で修行をしているお父さんに会いに行って、その後すっかり暗くなったその帰り道に石垣の石階段を下っていたら、行き成り闇夜のお空の上から木々の枝や葉をかき分けて人が一人降って来たんです!」
「人が空から降って来たんですか?」
「はい、人が空から降って来たんです。その人は私から五メートルほど離れた手前の下の石階段に行き成り落ちてきてそのまま下へ下へと石段を転がりながら落ちて行ったのを覚えています。そしてその光景を林の奥からじ~と見ていた馬の顔を持つとても人間とは思えない恐ろしい馬人間の姿も……。」
「う、馬人間だと。なんですか、それは?」
「分かりません、それはこっちが聞きたいですよ。あの時見たその馬人間の姿が何とも不気味で今も忘れられません。後で知った事なのですが、お空から突然落ちてきたその人は天馬教の宗教を脱退しようとした信者で、その事で高田傲蔵和尚とはよくもめていたそうです」
あろう事か目の前で語る春ノ瀬桃花が実は天空落下現象を直に見た数少ない目撃者だったとは流石に思わなかったので、その事実を知った勘太郎は驚き口に含んでいた珈琲を思わず吹いてしまう。
「ゲホッ~ゲホッ~ゲホッ! し、失礼。き、君はその人が空から落ちてきた瞬間を直に目撃したのかい」
「はい、はっきりとこの目で見ました。だからこそあなたにお願いしに来たのです。もう今日までに高田傲蔵和尚のお告げで人が空から落とされて十五人もの人が死んでいます」
「う~ん、十数人と聞いてはいたが正確には十五人か。その話が本当なら確かにその高田傲蔵和尚のお告げの力とやらは凄い力だな」
「はい、でもその加害者なはずの高田傲蔵和尚は亡くなった被害者達に『天罰が降る』と言っているだけなので逮捕は出来ず、その人知を越えた異常な殺害方法は全く分からないのでその時現場に来ていたお巡りさんの誰もがこんな事は有り得ないと首を傾げていたそうです。そしてこの天空落下事件は永遠に解決できず、おそらくは迷宮入りの事件になると……そうお父さんは言っていました」
「それで、具体的に君は俺にどうして貰いたいんだい。その高田傲蔵和尚の操る天空落下事件の謎を解き明かしてくれとでも頼むつもりかい」
「いいえ、そうではありません。先ほども言ったように家のお父さんは天馬寺のお寺で修行僧として常に修行をしているのですが、もうそろそろその天馬様を崇める怪しげな宗教団体から抜け出したいらしいんです。けどもしその事が高田傲蔵和尚にバレて機嫌を損ねてしまったらその神罰と言う呪いの力で天から落とされるかも知れません。ですから探偵さんは私と共にその長野県にある天馬寺に行ってその高田傲蔵和尚と話をつけて無事にお父さんをその宗教団体から脱退させてほしいんです。これが探偵さんに要求する私の依頼内容です」
「なるほど。つまりはお父さんをその天馬様とやらがおわす天馬寺から脱退させ連れ戻すのが目的だと、そう言う事ですね」
「はい、そう言う事です」
何とか話は一段落し事情を知った勘太郎はしばらく考える。この依頼を受けるかどうかを。
確かに天空から人を叩き落とすという不可解な事件ではあるみたいだが話からしてどうもうさんくさいしにわかには信じられない。
別に春ノ瀬桃花が嘘を言ってるとは思わないが何分小さな小学生が言っている話だ。テレビのニュースに出るくらいだから本当にそんな事件が起こったのだろうが、空から落ちてきたその瞬間を目撃した人はこの目の前にいる春ノ瀬桃花くらいで、本当の話かどうかは分からないのが現状だ。
実際、そのニュースは直ぐに陰を潜めたので大した話題にはならなかったが、その後何か進展があったと言う話は聞かないのでおそらくは事故として扱われ迷宮入りの事件になった事だけは間違いないだろう。
それに怪しげな宗教団体が絡んでるとなるとなおさら厄介な話だ。
真剣に考える勘太郎のテーブルに春ノ瀬桃花はここまで来る途中大事そうに抱えて来た大きなダルマの貯金箱をそっと置く。
「これは私が今まで貯めた全財産です。何とかこれでお父さんを助けて下さい」
「警察には、この事は話したのかな?」
「警察はお父さんを連れ戻すのは別問題だと言って動いてはくれませんでした」
「そうか。でも君のお父さんとお母さんは君がこの探偵事務所に駆け込んで来た事を知っているのかな? 流石にまだ未成年の君から依頼を受ける事は出来ないよ」
