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6.大沢家の家族達
6.大沢家の家族達
「ここが大沢邸か。車で来る途中に見た広大な田畑や大きな牧場には驚かされたが、それに負けず劣らずこの屋敷も趣があって立派な佇まいをしているな」
「ええ、疑惑ありげな事件でも起きそうな、そんな不気味な雰囲気が良く似合う豪邸ですわね。これはこれからが期待できますわ。フフフフッ!」
目の前に広がる豪邸を見た勘太郎の感想に羊野が別の意味で言葉を瞬時に返す。羊のマスク越しではその表情は分からないが、そのウキウキした雰囲気からして不謹慎ながらも更なる事件の展開を期待しているのは明白だ。
そんな羊野と勘太郎を伴いながら、宮下は木製の大きな戸窓を静かに開ける。
「さあ、中へどうぞ。もう既に皆さんがお待ちかねです」
古く趣を感じさせる大きな屋敷の中に通された勘太郎と羊野は、純和風の畳の匂いが漂う大きな応接間へと通される。
そこで勘太郎と羊野の目に飛び込んで来たのは、この事件の為に東京からわざわざ来たと言う三人の刑事達だった。
座布団に座る三人の刑事達の顔を見た瞬間、勘太郎と羊野は大きく溜息をつく。何故ならこの三人の刑事達とは互いに面識があるからだ。
勘太郎は態とらしく直ぐさまその三人の刑事達から視線を外すと、向かい合う用な形で反対側に座る三人の男達に目を向ける。
一番前に座る男はその成金じみた服装からして達の悪いヤクザにしか見えず。そして二番目に座る白衣を着た男は高潔で真面目そうな研究員を連想させる。そんな大沢家の二人はチラチラと盗み見る勘太郎の視線に気付くと、たった今到着したばかりの勘太郎と羊野をまるで怪しむかの用に疑いの視線を向ける。
(うわぁぁぁー、物凄く怪しまれているよ。し、視線が痛い!)
そんな突き刺す用な視線を向ける二人に対し、一番端に座る男だけは屈託のない笑みを見せる。勘太郎はその男の笑顔に見覚えがあった。そう九日前に直接依頼を頼みに来ていた大沢柳三郎その人である。
柳三郎は「遠くからよく来て下さいました」と言うと丁寧にお辞儀をし、それに合わせるかのように勘太郎と羊野も「いえいえ、ご依頼ありがとう御座います」と慌てて挨拶を返す。そこら辺はお互い大人なので徹底している用だ。
そんな社交辞令じみた挨拶を済ますと、勘太郎は緊張した面持ちで今度は正面を見据える。
畳部屋の上座の中央には茶加色の着物袴を着たスキンヘッドの初老の男性が堂々と座っている。どうやらこの初老の男性こそがこの屋敷の主にして、大沢農園株式会社社長の『大沢草五郎』その人で間違いない様だ。
そして大沢柳三郎と同じ座布団に座るこの二人の男は、その雰囲気からして大沢草五郎の義理の息子達で先ず間違いはないだろう。
先を歩く宮下の案内で大沢草五郎の前まで来た勘太郎と羊野は、皆に見詰められる中、改めて依頼の内容を告げられる。
「ワシがここの主にして、この大沢農園株式会社社長の大沢草五郎だ。もう柳三郎から話は聞いているとは思うが、改めてワシの口から言わせて貰おう。ワシがお前に希望する依頼は、地元の警察すらも匙を投げたこの大蛇事件を一から調べ直し、一刻も早くこの事件の真相を暴き解くことだ。大蛇を見たと言う柳三郎や宮下には悪いが、もう冬となったこの寒い時期に(活動的)アクティブに動き回れる大蛇など絶対にいないとワシは思っている。なのに、警察はろくに調べもしないで安易に害獣被害などといい、捜査を打ち切ったのじゃ。これでは無残に殺されたワシの妻の早苗や従業員だった伊藤の奴が浮かばれんわい。それに村人や地元の警察すらも大蛇神の祟りなどと言う怪しげな迷信を信じているから、この真相を追究しようとする物が誰もいなくて、ワシ自身かなりしびれを切らしていた所だったのだよ。たく、犯人の思惑にまんまと乗せられおって、本当に嘆かわしいわい!」
「なるほど、つまり草五郎さんは、みんなが言う大蛇の存在を全く信じてはいないと言う事ですね。この事件はあくまでもこの村に伝わる蛇神伝説の祟りを利用した誰かの人為的なトリックによる物だと……そう信じている訳ですね。だからこそ我々にその真実を調べて貰いたいと言う訳ですか」
「まあ、そう言うことだな。この日本にそんな奇々怪々な大蛇が本当にいたとしたらそれこそ可笑しいだろう。ワシは蛇神の祟りなぞ、端から信じてはいないからのう」
「分かりました。その大蛇の真相の捜査依頼、黒鉄探偵事務所の黒鉄勘太郎と羊野瞑子がキッチリと調べさせていただきます。後、この依頼で大蛇の正体がつかめなくても交通費と通常料金はキッチリと貰いますがよろしいですね」
「ああ、かまわんよ。それにもしこの事件の真相を解く事が出来たら特別追加料金、つまり特別労働手当はいくらでも弾むぞ。だから精々ワシの期待に応える用に捜査に励むのだな」
「わ、分かりました。任せて下さい。草五郎さんが納得いくように隅々まで調べさせて頂きます」
大蛇神の呪いなど全く信じていない草五郎の言葉に対し、勘太郎は大きな声で返事をする。
