3.白黒探偵、天馬寺に到着する

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3.白黒探偵、天馬寺に到着する

3.白黒探偵、天馬寺に到着する  四月八日(水曜日) 『探偵さん、ここがお父さんが日夜修行をしながら自らの鍛錬に励んでいる。修行僧達の修行の場でもある天馬寺です』  一晩黒鉄探偵事務所に泊めて貰った依頼人の春ノ瀬桃花は、黒鉄勘太郎と羊野瞑子と共に電車と高速バスを乗り継ぎながら、山々に囲まれた大きな湖が見える諏訪藻(すわも)町に降り立つ。  長野県の中央部にあるこの町は、江戸時代は諏訪氏三万二千石の城下町、甲州街道の宿駅として発展。諏訪湖・霧ケ峰を控え、上諏訪温泉のある観光都市であり。または第二次世界大戦前は製糸業、現在は時計、カメラなどの精密機械工業の立地する工業都市だ。  観光色が強く日本の各地域や海外から来た観光客で諏訪湖や霧ケ崎を訪れる人も少なくない。  そんな標高の高い山々が見える空には空を自由に舞うハングライダーやパラグライダー、そしてグライダーといったアミューズメントスポーツが空を飛び。牧場ではボニー馬に乗る客や観光登山をする者達で町が賑わう。  そんな観光客が賑わう町に降り立った勘太郎・羊野・春ノ瀬桃花の三人は目の前にその存在感を維持するかの用につらなう長い石階段をけだるそうに眺める。  それもそのはず、この長くて急な石階段は山の最上部へと繋がっており、その森に囲まれた山の最上部には春ノ瀬桃花がこれから案内する目的地でもある天馬寺が一番上へと続いていた。  春ノ瀬桃花の話によれば高田傲蔵和尚を慕い入信した信者達が凡そ千人程いるとの事だが、その大規模な宗教団体の驚異に勘太郎はつい石階段を上がるのを躊躇してしまう。  せっかく長野県に来たのだから山に登ったり、名物の甲州ほうとう鍋を食べたり、諏訪温泉でゆっくりしたいところだが、依頼人・春ノ瀬桃花に道案内をされている手前、寄り道は出来ない。  そんな事情もあり、勘太郎と羊野は左右を深い木々で囲まれた中央に続く石階段をゆっくりと登って行く。  足下を注意しながら登る勘太郎の服装は、いつもの上下の黒いダークスーツを体に着込み。羊野の方は白い春用の清楚な衣服で身を固め。腰には長いロングスカート、足には白のストッキングにロングブーツを履き。両腕にはハンドカバー、細い腰には小物を入れるポシェットと、全身の肌が一切露出しないように着こなしている。勿論顔にはいつもの用に白い羊のマスクがしっかりと装着されていた。  そんな白黒の二人の探偵は先に石段を登る春ノ瀬桃花の案内に何とかついて行く。  途中、上から石階段を降りてくる中年の四人の男女の存在に気付いた勘太郎は軽く挨拶をしながらその四人とすれ違うが、その憤りと悔しさで沈んだ顔を見た勘太郎はつい疑問に思ってしまう。 「なんだ、あの陰気な顔をした人達は、天馬教の信者か何かか?」 「恐らくは被害者の会の抗議団体の人達だと思います。私と同じように信者となった身内の人達を取り返す為に時々高田傲蔵和尚に会いに行っているみたいなんですが、いつものように体良く追い返された見たいですね。天馬様の天空落下事件で亡くなった信者の遺族も来ているそうですよ」  何となく口にした勘太郎の言葉に、春ノ瀬桃花はまるでその場を見てきたかの用に彼らの心情を語る。  時刻は午前十一時十五分。  春バージョンの赤いスカートを揺らしながら春ノ瀬桃花は先にテンポ良く石階段を上って行く。  そんな春ノ瀬桃花の要求は、ここ三ヶ月ほど一歩も外へ出して貰えないでいる彼女の父親『春ノ瀬達郎』を天馬寺から救出し、尚且つここの住職である高田傲蔵和尚から脱退の許可を貰うのが彼女の願いである。勘太郎はそんな春ノ瀬桃花の依頼を遂行する為に前へと進む。  計1130段ほどある天馬寺へと続く石階段を必死に十五分程登っていた勘太郎達だったが、途中前を登っていた春ノ瀬桃花が突如立ち止まる。 