その質問に春ノ瀬桃花はさみしげな暗い表情で答える。
「私のお母さんは……疾うの昔に亡くなっているのでもうこの世にはいません。ですのでもう私にはお父さんしかいないんです。そのお父さんも最近はお寺から一切出してもらえないみたいで直接会う事もままならなくなりました。お願いです、探偵さん。どうか、どうか、私に力と知恵を貸して下さい!」
このダルマの貯金箱を渡されてもなぁ~と思いながら困っていると、行き成りそのダルマの貯金箱を手元から奪われた勘太郎は思わずその奪った相手の顔を振り向きざまに確認する。
「黒鉄さん何を迷う必要があるのですか。天空から人を自由に落とす事が出来るその高田傲蔵和尚とやらとそのお告げと共に現れると言う不気味なお馬の神様。しかも警察も匙を投げた迷宮入りの不可能犯罪事件なんて何だか面白そうじゃ無いですか。この依頼正式にうけるべきですわ。依頼料は正直滅茶苦茶足りませんけど、でも小学生の貯めた貯金ならかなり多い方でしょうか」
その言葉に振り向いた春ノ瀬桃花は恐怖と驚きの声を上げる。何故なら目の前に現れたその声の人物は白い羊のマスクを被っていたからだ。まるであの馬人間と同じ用に。
「ひぃ、羊人間! まるであの馬人間と一緒だわ?」
その怪しさ満載の白い衣装を着た羊人間がそのダルマの貯金箱をマスクの耳元付近に当てながら大きく一振りする。そのジャラジャラと鳴り響く音を聞いたその羊のマスクを被った女性は春ノ瀬桃花にそのダルマの貯金箱の中にある小銭の金額を答える。
「恐らくこの中に貯めてある小銭は全て五百円玉ですか」
「は、はい、そうですけど。家は貧乏なので今までのお小遣いや、お年玉。それとお父さんから貰った生活費などを切り詰めて貯めました。後、朝と夜の新聞配達のバイトもやりました。財布に五〇〇円玉があると必ず貯金箱に入れる用にしていましたから」
その話を聞いた勘太郎は思わず春ノ瀬桃花の顔をガン見する。
この子もしかして中々の苦労人じゃないのか。そんな小学生の未成年からお金なんか到底貰えないぞ。
しかもこのお金は彼女の全財産とか言ってたし、こんな頑張り屋のいい子から貯金箱を貰うのは物凄く後味が悪いし引け目も感じる。実際電車を乗り継いでここまで来た心境を考えると何だか泣けて来て心が痛むぜ。
そんな勘太郎の勝手な同情などは何処吹く風とばかりにその白い羊のマスクを被った女性は、その貯金箱の中にある多数の五〇〇円玉の金額を言い当てる。
「んん、ざっと聞いて……五百円玉が三百十五枚で、十五万七千五百円といった所でしょうか」
「は、はい、その通りです。音と重さと手に持った感覚だけでよく分かりましたね。誰かは知りませんが羊のお姉さんは凄いです」
驚きの声をあげる春ノ瀬桃花を尻目に勘太郎はその女性の顔をまじまじと見る。
絶対音感で五百円玉が擦れる音を聞き、加えて貯金箱の重さの重量から金額を推定する。彼女が持ついろんな特技のほんの一部である。
そんな異様な羊のマスクを被る白い衣装を着た彼女の名は『羊野瞑子』二十代。勘太郎の優秀なる助手にして、この黒鉄探偵事務所で働く正式な社員の一人だ。二年前(勘太郎の父親)黒金志郎の謎の死と入れ代わるかの用に突如黒鉄探偵事務所に来た羊野瞑子はこの探偵事務所で住み込みをしながら働いているのだが、その正体はあの不可能犯罪を掲げる謎の秘密組織・円卓の星座の元狂人の一人であり、他の狂人達からは驚愕と皮肉と敬意を込めて口々に彼女の事をこう呼ぶ『白い羊……もしくは白い腹黒羊』と。
その白い羊のマスクの下に隠されている素顔は透き通る用なきめ細かい白い肌と白銀に靡く長い腰まで伸びた長い髪をしている。
その宝石のような綺麗な赤い瞳を持つ彼女の顔はとても愛らしくそして可憐で、その姿を一目見たら殆どの男性のハートは恐らくは釘付けとなる事だろう。だが忘れてはいけない。本来彼女の性格は極めて問題があり危険で、その謎を求める危険な好奇心は周りにいる者達全てを死へと誘いかねないからだ。