(話を聞く限り草五郎は大蛇の存在を全く信じてはいないみたいだから、取りあえずは調べるだけ調べて大蛇はいなかったと報告しようかな。最悪なんの成果も出なかったとしても通常料金は必ず貰える訳だし)
そんな姑息な事を考えていた勘太郎の後ろから元気な女性の声が飛ぶ。
「勘太郎、またみみっちい事でも考えているんじゃないでしょうね。ちゃんと依頼を受けたからにはこの事件を解決して見なさいよ!」
勘太郎が恐る恐る後ろを振り向くと、そこには三人の刑事達が腕組みをしながら堂々と仁王立ちをする姿が目に入る。
いつの間にか背後を取られた……と勘太郎が思っていると、一番前に立つ黒髪ボブカットの女性が和やかに勘太郎を見つめる。
「この家の主が独自に探偵を雇ったと言っていたけど、それがまさか貴方達だったとはね。相変わらず不思議な依頼だけが舞い込んでくる探偵事務所ね。これも何かの因果かしら」
にこにこしながら話すこの女性の名は『赤城文子』(二十代後半)。勘太郎の高校時代からの先輩であり、今は警視庁捜査一課・特殊班の刑事である。
その好意的な彼女とは対照的に厳しい視線を向ける二人の男性の名は『山田鈴音』刑事(三十代)大柄な体にきっちりとしたスーツが良く似合う好青年風の男性だ。そしてその隣にいる小太りの体形を持つ中年男性の名は『川口大介』警部(五十代)。厳しさの中にも優しさを持つ怖ボテのベテラン刑事だ。二人はいつもの用に渋い顔を向けながら勘太郎と羊野を凝視する。
「黒鉄勘太郎に羊野瞑子……大沢草五郎氏が雇ったと言う探偵と言うのはやはりお前達の事だったのか」
「人呼んで、白い羊と黒鉄の探偵。赤城、まさかまたお前が勝手に彼らを呼んだんじゃ無いだろうな!」
「いいえ、今回は私も彼らが来ている事は知りませんでした。私達がここへ来たのは昨日の事ですし……本当偶然って不思議ですよね」
「本当か、本当に彼らをここに呼んではいないのだな。赤城、信じていいんだな!」
「もう相変わらず疑り深いですね、川口警部は。今回は全くの偶然です。大沢草五郎さんにも彼らの事を教えたりはしていないですし」
「お前には毎度の事ながら疑惑があるからな。事件の情報漏洩はしていないだろうな」
「疑り深いですね、人聞きの悪い。それに黒鉄探偵事務所に捜査協力を頼む事は昔からよくあることだと、前に川口警部が自分で言っていたじゃないですか」
「それは初代黒鉄の探偵だった黒鉄志郎の時の話だ。誰が好き好んで二代目の未熟な探偵と頭のいかれた白い腹黒羊なんかに頼む物かよ。かえって捜査がややこしくなるわい!」
「でも何だかんだ言って、これまでだって彼らは難事件を幾つも解決に導いているんですよ。つまり彼らの捜査能力はあの名探偵だった黒鉄志郎に匹敵するくらいに高いと言う事です。そこは素直に評価してあげてもいいのではないですか」
「うっ……まあ、そうなのだが、そこへ至るまでの被害が大きすぎるのだよ。解るだろう赤城、彼らと一番長い付き合いのお前なら!」
「まあ、川口警部の言いたいことは分かりますが……」
まるで理解したかの用に目を伏せ、話を合わせる赤城文子の言動に川口警部と山田刑事の二人は何やら不信を感じている用だったが、勘太郎達の受けた依頼が個別の物である事を渋々承諾する。
そんな刑事達と軽い挨拶を交わした勘太郎は、壁に立て掛けられている大きな柱時計に目をやる。
時刻は十三時三十分。
お昼は等に過ぎているが勘太郎と羊野はまだ昼飯を食べてはいない。草薙村に降り立った時に飲食店らしき物が一つも見つからなかったからだ。
宮下達也の車で移動している時も一応探しては見たのだが、全くと言っていいほどに飲食店が見当たらない。大沢家に行く途中に見えたのは、いろんな廃車が置かれた無人のスクラップ工場と数件の古民家、そして収穫時期を終えた大きな田畑と牛や馬が闊歩する牧場だけだ。
だからこそ勘太郎はこの屋敷で昼食が食べられる物と密かに期待していたのだが、その考えは直ぐに落胆へと変わる。午後となった時点で昼食が出るのはもはや絶望的だからだ。
そんな事を考えていた勘太郎は自分の浅はかな読みを死ぬほど後悔する。
「なんだ、東京から来た刑事さん達と探偵さんは知り合いかね」
刑事達とのやり取りを見ていた草五郎は、勘太郎と羊野に目を合わせると刑事達との関係性を探る。その悪戯っぽく笑う老人の目はまるで子供の用だ。
そんな草五郎の右薬指に付けている黒い真鍮の指輪を見た時、また渋い指輪を付けているな~と勘太郎は思ったが、そんな自分達はまだ大沢草五郎氏にちゃんと挨拶をしていない事に気付くと慌てて挨拶をする。
「あ、大変申し遅れました。そう言えば私共の挨拶がまだでしたね。私は黒鉄探偵事務所所長の二代目・黒鉄の探偵こと黒鉄勘太郎と申します。どうぞお見知りおきを。そして私の隣にいる、この如何にも怪しげな被り物をしている白い羊が……」
「はい、私は探偵助手の羊野瞑子と言う者ですわ。どうぞお見知りおきを」
「フフフフ、話は聞いているよ。あんたらが噂の、白い羊と黒鉄の探偵。その手の業界じゃそう呼ばれているそうじゃないか。どんな難解な事件をも速やかに解決へと導くとか。昨日そこの女刑事さんに黒鉄探偵事務所の探偵を雇ったと話したらひどく驚いていたよ。そして話せる範囲でだが、いろいろと教えてくれたよ。お前達のこれまでの活躍の話、なかなかに面白かったぞ」