「ここです。一ヶ月前の日が沈もうとした夕方頃にこの辺りの石段を降りていたら行き成り空から人が降って来て、この石段に激突しながら石階段を転がり落ちていったんです。その後警察が来ていろいろと調べていたみたいでしたが、木々に登って自ら足を滑らせて落ちたのではないかという微妙な推測でこの事件は片づいてしまった用です。ですが鑑識さんの話では落ちた時に出来た体に受けた衝撃とその高さの比率が全然足りないらしいので私はもっと周りの木々よりも高い所から落とされたのでは無いかと思っています」 「木々より高い所って言われてもなあ~っ、そうなるともうこの上は空しか無いし、人が空から降って来たという表現が正に正しいと言う事になってしまうぞ」  そんな言葉が思わずでた勘太郎は不意に空を見上げると両側から伸びる木々の枝のせいで肝心の空がまばらにしか見えない事に気付く。  その証拠に日中だと言うのに石階段の辺りは薄暗く、空から照り付ける日の光は木々の枝の隙間から微かに見えるだけだ。  う~ん、人が空から降って来たと証言している春ノ瀬桃花には悪いが、その話未だに信じられないな。実際は警察の言う用に酒で酔っ払ったか自暴自棄になった人がそのまま木の上によじ登って、足を滑らせたか何かで誤って落ちてしまったと言うのが本当の真実なんじゃ無いのか。  そんな一ヶ月前に起きた事件現場を目の当たりにしながらいろいろと考えていた勘太郎は、後565段はある石階段を下から見上げながら思わず溜息をつく。 「はあ~っ、しかしこの石階段を毎日登るのは流石に大変そうだな。この寺に通っている人達は毎日この石階段を上り下りしているのか」 「はい、そうです。何せこの天馬寺に行くにはこの石階段を登る以外に道はありませんから。私もお父さんに面会に行く時はこの階段を必ず登っています。まあ、頂上に着くまでに軽く三十分くらいは掛かりますけどね」 「なに~この石階段を登るのに片道三十分も掛かるのかよ。マジですか。まだ小学生なのに凄いね君は。俺はもう息が上がってフラフラだよ」  そう言うと勘太郎は両手を膝につきながら息を整える。そんなじじくさい態度をみせる勘太郎に軽やかに登る羊野が言葉をかける。 「しっかりして下さい、黒鉄さん。あなたは八十過ぎのお爺さんですか。まだ半分しか登っていないと言うのにもう弱音を吐くだなんて余りにも体力と根性がなさ過ぎます」 「ほう、相変わらずの有無を言わさぬ毒舌ぶりだが、そんなお前は大丈夫なのか?」 「後たった565段ほどの石階段を上るなど造作もない事ですから」 「お前は痩せてる分体も軽いし、尚且つ体力は猛獣並みだからな」 「いえ、ただ単に黒鉄さんが一般の成人男性より体力が無いだけですよ。本当にあなたは二十代ですか。そこにいる小学生の春ノ瀬桃花さんだって普通に登っていると言うのに」 「あ、そう言えばさっきまで目の前にいた春ノ瀬桃花がもういない!」 「彼女なら今さっき、私と黒鉄さんが話している内に一人で階段を上り始めましたよ。なら私達も一ヶ月前に起きた事件現場はもう見た事ですし、そろそろ先を急ぎますよ」  そんな憎まれ口を叩きながら羊野は、いつの間にか先を登る春ノ瀬桃花に追い付くと二人で淡々と石階段を登り出す。そんな二人に出遅れた勘太郎は「ま、待ってくれ。俺を置いていくな!」と言いながら必死に後ろをついて行く。  勘太郎がどうにか石階段で立ち止まる春ノ瀬桃花と羊野に追い付くと何故二人がその場で止まっていたのかをその目で確認する。  目の前には頂上に続くはずの石階段が途中で消え、代わりに大きな底無しの谷が断崖絶壁となって前へと広がる。  その十メートル先には目的地と言うべき頂上に通ずる大きな木製の門があり。その門を覆い隠すかの用に長い長方形の木製の橋が上へと上がっていた。 「なるほど、この途中で切れた石階段の先は深い谷になっているのか。