そんな妖艶極まる羊野が何故こんなに白い容姿をしているのかと言うと、メラニン色素の生合成に関わる遺伝子情報の欠損により先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患、つまりアルビノだからである。なので日の光に非常に弱いという弱点がある羊野は日中外を歩く際はいつもこの白い羊のマスクを着用している。
手には白いアームカバー、足には白いストッキング。長いロングスカートに白い衣服に身を包んだ羊野は、全身白一色の異様な姿で勘太郎と春ノ瀬桃花の前に立つ。
そんなやる気満々の羊野に勘太郎はすかさず釘をさす。
「俺達の探偵の仕事は本来、浮気調査や人捜しに…相手の素性を調べたりと、探偵法に乗っ取っての仕事が主なんだがな」
「わかっていますわ。でももう尾行や張り込みといった地味な仕事には正直飽きましたわ」
「飽きたってお前……その仕事は殆どやってないだろう。それに今は黄木田店長に頼んでいつもの用にお前を臨時のバイトとして働かせて貰っているんだから、先ずは店の仕事をしっかりやれよ」
「分かってますけど、このお嬢さんが持ってきた仕事の依頼内容がどうしても気になっちゃって……それでどうするんですか黒鉄さん。当然この依頼受けますわよね!」
「う~ん、どうしようかな」
前に羊野に尾行や張り込みを手伝わせた事があったが、彼女の姿は余りに目立つらしく張り込みや尾行には向かない事は既に実証済みである。
なので特に大した仕事のない日は臨時で手伝わせている黄木田喫茶店でのバイトが彼女の主な仕事なので、久し振りに来た不可思議な依頼に羊野の興味はその春ノ瀬桃花が持ち込んだ空中落下現象事件へと既に思いは向いている用だ。
そんな羊野と春ノ瀬桃花の願いに勘太郎が迷っていると「黒鉄さん、何も迷う事は無いのではないですか。こんな可愛らしいお嬢さんが黒鉄探偵事務所に……いえ、白い羊と黒鉄の探偵にわざわざ助けを求めて遠くから来ているのですから、ここは黙って人助けするのが紳士と言う物ですよ。それに赤城刑事のいつもの台詞ではありますが、これは不可能犯罪になり得る案件ではないでしょうか。なら受けてみる価値はあると思いますよ。あなた方は不可思議なミステリーに立ち向かう探偵なのですから」と言う黄木田店長の遠回し的な優しい催促の言葉が聞こえて来る。
いや俺、紳士じゃないし……と直ぐに突っ込みたかったが、黄木田店長には何かと世話になっている手前強くは逆らえないので、勘太郎は仕方なく覚悟を決める。
「春ノ瀬桃花さん、分かりました。その依頼、この黒鉄探偵事務所が確とお受けいたします」
その勘太郎の言葉に興奮とやる気を見せる羊野は「そう来なくっちゃ!」と言いながらその手に持つダルマの貯金箱を持ち去ろうとしたが、直ぐに勘太郎に取り上げられてしまう。
「あ、私の貯金箱が。一体何をするんですか、黒鉄さん」
「何が私の貯金箱が~だ。この貯金箱がいつお前の物になったんだ。こいつは返して貰うぞ」
羊野の抗議の声を完全に無視した勘太郎は、手に持っているダルマの貯金箱を春ノ瀬桃花に渡すと笑顔でこう説明する。
「すいませんが、我が探偵事務所では未成年から依頼料をいただくことは出来ません。ですのでその依頼料の方は貴方のお父さんをその宗教団体から救出し脱会させた時に、あなたの父親から依頼料をいただく事にします。それでよろしいでしょうか」
「は、はい、それで構いません。後払いにしていただいて有難うございます」
素直に頭を下げる春ノ瀬桃花に黄木田店長は笑みをこぼし、羊野は溜息をつきながら物欲しそうにその赤い大きなダルマを見つめる。
そんな微笑ましい光景を何となく見ながら勘太郎は考える。
まあ、この仕事は父親一人を小規模な宗教団体から連れ戻し脱退させるのが目的みたいな物だから、俺達で解決出来なかったその時は素直に国家権力の力を借りて腐れ縁の先輩でもある赤城刑事に頼めば後は何とかしてくれるだとうと、その時の勘太郎は簡単にそう考えていた。
だがまさか、その軽はずみな考えや行動がその想像を遙かに越えた恐ろしい事件に巻き込まれるきっかけになってしまうとは……この時は夢にも思わなかった。
こんな事ならもっと真剣に春ノ瀬桃花の言う天空落下の話を聞いてやれば良かったと、後に勘太郎は真面目に後悔する事となる。
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