高笑いしながら話す草五郎社長を眺めていた勘太郎は、その視線をゆっくりと赤城刑事に向ける。
余計なことは言うな~と言う勘太郎の視線に赤城刑事が気付くと、屈託のない笑顔を向けながら態とらしく手を振る。
大袈裟に尾ひれまでつけて、期待と言うハードルをわざわざ上げて来るとは、いつもながら恐ろしい先輩を持った物である。
そんな勘太郎の心情など梅雨とも知らない草五郎は、今度は隣にいる羊野に視線を向けると、物珍しそうに見る。
「しかし話は本当だったのだな。白い衣服を着た女性の方は本当に白い羊の姿をしている。これには本当に驚かされたわい。ある噂では、黒鉄の探偵と呼ばれる者は……凶暴で狡猾な白い羊を飼っていると言う噂があるのじゃが、それが彼女と言う事なのか。確かに不気味で可笑しな格好は目に付くが?」
「ホホホホッ、凶暴狡猾とは、また人聞きが悪いですわね。私はただの善良な一般市民の一人ですのに」
興味津々に問いかける草五郎の言葉に、羊野は長い厚手のスカートの両端を両手で撮みながら愛らしく挨拶で返す。
「柳三郎が言うには、その素顔は美しい白い肌と流れるような白い長髪をした美人さんだとか。そう言われるとワシとしては是非ともその中身を見てみたいと言う物。大変失礼かとは思うが……どうかね。ここは薄暗い建屋の中だから日の光はそんなに強くは無いはずだ。もし良かったらそのマスクを外して素顔を見せてはくれんかのう」
その言葉に羊野は少し困った素振りを見せていたが「まだ十分に日も高いですけど、建屋の中ですし……まあいいでしょう。少しの間だけなら」と言いながらその白い羊のマスクをゆっくりと脱いで見せる。
その瞬間長く綺麗な白い髪は腰まで垂れ下がり、白く瑞々しい肌があらわとなる。その姿はまるで綺麗な西洋のお人形の用だと、草五郎は真面目にそう感じていた。
「そうか、確かに真っ白だな。悪かったのう~お嬢さん、もういいぞい。ただ単に好奇心で確かめて見たかっただけじゃからのう。ワシのわがままを許してくれて感謝する。ワシは古い考えの人間だからのう、この目で見た物しか信じられんのじゃよ。そうじゃ、その身が日光に弱いのなら何かと大変だろう。この村にいる間は私の知り合いが経営している民宿に泊まるといい。日辺りが一番悪い部屋を二つ至急用意させよう。失礼をしたお詫びとして宿の宿泊費は勿論こちら側で持たせていただく所存じゃ。それにその宿にはそこにいる刑事さん達も昨日から宿泊しているから何かと安心のはすだ」
そう言いながら大沢草五郎は満足げにカカカカッーっと笑う。どうやら一つの疑問が解け、その達成感に浸っているのだろう。だが同時に宿代をタダにしてくれると言い出したのは羊野の素顔を興味本位に見たその後ろめたさからだろうか。
そんな草五郎がさりげなく貸しを作る用な形に持って行ったのは『宿泊代はタダにしてやるから大蛇事件の真相は必ず掴めよ!』と言う無言の圧力(プレッシャー)なのかも知れない。
そう思うのは流石に考え過ぎだろうか。
そこにどんな思惑があろうとも事件が解決するまでの宿泊代を向こうが持ってくれると言うのならそれは願ったり叶ったりと言う物である。何故ならここで普通に払う宿泊代も正直馬鹿にはならないからだ。少なくとも勘太郎はそう思っている。
日当たりが非常に悪い陰気な部屋か~ぁ。はあ~、そんな部屋は日の光が苦手な羊野だけにして貰いたいぜ……と勘太郎が思っていると、草五郎が傍にいた宮下を呼びつける。
「宮下、民宿の竹田さんに至急電話をかけなさい。本当ならワシが直に電話をして民宿の主人に話をつけてもいいのだが、如何せんワシは携帯電話を持ってはいない。玄関まで行って固定電話で話をするのも流石に面倒いからのう。頼むぞ」
「私が電話を掛けて予約をするのは一向に構いませんが、草五郎社長。だから携帯電話を持って下さいとあれ程言っているじゃありませんか。社長が携帯電話を持っていてくれないといざと言う時に連絡が付かないのですよ。だから頼みます、本当に」
「だ、だから携帯電話は小難しくて……ワシには扱えんといつも言っとるだろう!」
「一体いつの時代の人間ですか、草五郎社長は。今のご時世、誰でも携帯電話は持っているのですから、お願いします。それに今は機械音痴なおじさんにも使いやすい簡単な携帯電話もありますから、これを機にスマホデビューをしてみてはいかがですか」
「いいや、ワシはあの小型電話がどうにも好きにはなれん。スマホだか柄系だかは知らんが、家には黒光りする年代物の立派な固定電話がちゃんとあるのじゃからそれでいいだろ。ワシに持ち歩き出来る携帯電話は必要ないわい!」
ここぞとばかりに携帯電話を勧めて来る宮下の提案を却下した草五郎は、直ぐさま話の話題を返える。
「そんな事より宮下、まだワシの息子達の自己紹介が済んでいないだろ。ここは探偵さん達に軽く紹介して起きたいのだが」
「分かりました、草五郎社長。ではここからは私が皆さんの自己紹介を簡単にさせて貰いますが、それでよろしいでしょうか」