これじゃ上には上がれないな。恐らくはあの頂上に見える木製の橋桁を下ろして貰って上へと行く事が出来るのだろうが、一体どうやって天馬寺の人達にあの橋桁を下ろして貰うんだ?」  そんな勘太郎の疑問に答えるかの様に春ノ瀬桃花はスカートのポケットからスマホを取り出すと画面にタッチしながら何処かに電話をかける。するとその1分後、歯車が軋む機械音を立てながら上を向いていた橋桁が目の前に立ちはだかる谷を覆い隠すかの用に道を繋げる。 「この橋桁を下ろして貰うには天馬寺にいる担当者に直接連絡しないと橋は降りない事になっています。なのでこの天馬寺には高田傲蔵和尚の許可無くして誰も入る事は許されませんし、ましてや勝手に天馬寺を降りる事も許されないというまるで離れ小島の用な仕組みになっています」 「ならここから抜け出したいと思う信者達は実質上ここから逃げ出す事は出来ないと言う訳か。どうやら見た感じでは自然の山や谷を利用した刑務所みたいな所の用だが、自由に外へも行けないのは流石にやり過ぎだと思うがな」  そう感想を述べると勘太郎は、突如降りてきた木製の橋を慎重に歩きながら春ノ瀬桃花と羊野の後ろを歩く。  歩く度に軋む渡橋の下から谷底を覗くと物凄い断崖絶壁に勘太郎は内心肝を冷やすが、そんな思いを二人に悟られない用に何とか橋を渡りきる。 その目の前には鳥居の用な大きな門があり。門の上には天馬寺と書かれた大きな立て看板が堂々と立てかけられていた。  門の真下まで来ると下には円形にして一二〇センチ程の大きなマンホールがあり、その鉄の蓋には特注で作らせたのか空想で創作したと思われる天馬様の肖像画がクッキリと彫り込まれていた。 「お、こんな所に空を駆ける馬の絵が、中々凝った作りをしてるじゃないか。まさかこの掘られてある馬が天馬様かな」 「そうみたいです。その天を翔る馬の絵こそがこの天馬寺の御神体であり、祭られている神様みたいですから」 「この馬がね~ぇ」  その時である、何かの視線を感じたのか今まで話していた春ノ瀬桃花が行き成り緊張した面持ちで周りを振り返る。 「春ノ瀬さん、一体どうしたのですか?」 「今誰かがこちらを見ていた用な気がした物ですから、つい。やっぱり気のせいだったのかしら」 「気のせいですよ。俺は何も感じなかったし。なあ、羊野!」  勘太郎のその同意の言葉に羊野は何故か応えない。何故なら当の羊野も周りを警戒しながら何かを探していたからだ。それが何なのかは分からないが勘太郎はそんな羊野のあからさまな態度を見て素直に驚く。何故ならいつもはどことなく余裕をかましている羊野が今は珍しくかなり警戒しているからだ。それほどまでにやばい所に来た事に今の勘太郎は当然知るよしも無い。 「どうしたんだよ羊野、お前まで。まさか本当に何かいるのか?」 「そういう訳ではありませんが、何か嫌な視線を感じましてね。何か暴力と殺意に満ちたそんなさっきでしたわ」 「何だよ、お前、まさか相手の気で戦闘力でも分かるのかよ。どこの戦闘民族の宇宙人だよ」 「茶化さないで下さいよ。これだからアニメオタクは困るのですわ。私や春ノ瀬桃花さんが感じたのはこの天馬寺に漂う異様な雰囲気やその感覚、そしてその中で暮らす人の思いや殺気ですわ。まあ、何事にも鈍感な黒鉄さんには理解できない感覚でしょうけどね」 「そうか、何も感じないがな。まあ、この場所が特殊で不気味であると言う事だけは分かるがな」 「そんな事よりも早く先を進みましょ。この場所は何だか嫌ですから」  そう言うと春ノ瀬桃花は、まだ言い合っている勘太郎と羊野を促しながら二人を引き連れて行く。その足取りは一刻も早くその場から離れたい一心にも見える。  門を潜り抜け春ノ瀬桃花について行くと足下には天馬寺まで続いていると思われる木製の板が綺麗に並ぶ。歩く度にギシギシと板が軋む事から下は雨の水が谷底へと流れる為に通してある小さな用水路になっている用だ。  