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イミテーションダイヤモンド
千円でお釣りがくるマルゲリータとワインを嗜んでとてもいい気分でいる。このチェーン店の企業努力は素晴らしい。日本という格式を重んじる国にあって庶民に愛され、壁紙だけのイタリアの雰囲気も安っぽくて実に素晴らしい。実際安い、レンジで『チン』しただけであろうピザはそこでしか味わえない気楽さを与えてくれる。気を張らなくていいという事実は、今の忙しない日本人にはとても大切な時間だ。値段を気にせず、外聞を気にせず、安くて美味いものを非現実的に楽しめる。とても有意義だ。
有意義なのだが、鶴田ミサキは先ほどから隣のテーブルの会話が気になって仕方がない。
通路を挟んだ隣の若いカップル。いや、会話の内容からカップルですらない男女。
男の方はブリーチのきいた明るい髪をワックスで固めて、スーツに濃い赤のネクタイ。女の方は長い髪をくるくると巻いて肩の出た襟の広い服を着て、引っ搔かれたらさぞかし痛いであろうゴージャスなネイルにはキラキラ光るストーンやラメがたっぷり盛ってある。
ふたりとも二十代前半くらいだろうか。夜の匂いがぷんぷんする。
「頼むってちぃちゃん。今月マジで成績やばいの。こんなの頼めるのちぃちゃんだけなんだって。俺が本気なのわかるっしょ? 今日だけ。今日だけだって、ね?」
「そんなこと言ってマーくんこの間アフター付き合ってくんなかったじゃん。私の店にも来てくれないし、都合の良い時だけ呼び出されてるのわかってるんだからね」
ホストとキャバクラ嬢。同伴のお誘い、いや営業か。
これから出勤。お仕事大変ですねぇ、などと思っているとふたりは次第に声を荒げ始めた。
「だから今お金ないんだってば。私だって先月の成績悪くて入りが減ってるの。ここのご飯奢るくらいならいいけどさ」
「いや俺が奢るから今日付き合ってよ。頼む! この通り!」
「割に合わないって。それに今そんなお金持ってない。無理」
「ちぃちゃ~ん」
「む~り~」
険悪なのか、はたまたこれもひとつの所謂「プレイ」なのかはわからないがふたりの駆け引きについつい聞き入ってしまう。彼らはこの手の駆け引きでお金を稼いでいるわけだから、腕の見せ所というやつだ。
「そうだちぃちゃん。そのネックレス売っちゃえば?」
「え?」
彼の一言に、思わずそちらに顔を向けてしまう。『ちぃちゃん』の首には一粒の宝石がシルバーのチェーンにぶら下がっている。実にシンプルなデザインのネックレスだった。
「他の男からのプレゼントとか俺見たくないし、それ売って一緒に飲もうよ。そしたら今度は俺がプレゼントするからさ」
「ちょっとやめてよ。これ客からのじゃないし。おばぁちゃんの形見だし。売るとかありえないんだけど」
「え、まじで。形見とか大事にしちゃうの? ちぃちゃん超可愛いんだけど」
「はぁ? 人として当たり前だし。私おばぁちゃんっ子だったから大事なの!」
心なしかちぃちゃんの顔が赤い。根が素直なのだろう。
ところがマーくんは引き下がらない。
「それ売ったらいくらくらいするんだろ」
「これ? 知らない」
「ダイヤじゃね? 俺宝石知らんけど」
「たぶんダイヤだと思うけど詳しくは聞いてない……。いくらなんだろうね」
ふむ。なるほどね。
と鶴田ミサキはペロリと唇を舐める。楽しくなってきた。
「それイミテーションだよ~」
わざとらしく、隣のテーブルに手を振りながら言った。
急に割って入られたふたりは怪訝そうに「は?」と声を揃えたが、一度首元のネックレスを見て顔を見合わせる。
「イミテーションって何?」
「偽物ってこと?」
「そうそう、ぱっと見た感じジルコニア辺りじゃないかなぁ」
「おばさん何でそんなことがわかんの」
「おばさん……」
確かに二十代の若者からしたらアラフォーはおばさんだろうが。
鶴田ミサキは自分のバックに手を突っ込みごそごそ漁る。名刺と、一枚のカードを取り出した。
「宝石の鑑定士やってます鶴田と申しますぅ」
二枚を見せびらかすだけにして、確認させたら引き取る。カードは鑑定士の資格証だ。
「このビルの二階に小さな質屋がありまして。そこで働いております」
「ええー、ずっと本物だと思ってたのに!」
「ダイヤとジルコニアは見分けが難しいので~。おばあ様も知らなかったのかもしれませんねぇ」
「そうなんだぁ……」
「なんだそれ。金になんないの?」
「ならないねぇ」
「使えねぇなぁ!」
「ちょっとマーくんひどい!」
キャンキャンと子犬が喚くような喧嘩のあと、女は出ていき男の営業は空振りに終わった。
恨めしそうにこちらを見る男に笑顔で会釈して、渋々伝票を持って去っていくのを見送る。
まだまだ若いな。
鶴田ミサキはにやりと笑って残りのワインを飲み干した。この嘘くさい味が実に美味い。
あの宝石はダイヤモンドだ。一目でわかる。
大きさで言えば数十万の値はつくのではないだろうか。じっくり見てみたかったが仕方がない。『おばぁちゃんの形見』はこうして守られた。
だが、彼女はあれをどうするだろう。
彼女にとってあれは、形見であることが重要なのか。それとも、ただの石ころになり果てるのか。彼女次第だ。その結果は見てみたい。
あの石は明日も彼女の首元で輝くのだろうか。
と、スマートフォンが鳴った。
「はいはい鶴田です」
『ミサキさんお客サンです。出来るだけ「お安く」だそうですよ』
「わっかりました~。どちらに向かえばいいです?」
電話を片手に伝票を取る。千円もかからない支払いを済ませて外へ出る。夜はこれからだ。
このビルの二階に質屋はない。
そして『鶴田ミサキ』という宝石鑑定士もこの世に存在しない。
カードは精巧に作られたイミテーション。人を騙すための道具。
それでも、嘘を嘘だと気付かずにいる幸せも、嘘だと気付きたくないと願う儚さも彼女は愛す。
男と女が騙し合うように、彼女は宝石に値段をつける。
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