草五郎社長の名を受け、宮下達也がここに集まっている主な登場人物達の自己紹介をする。
「え~では、こちらの座布団に座っている三人の方々を順に紹介しますね。一番前に座っているこの方は、この大沢家の三兄弟の長男にして金融会社を営んでいる『大沢杉一郎』さん(三十五歳)です。杉一郎さんは現在、三週間前にお亡くなりになった奥様『大沢早苗』の後を継ぎ、金融関係のお仕事に携わっています。その手腕は確かで、あのお金にうるさく几帳面な奥方様も認めていた程です」
「ははは、宮下、俺の母親を何気に議するのはいただけんが、流石に俺を褒めすぎだぞ。でもまあ~全て本当のことだが。俺は将来親父からこの大沢農園株式会社を引き継いで守らねばならない立場の人間だからな。これくらい出来て当然と言う事だ。それに歴としたここの長男だしな。そんな訳で探偵さん方、よろしく頼むわ!」
笑いながら挨拶をする杉一郎の顔を勘太郎は挨拶がてらさりげなく見る。
杉一郎の服装は高そうなブランド物の紺色のスーツを着こなし、首には白銀のネックレス・腕には金色に輝くローレックスの腕時計・両方の中指と薬指にはダイヤとルビー・サファイアといった宝石が散りばめられた指輪が目に付きやけに目立つ。
この成金趣味の服装やヤクザのような素行の悪い仕草からして、彼の職業が悪質な高利貸しである事が容易に想像できる。
「続いて、その真ん中に座っている白衣姿の青年が、大沢家次男の『大沢宗二郎』さん(三十歳です)。一年前からチラホラと噂が出ていた大蛇神様を今も追っている研究熱心な生物学者さんです。彼は一年前までは東京のある有名な大学で准教授として教鞭を取っていましたが、その一年前に、当時家の高利貸し業で働いていた伊藤松助が大蛇らしき物に巻き付かれて亡くなった事件を知り、その真相を確かめる為にわざわざ東京の大学から戻ってきた変わり者です。この事件が本物の大蛇による物かどうかを確かめる為だけにせっかく掴んだ大学の准教授の地位を自ら捨てるなんて、ハッキリ言ってどうかしています。真冬でも活動できると言うその幻の大蛇の生態について興味が湧いたと言って一年前からいろいろと調べているようですが、また痛ましい事件が起こってしまったようで本当に残念です」
「ふん、伊藤や母がその大蛇によって本当に殺されたのなら、我々研究者がその新種の大蛇を捕まえて速やかに保護してやらねばなるまい。未知の研究材料としても非常に興味があるしな」
その宗二郎の発言に傍で聞いていた宮下が抗議の声を上げる。
「なんと、恐れ多くもあの大蛇神様を捕まえようと考えるなんて、何て恐ろしい事を。宗二郎さん、その考えは流石に不敬かも知れませんよ」
「ふん、お前のような大蛇神とやらを信仰する怪しげな信者と今更問答する気など無いわ。あの大蛇が神の大蛇などと世迷い言をいいやがって。蛇神の祟りや呪いなんて、そんな非科学的な物が実際にある訳が無いだろう」
「それはどうでしょうかね。世の中には科学では決して解明できない事もありますから」
「いや、神の蛇だなんて、そんな迷信じみた事は絶対に無いな。あれは外の寒さに堪えられる用に異常な進化を遂げた……突然変異体の新種の蛇だよ。絶対にそうだ」
流石にどちらの可能性も極めて低いだろうと思いながら、宗二郎と宮下の熱いある妄言に勘太郎は内心否定的な思いを寄せる。それだけ二人の言っている事は非現実的過ぎたからだ。
そんなあり得ない可能性を語る宗二郎の服装は、白いワイシャツの上から白い白衣を堂々と着こなし、下のスーツズボンはダークグレーで統一されている。その姿は正に研究者を連想させる出で立ちだ。
そんな宗二郎との考え方の違いに話が一向に進まないと悟った宮下は、すかさず話の話題を変える。
「そう言えば宗二郎さんもこの会社を継ぎたいのですよね。兄の杉一郎さんと協力してこの会社を盛り上げて行きたいと言う事ですか」
「いや、俺自身の経営手腕だけでこの会社を更に大きくするつもりでいるよ。だからこそ俺は大学を辞めてここに帰って来たのだ。それに大沢家の長男だからってこの会社を継げると言う訳では無いだろう。親父は常々兄弟の中から差別無く優秀な奴にこの会社を任せると言ってくれている。だったらこの会社を継ぐのは大学で教鞭を取っていた天才のこの俺を置いて他にはいないだろう!」
「な、何を言っている宗二郎。ちょっと頭がいいくらいでいい気になるな。長男であるこの杉一郎が継ぐに決まっているだろう。貧弱な次男坊は黙っていろ!」
「兄さんこそ、借金をしている人から違法にお金を回収するのは上手いみたいだけど、だからと言ってこの会社全体を取り仕切る手腕は無いだろ。兄さんのやり方はいつも古いんだよ」
「な、なんだとう、てめえぇーぇぇぇ!」
「杉一郎さん、宗二郎さん、お静かに、まだ各々の自己紹介の途中ですよ。草五郎社長も見ている事ですし」
その宮下の落ち着いた言葉にハッとした杉一郎と宗二郎の二人は、上座に座る草五郎社長の顔色を見ながら急に静かになる。どうやらこの二人に取って父親でもある草五郎社長は、頭が上がらない程の絶対的な存在なのだろう。
そんな謙虚な姿を確認した宮下は、直ぐに気を取り直して座布団に静かに座る最後の一人を紹介する。