その木製の板の道に従いながら更に歩いて行くと大広場には目の前に広がる綺麗に整えられた芝生やその地面に所々に置かれている石の台座の上に立つ石像・胴像・鉄の像が微妙な距離感を保ちながら形良く並ぶ。  まるでオシャレな美術館の用な作りを連想させながら、三人は天馬寺に続く表の広場へと足を踏み入れる。 「へ~ぇ、山の頂上は意外と広いんだな。まるで外部と遮断された天空都市の用だぜ。ここだけがまるで別世界だな」 「園芸の知識によれば、芝生には暖地型の日本芝生と寒地型の西洋芝生があります。温かい所に適しているコウライシバは寒さには弱いので主に関東地方より下で作られ。寒い所に適しているベントグラス類のシバは主に北海道や東北地方で作られ栽培されているそうですよ。地面にはソッドと呼ばれる切り芝を敷き詰めて芝庭を作るそうですが、でもここでは敢えて寒さに強い芝を使っている用ですね。夏にはその熱と湿気で病気となって枯れてしまうと言うのに」 「まあ、ここは山の上だし、結構標高も高くて寒いから大丈夫なんじゃないのか。夏でも結構涼しそうだしな。そしてそんな芝生の庭園の奥に見えるあの建物こそが噂の天馬寺と言う訳か。距離にしてまだ二百メートルくらいはあるみたいだな。くそ~まだまだ遠いな」 「でも進むしかないですわね。こんな所でいつまでも道草を食っている訳にもいきませんから。急ぎましょう、黒鉄さん」  被ってある羊のマスクを直しながら言う羊野の言葉に、勘太郎と春ノ瀬桃花はまるで当然の用に従う。何故ならここに長居してはいけない用な気がしたからだ。その思いは当然ここに案内している春ノ瀬桃花やあの怖い物知らずの羊野ですらも自然と感じている程だった。  周りに注意しながら百メートルくらい歩くと、そこには大きな仏像やいろんな形の石像を丹念に磨く三十人くらいの白服の信者らしき人達が笑顔で掃除をしている。その無駄のない動きとまるで機械のような意味の無い声の掛け合いが何とも不気味で、その天馬様を称える歌を歌う姿は外から来た人からは大きな恐怖心をかき立てずにはいられない。 『天馬様は救世主~天馬様は世界を救う。レッツ号~レッツ号天馬様! この世は天馬様の愛で満ちている。信じる者には祝福を~神をも恐れぬ不届き者には天空からの死の裁きを! 天罰~制裁~滅殺~天昇、天馬様は神の馬! お布施と信仰で人々の罪が許される! 信頼~愛情~真心~得心~友情~努力! 信じる者は救われる。ありがたや~ありがたや~神様の化身~天馬様!』  と言う歌を皆で大合唱しながら無機質に、そして皆が笑顔で歌っているのだ。その異常さは目の前を通り過ぎようとする勘太郎達にも嫌でも伝わって来る程だ。  そんな盲目的と言うべき信者達が道を通り過ぎ用とする勘太郎達の存在に気付くと皆一斉に笑顔で挨拶をする。 「春ノ瀬桃花さん、お帰りなさいませ! 春ノ瀬桃花さんのお知り合いですね。天馬様は何でも知っていますよ。何せ天馬様は天空の空からいつも貴方を見ていますからね。そして来訪者の皆さん、ようこそ、天馬様が御座す天馬寺へ! ハハハハハハハハハ~っ!」  挨拶もそこそこに行き成り笑い出した信者達の奇行に勘太郎は思わず顔を引きつらせながらその場を離れようと一応挨拶をする。 「こ、こんにちは、精が出ますね。天馬寺に行きたいんでここを通らせて貰いますよ」  ぎこちなく挨拶をしながら信者達のいるその場所を通り過ぎようとする勘太郎は、急かす心を隠しながら早足でその場を通過しようとする。その後ろに白いロングスカートと白銀に光る長い髪を揺らしながら歩く羊野と目の前にいる信者達に躊躇しながら歩く黒髪ロングヘアがよく似合う春ノ瀬桃花がすかさずついて行くのだが、一番後ろを歩いていた春ノ瀬桃花が思わず声にならない悲鳴を上げる。 「ひぃ!」  その小さな悲鳴に思わず勘太郎も釣られて後ろを振り返って見ると、ついさっきまで不気味に笑っていた信者達が今度は皆一斉に動きを止めながらこちらを睨みつけていた。  そんな信者達の異様な言動に勘太郎は少し後ろを歩く羊野に視線を送りながら小声で心の内を告げる。 「な、なんなんだ、あの不気味で違和感のある異様な雰囲気は。何だか怖いくらいに異状だぞ」 「そうですわね。何だかみんなロボットみたいですわね。みんな良~く洗脳されていますわ。ホホホホホホッ!」 「わ、笑い事かよ!」 「ここは自由に宗教が選べる日本です。なのであの人達が何を信じようとそれこそ彼らの勝手ですし、彼らの信仰と人生に私がとやかく言う必要もありませんが。ですがその個人の信仰とやらを、嫌がる赤の他人にも押し付けようとするのははっきり言って迷惑ですし、いらぬお世話と言う物ですわ」 「ああ、その通りだな。だからこそ俺達は春ノ瀬桃花の父親、春ノ瀬達郎を取り返しにここへ来たのだからな」 「ええ、ですが春ノ瀬桃花さんの父親を、あちら側は素直に返してくれるのでしょうか」 「それはまだ分からないし、なんとも言えないが、それでもこれが依頼人でもある春ノ瀬桃花の要望である以上やるしかないだろう」  勘太郎は、この如何にも危なそうな信者達に怯える春ノ瀬桃花をかばいながら慎重に前へ前へと進む。  急ぎ足で何とか信者達の視界から抜けると今まで緊張しながら歩いていた春ノ瀬桃花が体を震わせながら涙ぐむ。 「お父さんは……お父さんは……大丈夫だよね。お父さんもしばらく合わない内にあんな風におかしくなっていたら、私……私……どうしよう」  思わず涙目になる春ノ瀬桃花に勘太郎はやさしい言葉で元気付ける。 「だ、大丈夫ですよ。あなたのお父さんが一人娘のあなたを忘れるだなんて事は絶対にありませんから安心して下さい。その高田傲蔵和尚とやらに捕らわれている貴方のお父さんは必ず俺と羊野が取り返して見せますから」 「ほ、本当ですか」 「ええ、信じて下さい。約束です」  そう言って無理やり小学生女子を納得させた勘太郎は、もし万が一にも助けられなかったらどうしようと言う不安を必死に打ち払いながら前向きに考える。  だ、大丈夫だ。例え俺や羊野が春ノ瀬桃花の父親でもある春ノ瀬達郎の脱退救出に失敗したとしても国家権力の犬でもある赤城先輩に頼めば恐らくは何とかしてくれるはずだ。それに多少強引に事を運んでいいのなら、羊野の力と悪知恵を駆使してあの天馬寺から人一人を救出する事も差ほど難しくは無いだろう。  そんな安易な事を考えていたその時、春ノ瀬桃花の体がビクッと大きく震える。 「た、探偵さん……」  春ノ瀬桃花の向ける視線の先を見て勘太郎は思わず凝視し、羊野はその被っている羊のマスクをゆっくりと向ける。  何故なら今まで誰一人としてその場にいなかった信者達が行き成りどこからともなく集まり、道の両端に並ぶかの用に皆整列していたからだ。数にして六十人程の信者達が皆一斉に手を合わせながら荒々しくお経を唱え始める。 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏! 天罰天昇、天罰覿面、天罰降臨、天罰必勝、天罰適材、不届き者には神の死を。信じる者には愛の奉仕を。あああああ~、天馬様! あああああ、天馬様ああぁぁぁぁ!」 「な、なんなんだ、こいつらは、一体。い、行こう春ノ瀬さん」 「は、はいっ」  蛇に睨まれた蛙の用に動けなくなっている勘太郎と春ノ瀬桃花に信者達は不気味なお経を唱えながら視線を向けるが、そんな信者達の囲む道を羊野は特に気にすること無く堂々と歩く。だが二人が自分の後ろに着いてきていない事が分かると羊野は不意にその不気味な羊のマスクを勘太郎に向けながらにこやかに話す。 「もう少しで本堂に着くと言うのに、なんかこの人達ブツブツとよく分からない独り言を言ってて耳障りですわね。黒鉄さんこいつら少し黙らせていいですか?」 「いや、絶対に駄目だぞ。確かに所見だと不気味で危なそうな人達に見えるけど恐らくはただの盲目的な信者だから。