「もう九日前に会っているとは思いますが、一番端に座っているこの青年が大沢家三男の大沢柳三郎さん(二十三歳)です。彼は今現在、秋田駅から程なく近い秋田大学で学生として勉強をしていますが、たまに家の手伝いをするために実家に帰って来る気立てのいい若者です。動物が好きらしく、趣味は牧場の馬の世話をすること見たいです」
「馬の世話ですか。そう言えばここへ来る途中に牧場らしき物がありましたね。牛や豚がいたような気がしましたが、まさか馬もいるのですか」
「ええ、この牧場では十頭ほど飼っています。柳三郎さんは馬の飼育をしながら乗馬を楽しむのが趣味なのですよ。なので、草五郎社長とはたまに親子水入らずで、乗馬をしたりもしています。それに大学では乗馬クラブにも入っていると言うかなりの馬好きです」
「へ~ぇ、乗馬ですか。何だか格好いいですね。でも村の中を走る訳では無いのでしょう。一体何処を走るのですか」
「勿論牧場の中でも走っていますが、この村を囲む用に広がる山沿いの道は隣町の山まで続いていて、その道を使って上手く活用しています。その獣道は結構広くて昔の人達はその山道を使って各村々を行き来していたそうです。ですが今は誰もその山道を使ってはおらず、その獣道の存在も知っている人しか知らないと言うのが真実です。なので、今は柳三郎さん達の乗馬の練習用コースとして使わせて貰っています」
「わざわざ狭いボコボコとした獣道を走るのですか……なるほど、なんだか難しそうですね。馬に乗って歩くだけでも一苦労だ」
「柳三郎さんは本当に馬に乗るのが上手なのですよ。この前も馬に乗りたいという社員に馬の乗り方を教えていましたし……」
宮下がそこまで言うと、話を聞く勘太郎の間に柳三郎が慌てて割って入る。
「み、宮下さん、俺の話はもういいですから、次行きましょう。まだ紹介するべき人達がいるでしょう」
趣味のことを言われたのが恥ずかしいのか、柳三郎は顔を真っ赤に赤面しながら話題を変える。
「ええ、そうでしたね。今度はここで働く主な従業員達を紹介しますね。この大蛇事件を調べるに当たっていずれも役に立つかも知れない重要な情報を持った人達ですから、会って置いて損は無いと思いますよ。て言うかこの私が個人的に会わせたかったんですけどね」
そう言いながら宮下が手を叩くと奥の襖が開き、作業着を着た二人の男性が姿を現す。一人は眼鏡をかけた中肉中背のオタク風の男。もう一人は痩せ型で頭を茶毛に染めた今時の若者風の男だ。
その二人の男は開けた襖戸の前に遠慮がちに座ると、それを確認した宮下が何やら楽しげに話し始める。
「この眼鏡をかけた男性の名は小島晶介(四十五歳)。主にここから少し離れた養鶏場で鶏の世話と室内のプラントで栽培している人工野菜の管理を任されています。そして彼は現在、自分の趣味と実益をかねて自分の家に蛇園なる物を作っているとのことですが、今も増築中との事です。そんな訳で彼の蛇園では世界中から集められた外国産のニシキヘビや色んな珍しい蛇達を見る事が出来ますよ。そこにいる宗二郎さんも生物学者なだけあって生物学には詳しいですが、蛇の事に関してならアマチュアながらも蛇マニアの彼に聞くのが一番いいと思いますよ」
宮下に紹介されると小島晶介は鼻高々にどや顔を決める。
「ははは、蛇のことなら何でも聞いてくれ」
「は、はあ……」
だが勘太郎にしてみたらそんな紹介など今はどうでもよかった。何故ならお腹と背中がくっつきそうなくらいに今は腹が空いているからだ。
(蛇かぁ~、全く興味が無いな。あんなのを飼っているなんて、蛇好きの奴の気が知れんわ!)
そんな事を考えていると勘太郎の心の声がつい口から漏れる。
「趣味を兼ねているって……なら今後、蛇のことで困った事があったら彼に聞いた方がいいのかな?」
勘太郎のつい口から出た言葉に、小島が明るい顔で応える。
「蛇というか、爬虫類全般だよ。でもやはりその中でも大蛇が一番いいかな。力強くって綺麗で……しなやかだぁ。鯉や鳥だってその美しさで評価されているのだから大蛇の皮の模様だってもっと評価されても可笑しくは無いはずだろ。蛇の肌形や模様の美しさ、これはもう芸術品と同じだと僕は思うんだ。そうは思わないかい!」
何気なく振ってしまった蛇の話題に、小島は目を大きく見開くと蛇の素晴らしさを雄弁に語る。
その間、小島が着ている汚れた作業着からはニワトリ独特の臭いが漂う。その感じからして小島晶介は余り服装や身嗜みにはこだわらない性格の人だと言う事が分かる。
そんな蛇好きの小島はまだまだしゃべり足りないと言うような感じだったが、いい所で宮下に話を停止させられる。
話の中断に少しムッとする小島だったが、直ぐに気分を変えると勘太郎に向けて万遍の笑顔を作る。
「探偵さん、あんたとは何だか気が合いそうだね。近いうちに僕の蛇園を訪ねて来るといいよ。その時はまた爬虫類の……特に蛇の話をして盛り上がろう、必ず!」
何か通じる物があったのか、何故か小島晶介に気に入られた勘太郎は苦笑いを浮かべるとその場を誤魔化す。
(俺、爬虫類とか、全く興味が無いのだが……何故こんなことに?)