何の罪のないただの一般人だから間違っても危害を加えたりするんじゃないぞ。いいな!」 「えぇぇぇぇぇーっ、邪魔にしか見えないんですけど! なんかこいつらウザいし!」 「話もしたこともない所見の皆様に間違ってもそんな事は言うな!」  焦りながらも勘太郎は羊野と春ノ瀬桃花の手を掴みながら、お経を唱える信者達の道を急ぎ足で通過する。  居心地の悪いその場の雰囲気に冷や汗を掻きながら勘太郎・羊野・春ノ瀬桃花の三人はどうにか天馬寺のある表玄関へと辿り着く。 「ふっ、やっと着いたか。頂上からたった二~三百メートルの距離だと言うのにどっと疲れたぜ。それで、ここが天馬寺かよ」 「どうやらそう見たいですね。では本堂にお邪魔しますか。それで、玄関は何処ですか」  目の前には真新しい材木と檜で建てられた豪華できらびやかな和風のお寺が神々しく輝く。  木材の所々に使われている金や銀の装飾品が至る所に輝き、その備品に掛けている値段の高さが素人目にも分かる。そんな如何にも成金趣味の豪華な寺の玄関前に三人は立つ。  何でも春ノ瀬桃花の話ではここ一~二年で行き成り住職の羽振りが良くなり、あの(年月の為か)至る所を補修しなけねばならなかった趣のある古き良き寺も今は見るも無惨な物欲だらけの成金の巣窟へと成り果ててしまったとの事だ。  そんな見掛けからして物凄く入りづらそうな豪華な建屋に勘太郎は思わず尻込みをする。 「いや待て、まだ来たばかりだろ。こ、心の準備が」 「他人の家にただお邪魔するだけなのに黒鉄さんは今から何か準備をするのですか?」 「いや、普通に心の準備くらいはするだろう。これから敵地に入るんだからな」 「そう言う物ですかね。私にはよく分かりませんが、とにかく入りますよ」 「じゃ私、呼び鈴を押しますね。お、お父さんの事をよろしくお願いします」  そう言うと春ノ瀬桃花は引き戸の横に設置してある呼び鈴に手をかける。だがそんな彼らの訪問をまるで待ちかねていたかの用に玄関の和製の引き戸が自動的に開く。 「お待ちしていましたよ春ノ瀬桃花さん、またお父さんに会いに来たのですね。それで……その異様ななりをしたお二方は一体誰ですか。見た感じ春ノ瀬桃花さんのお知り合いとはとても思えませんが……?」  まるでここに来た目的を分かっているかのように、その引き戸の反対側には頭を綺麗に剃り上げた修行僧の出で立ちをした男が姿を現す。  その外見はがっしりとした大きな体形をしており、如何にも屈強そうな人物だと想像させる。  その彼が細い目を更に細くしながら勘太郎・羊野・そして春ノ瀬桃花を数秒程見つめていたが、不意にその不気味な笑顔を春ノ瀬桃花の方に向ける。 「桃花さんがここに来る度に毎回言っている事ですが、今現在……君のお父さんは荒行の真っ最中ですから当然貴方に会うことは出来ないですよ。それでも達郎さんに会いたいと言うのなら奥の小部屋で待っているといいです。そうすれば、もしかしたら君のお父さんに会う事が出来るかも知れないですからね。勿論来るのは入信候補者である春ノ瀬桃花さん……君一人だけだけどね。他の関係ない人達にはここでお引き取り願いましょうか。フフフ……」  ねちっこくニヤけながら言うこの修行僧に春ノ瀬桃花は嫌な物を感じながらも勇気を出して言い返す。 「こ、この人達は私が雇った探偵です。一緒に来て貰いました。そして今日こそはお父さんに会わせて貰いますよ。それに私は入信するだなんて今まで一度として言った事はありませんから、勝手に決めつけないで下さい!」 「君のお父さんは私と同じ修行僧なのですから、その娘である君は必然的にこの天馬寺の信者になるのは決まっている事じゃないですか。それなのに何をそんなにだだをこねているのですか。小学生はただ黙って大人の言う事を聞いていればいいと言うのに。しかも苦し紛れに誰を連れて来たのかと思ったらなにゆえに探偵なんかを連れて来たのですか。探偵なんかに依頼してなぜ父親と会えると思ったのですか?」  確かにごもっともな話だ。と思いながらも勘太郎は一歩前に出る。ここで自分が話をしないと一向にらちが明かないと思ったからだ。  勘太郎は少し緊張した面持ちで挨拶をする。 「こんにちは、私は市の生活保護課の者なのですが、最近春ノ瀬桃花さんが一人で家にいることが多く父親の姿も余り見えないとの連絡が周りのご近所から知らせが有りましたので、我々市役所の係員と致しましてはその現状を確認する為に調査と確認をしに来た次第です。もしかしたら子供を捨てての失踪か、あるいは何かの事件や事故にでも巻き込まれたのかもと思い、心配ですからね。そんな訳で春ノ瀬達郎さんの安否を確認する為にも少し春ノ瀬達郎さんとお話をしたいと思いまして、今日はここに伺ったと言う次第です。どうか春ノ瀬桃花さんの父親に会わせてはくれませんでしょうか」 「市の生活保護課って、病気で働けない人や高齢者が生活で困窮しているのを生活保護で支援するお役所の係の事ですよね。まさか子供の面倒まで見るのですか?」 「まあ、一応ご近所からそう言う連絡があったので、市の職員といたしましてはその実態を調べない訳には行かないと思いましてね、こうやってわざわざ足を運んできた次第なのですよ。我々の対応次第で、このお子さんに何か遭っては不味いですからね」  昨日一晩で考えた浅知恵でこの場を何とか乗り切ろうと市の職員になりすました勘太郎は一世一代の勝負に出た用だ。その為にわざわざ偽造した市役所の職員証明書カードと名刺をこれ妙がしに見せつける。 「なるほど、確かに貴方が市役所の職員の用ですね。でも先程の話だとあんたは桃花さんが言う所の探偵じゃないのですか?」 「あ、その探偵というのは恐らくはこの羊のマスクを被った白一色の羊の仮装をした女性の方だと思います」 「そ、そう言えば言おうか言うまいか迷っていたのですが、その羊のマスクを被っている可笑しな人は一体何なのですか。桃花さんの言う用に本当に探偵なのですか。とてもそんな風には見えないのですが?」 「ハハハ、最近は自分を売る為に可笑しな個性を持った人が多いと聞きますからね、恐らく彼女もそんな人達の一人なのだと思いますよ。わ、私は市役所の人間なのでよくは知りませんが、その業界ではかなり有名な探偵だとも聞いています。その頭の可笑しな女探偵とたまたま友達だと言う春ノ瀬桃花さんがそう私に教えてくれましたので先ず間違いないと思いますよ」 「あなたはその羊人間とは知り合いではないのですか」 「はい、完全な赤の他人です!」  その勘太郎の言葉に羊野の小さな蹴りが勘太郎の(すね)に炸裂する。  い、痛いなぁ、仕方ないだろうと思いながら、勘太郎は話を進める。 「そんな訳でして私も春ノ瀬桃花さんに同行させて貰います。それで、そちらの羊のマスクの女探偵さんはどうしますか?」 「当然私も春ノ瀬桃花さんについて行きますわ。春ノ瀬桃花さんの父親でもある春ノ瀬達郎さんに会ってお話をしないといけませんからね」 「し、仕方有りませんね。では特別にあなた方もこの天馬寺に入る事を許可しましょう。では桃花さんと一緒に応接間で待っていて下さい。今本堂で祈祷をしているここの主でもある高田傲蔵和尚にお伺いを立てて来ますから」 「あ、そう言えばまだ貴方のお名前を聞いてはいませんでしたわね。一体何と言うのですか?」  その羊野の言葉にその修行僧の男は不気味な笑顔を向けながら自分の名前を告げる。 「ああ、そう言えばまだ私の名前を語ってはいませんでしたね、大変失礼しました。私の名前は『有田道雄(ありたみちお)』(三十五歳)と申します。どうぞお見知りおきの程を」  そう言うとその有田道雄と名乗る修行僧は礼儀正しく深々と頭を下げるのだった。
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