「趣味を共通出来るお友達が出来て良かったですわね。黒鉄さん」
笑いをこらえながら話す羊野をジト目で見る勘太郎は、あの蛇マニアの前では極力蛇の話題は避けようと密かに心の中で誓う。
「そしてもう一人の茶毛の青年は『池ノ木当麻』(二十九歳)です。仕事は重機機械の整備や用務の雑用が彼の主な仕事です。何でもここへ来る前は、東京である有名な美術工作を扱う制作会社の大道具係などのお仕事をしていたみたいです。そんな訳で腕はかなり起用なので細々とした仕事が得意みたいです。現在は村外れの方に借家を借りて(そこで趣味の様々な)動物達の模型を作りながら工房でいそしんでいるそうです。彼曰く、所謂、動物模型芸術家と本人は名乗っています」
宮下の池ノ木当麻に関する自己紹介を聞いた勘太郎は『ああ、つまり東京で仕事や人間関係に挫折をした若者がこの村に辿り着いた……と言う事かな』と勝手に想像しながら、遠巻きに床へと正座をする池ノ木をゆっくりと観察する。
外見は茶髪で細身、今時の若者を思わせるようなイケメンモデル体型をしている。容姿もそんなに悪くは無い様だ。
服装は当然この会社の作業着を着ているのだが、隣にいる小島晶介とは違い、身なりは小綺麗にしている。なので、仕事中にも関わらず嫌な臭いは全くしない。恐らくはエチケットにも気を使っているのだろう。
そんな池ノ木は「ど、どうも……池ノ木です」と小声で挨拶をしてくれたが、直ぐに話を終えてしまう。どうやら彼は余り人とは話をしない無口な人の様だ。
「後、この館で働く幾人かのお手伝いさん達や外で働いている他の職員達とかがいますが、この家に出入りしている大まかな人達の説明はおおよそこんな感じです」
宮下はそう言い終えると後ろに下がり、当主様の指示を仰ぐ。
暫しの沈黙の後、最初に口を開いたのは当主の草五郎社長だった。
「家の者の紹介も大体済んだ事だし、村人達が見たと言う大蛇について生物学者でもある宗二郎の話があるそうだ。もうしばらくこの話に付き合ってくれ」
その草五郎の言葉に、宗二郎が顔にかけている眼鏡の位置を軽く直すと真剣な面持ちで話し始める。
「私は元大学の准教授とはいえ、歴とした生物学者だ。だからあの生物が神の化身なのだと言う与太話は全く持って信じてはいない。だが、極めてごく稀なケースではあるが、突然変異で大きくなった外来種のアミメニシキヘビという突拍子も無い説には、生物学を志す者としては心を揺さぶられる物がある。何故ならその秘められた生態や未知の進化と言う可能性は決して無視は出来ないからだ。なので、もしその大蛇を捕まえる事が出来たら是非この私に知らせて欲しい。勿論生きたままが理想的だが、この際死んでいても構いません」
そんな宗二郎の言葉に羊野は不適な顔を向ける。
「宗二郎さん、あなたはここの村人達とは違い、純粋に突然変異を遂げた寒さに強い生物としての大蛇の存在を頑なに信じている。それが環境の変化から来る物なのか、或いは完全なる新種による物なのかは分かりませんが、必死に生きようとする生命の未知なる可能性を貴方は信じた訳ですね。ですが第三の可能性として、もしかしたらその大蛇は何者かの手によって作られたタダの張りぼての虚像かも知れませんよ。実際にその大蛇に触って確認した訳では無い以上、その見たと言う大蛇も実際本物かどうかはかなり怪しい物だとは思いませんか」
「つまり、この一連の事件は、神の大蛇による仕業でもなければ……突然変異を遂げた野生の大蛇の仕業でも無いと、貴方はそう言いたいのですね。貴方の考えではこの大蛇事件は、姿なき犯人により巧妙に仕組まれた謎多き殺人事件だと思っている」
「この大蛇事件の裏にはもしかしたら謎の犯人がいるかも知れない……そんな可能性も決してゼロでは無いと言う事ですわ。そんな人為的な可能性は考えなかったのですか?」
「う~ん、それが私にもよくは分からないのですよ。一年前に伊藤が急に亡くなり、事件の真相を知った私は急ぎ蛇神神社へと馳せ参じ大蛇を探し回ったのですが、結局その姿を見る事はおろか大蛇を発見する事すらも出来なかった」
「では現場に残された痕跡や何かの証拠になり得る物的証拠は見つからなかったのですか」
「ああ、もう知っているとは思うが、絞め殺された二人の遺体の衣服からはアミメニシキヘビの唾液や脱皮の抜け殻の破片が見つかっている。恐らくは脱皮がまだ完全では無い時に人を襲ったのだと思われるが……それもよくは分からんのだよ」
「分からないってどう言う事ですか。アミメニシキヘビの抜け殻の破片や唾液が見つかっているのならその大蛇が大沢早苗さんと伊藤松助さんを殺した犯人ではないのですか?」
「君もそう考えているのかね。いや、君の話を聞く限りではそう思ってはいないだろう」
ハキハキと話しかける羊野に少し引き気味の宗二郎はハンカチで眼鏡を軽く拭くと、内なる疑問を語り出す。
「先ずアミメニシキヘビを見たと言う村人達の証言からも分かる用に、その大蛇の大きさが尋常では無い事が分かっている。推定全長、数十メーゥ__・胴回りが約八十センチと言う映画のような大蛇が本当に存在している。そしてその巨体を維持する為に主に何を食べ、そしてどうやって獲物となる動物達を狩っていたのかは正直気になる所だが、変温動物でもある大型爬虫類のアミメニシキヘビが日本の気候の温度変化に一体どうやって適用しているのか。そしてマイナス何度まで耐えられるのか。冬眠はするのか、などなど色々と謎は尽きないが、生き物達の生命力は時として人間の常識や知識を遙かに超える可能性を秘めている以上その未知なる可能性を私は信じたいのだよ。三週間前に大蛇と遭遇した村人達や柳三郎の証言によれば、その大蛇は物凄い速さの蛇行移動で水が流れ落ちる用水路の中へと入って行ったらしいが、そんな冷たい水の流れる穴の中に入っていったら、普通のアミメニシキヘビは一~二分でその動きが鈍り、数分後には体温低下で凍死してしまう事だろう。それもそのはず、爬虫類は哺乳類と違って羽毛も無ければ体の温度調整も出来ませんからね」
「そうですね、私もそう思いますわ」
「なのでもし体温機能を持つニシキヘビが本当に現れたのだとしたら、それは世紀の大発見と言う訳なのだよ」
「ですがその噂されている大蛇の太さと、被害者の首に残されている首全体に広がる死斑の跡とでは大きな矛盾があるでしょ。そこの所はどう考えているのですか」
「そこが一番の謎だな。一年前に亡くなった伊藤松助や最近亡くなった私の母の死体の首筋にはいずれも何かで絞められたような死斑の跡があったのだが、それと村人の目撃者に確認された大蛇の大きさが何故か合わないのがこの謎の一つなのだよ。その首に残された死斑の跡からして本当の大蛇の太さは、約四十センチから~(どんなに大きく見積もっても)六十センチと言った所だろうか。どうやら二人ともその強い締め付けで首の骨が外れて頸椎が損傷していたとの事だ。だがその死体から大蛇に関わる痕跡がいくつか出てきている以上、その大蛇が実在する可能性も当然否定は出来ないと言う事だ」
眼鏡を拭き終え再び掛け直す宗二郎に、羊野は同感とばかりに大きく頷く。
「なるほど、宗二郎さんの考えは大体分かりましたわ。では大蛇を見つけたら貴方に知らせればいいのですね」
「ええ、そう言う事です。お願いしますね、白い羊のお嬢さん」
熱い気持ちで頭を下げる宗二郎の頼みを直接聞いた勘太郎と羊野は、この依頼への決意を新たな物とする。
「では黒鉄さん、外の方へ聞き込みへと出る前に、取りあえずは屋敷の中を少し回って見て行きますか。一~二箇所程見ておきたい場所もありますから」
「そうだな、そうするか。では草五郎社長に他の皆さん、もう話が無いのなら俺達はそろそろ捜査を開始したいのですが、よろしいでしょうか。それと少しこの屋敷の中を見て回って行きますが、特に問題はありませんね」
「ああ、いいぞい、好きにするが良い」
勘太郎と羊野は廊下に出ようと入口の方へと歩き出し、それを見ていた赤城刑事・川口警部・山田刑事の三人も釣られて動きだす。
そんな今にも終わりそうな解散ムードの大広間に、沢山の湯飲み茶碗の入ったおぼんを抱えた、一人の若い女性が姿を現す。
「あの~遅くなってすいません。お……お茶を持って来ました。どうぞ」
物凄く申し訳なさそうに言う彼女に、大きな鋭い罵声が飛ぶ。
「もう皆さんお帰りになるところだよ、この鈍間が、いったい今まで何をしていたんだお前は、このクズがぁぁ!!」
「申し訳ありません……申し訳ありません……他のお仕事をしていた物で遅くなりました!」
「弁解はいい、身寄りの無いお前をここへ住まわせてやっている恩も忘れて、のうのうと言い訳なんかしているんじゃねえ。この呪われた蛇の一族がぁぁ、この一連の事件は全てお前が原因じゃないのか!」
遅くお茶を持ってきた若い女性に、長男・大沢杉一郎がドスの利いた罵声で言い放つ。
その様子に宗二郎は無関心とばかりに無視をし、柳三郎はまたかと言った用な顔で大きく溜息をつく。
「杉一郎さん、何もそこまで言わなくてもいいじゃ無いですか」
さすがに赤城刑事が止めに入るが杉一郎は彼女の前へと近づき、更に罵声を強める。
「俺は知っているのだぞ。お前のあの呪われし予言のお陰で家の母はあの大蛇に殺される羽目になったのだ。それを忘れたとは言わせねえ。一年前は家の社員だった伊藤松助の死をも予言したみたいだしな!」
「そんな、私は何も……」
「家の母親を死に導いて……俺達家族に復讐でもするつもりか。あんな大蛇を操って、お前は魔女か、この人殺しがあぁぁ!!」
「おい、あんた、さっきから一体何を言っているんだ。いい加減にしろ!」
彼女のえり首を掴む杉一郎にさすがに見かねた勘太郎は二人の元へと駆け寄ろうとするが、そんな勘太郎の前を羊野が素早く通り過ぎる。
通り過ぎた際の羊野の表情は相変わらずニコニコと微笑んでいる用だったが、目は一切笑ってはいない。どうやら羊野は一方的に若い女性に罵声を浴びせる杉一郎の態度に気分を害してしまったようだ。
そんな二人の視界の先には、今正に大きく振り上げられた杉一郎の右腕が、恐れ戦く女性の顔に振り下ろされようとしている所だった。
「ひ、羊野、杉一郎さんを止めてくれ!」
この暴挙を何とか止めようと勘太郎が必死に叫んだその瞬間、杉一郎の豪快な平手打ちが女性との間に割って入った羊野の左頬にまともに叩き込まれる。
パッシ~ン!!
その瞬間乾いた音だけが大広間に響き渡り、それを見ていた人達の声が皆一斉に静まり返る。
だがその羊野の行動に一番驚いていたのは当の大沢杉一郎の方だ。
「わ、悪いな~つい手を当ててしまったぜ。でもいきなり出て来たあんたが悪いんだぜ」
熱くなっていた感情の熱が冷めたのか杉一郎は、左頬を赤く晴らした羊野を見ながら慌てて言い訳をする。
「そんな事はどうだっていいのですよ。それよりも杉一郎さん、そこの彼女が呪われた蛇の一族で復讐の為に大蛇を操っているとか言っていましたが、それはいったいどう言うことですか?」
罵声を浴びせられていた彼女を心配して来たのかと思いきや、頬をぶたれたことなど一切意に介さない羊野が杉一郎の漏らした言葉を追求する。
そんな羊野の指摘にあからさまに嫌な顔をしていた杉一郎だったが、積年の恨みを吐き出すかの用にその口を豪快に開く。
「そいつは自殺し離散した蛇神神社の神主……蛇野川拓男の娘にして、その末裔の生き残りの娘だ。奴の親父さんが家のサラ金会社から金を借りて、返せなくなって勝手におっ死んだのはそっちの都合だろ。それなのにそれを逆恨みして呪われた蛇神の大蛇を操って堂々と復讐をするとは……逆恨みも甚だしい。ふ、ふざけんじゃねえぞおぉぉぉ!!」
自分の言葉で更に興奮した杉一郎は羊野の後ろで怯える女性の腕を掴むと、再び自分の元へと引き寄せようとするが、今度は宮下達也にその腕をつかまれ阻止される。
「いい加減にして下さい。彼女にそんなことが出来るわけ無いじゃないですか」
「う、うるさい。宮下お前、放せ。その手を放さんか!」
「柳三郎さんも見てないで手伝って下さいよ。俺一人じゃ抑えきれません!」
宮下に急かされ仕方なく駆け寄る柳三郎は、面倒くさげに杉一郎に言い寄る。
「兄貴、いい加減にもうやめろ、家族の恥をさらすなよ」
「うるさい、プー太郎学生が、大した役にも立たない癖に粋がるな!」
「何だとう、くそ兄貴。てめーぇ!」
プー太郎学生と言われ杉一郎に掴みかかる柳三郎に、それを止めに入った勘太郎や赤城刑事達が入り乱れ辺りは騒然とする。その瞬間喝を入れる用な大きな声が大広間中に響き、その声を聞いた杉一郎と柳三郎は直ぐに喧嘩を止める。
「杉一郎に柳三郎、いい加減にせんか。この馬鹿者共がぁぁっ!」
草五郎の怒りの剣幕を聴いた杉一郎と柳三郎はその場で押し黙り、勘太郎や刑事達もその動きを止める。
「美弥子、お茶はもういいから、お前は奥の部屋へ行っていなさい……」
「はっ……はい……旦那様……」
憮然と言う草五郎の言葉に美弥子と呼ばれていたその女性は暫くあ然としていたが、宮下に優しく「美弥子さん、もういいですよ」と言われ、彼女は逃げるように大広間を後にする。
「あ、待ちやがれ!」と叫びながら後を追う素振りを見せた杉一郎に対し、宮下が更に力強く抑える。
「杉一郎さん、少し冷静になって下さい。彼女は大蛇神様とは何の関係もないのですから」
「放せ、宮下、またあの女を庇うのか。やはりお前は蛇神信仰の信者だからな。蛇神神社の最後の末裔とあっては守らずにはいられないと言う事か」
「そんなことは、今は関係ありません。取りあえずはやめて下さい!」
「わかった、わかったからもう放せ!」
宮下の必死の訴えにバツが悪くなったのか、杉一郎は諦めムードで承諾をする。
「ああ、何だか気分が悪いわ。俺はまだ仕事があるからもう行くが、俺は母を殺した一連の事件の犯人は全てあの女の仕業だと思っているよ。この数年、あの女が家へ来てからろくなことがなかったからな。いつか必ずあの女の正体を突き止めてやるぜ!」
「何を馬鹿な事を言っているのですか、彼女は絶対に犯人じゃありませんよ」
「わかるものか、そんな事は!」
捨て台詞を吐き大広間を出ようとする杉一郎だったが、服の袖を誰かに引っ張られ何気に後ろを振り返る。
杉一郎の目の前には、微笑みながら眼前に立つ羊野の姿があった。
純白の白い服装と共に揺れる白銀の長い髪が、腰の辺りで静に揺らめく。その華麗な姿はまるで西洋の白い妖精を思わせる程に綺麗で誰もが一瞬目を止める程だ。
だが勘太郎は骨の髄まで知っている。彼女は凶悪凶暴と噂された白い羊である。それもかなり達の悪い、羊の皮を被った白い腹黒羊だと言う事を。
なので、羊野が次に何を使用としているのかをそれなりに付き合いの長い勘太郎は直ぐに理解する事が出来た。
「ひ、羊野、ちょっとまて。お前、まさか……」
「フフフ、直ぐに済みますわ」
「な、何の事だ?」
勘太郎の静止も聞かずに前へ立つ羊野の行動を杉一郎は理解できずにいたが、その瞬間大きく腰を捻り、その反動から繰り出される右腕を大きく振り上げた羊野の強烈な平手打ちが飛ぶ。
バッシィィィーン!!
「あ、ぎゃあぁぁぁぁーぁぁっ!」
「杉一郎さん、女性の大事な顔を叩いたのですから、取りあえずは三倍にしてお返ししますね……」
羊野の全くぶれない淡々とした声を聞いた瞬間、杉一郎の左頬と顔はひん曲がり、体は大きく宙を舞うのだった。
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