本編

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 悪霊に取り囲まれながらも、そのゆっくりとした動きのおかげでなんとか逃げ続けることができている。  千歳は足を怪我しているセツを背負ったまま、山道を走る。  走るといっても子供を背負った子供の足だ。そう速くはない。  太陽の陽もほとんど射し込まない、鬱蒼とした木々に覆われた山道では時間もわからない。  静寂に包まれていた山中は、今やあちこちから悪霊の跋扈(ばっこ)する音が耳障りに響き渡っている。 「はぁ……はぁ……」 「千歳、大丈夫か? 幼い体では厳しいだろう。僕を置いて神社に向かうんだ」  セツが背中から千歳に声をかけながら降りようとするが、千歳はギュッとセツの体をおぶり直した。 「わたし一人じゃ神社の場所わからないよ! まっすぐも走れないし!」  千歳の足が疲労でその勢いが失われそうになっていたその時、目の前にある物が見えた。それは落ち葉に隠れていて見づらかったが、明らかに人の手が加えられた石だった。土や砂に殆どが埋もれているが、よく見るとそれは飛び石のように点々と続いていた。  道が見えた。希望が見えたと思い、千歳の足取りが軽くなった。  だが、セツはその埋もれた石段を見て神妙な顔つきになった。 「千歳、その道は……」 「セツ、しっかり捕まってね!」 「お、おい……! 危険だ!」 「だからちゃんと捕まっててよ!」  速度を上げて駆け出した千歳の勢いでセツは言葉を詰まらせた。  力いっぱい古ぼけた石段を駆け上がっていく。  すると霧の向こうにぼんやりと人工物の影が見えてきた。  それは異様に背の高い石柵と、大きな鳥居だった。神社だ。 「あった!」  周囲に悪霊たちの気配がして、千歳は汗びっしょりになりながらも神社の境内に駆け込んだ。  境内に足を踏み入れた瞬間、まるで汗が凍りつくような寒気に襲われ、その寒気に思わず足が止まる。  頭上を覆っていた木々が消え、日の下に出てこられたが、空は曇天で、奇妙な赤紫色をしていた。  風が吹いているはずなのに周囲の木々は揺れておらず、風に乗ってカビのような不快な臭いが時折漂い、顔をしかめた。  近くで見る鳥居はかなり古ぼけていて今にも折れそうになっている。塗装が剥げており何の植物かわからない黒い(つた)が絡みついている。飾られていたのだろう注連縄(しめなわ)紙垂(しで)が千切れてひび割れた石畳に散らばっていた。  千歳には鳥居や注連縄の意味など理解できなかった。だが明らかに手入れがされておらず、前回の七五三で訪れたことのある立派な神社との違いでなんとなくではあるが()()()()()と察することが出来た。 「ねぇ……ここって……」  千歳が恐る恐るセツに問う。答えはわかっていた。 「ここじゃない」  セツがそう言った途端、背後で石が砕けるゴリゴリッという嫌な音がした。  怖い。そう思うも確認せずにはいられない。千歳はゆっくりと振り返る。  霧の向こうにわずかにそれは見えた。千歳が登ってきた石段がひび割れ、坂道を欠片が転がり落ちていく。そこに悪霊が経っていた。ビクビクと輪郭が震え、存在が希薄そうに見える。だが確実に千歳を追っていた。 「くっ……!」 「千歳? どこに行くんだ!?」  千歳は急いで鳥居をくぐるとまっすぐ拝殿(はいでん)へ向かう。  拝殿はどこにでもある小さな神社の拝殿といった様子で、古びた木造をしており、賽銭箱の向こうに数段の階段があって奥には中に入る大きな観音開きの扉がある。鈍色(にびいろ)の瓦屋根はところどころ苔むしていて、いくつかの瓦は剥がれ落ち、地面に散らばっている。  銅でできた本坪鈴(ほんつぼすず)が麻縄と一緒に落下しており衝撃で砕けて朽ちた賽銭箱を横目に、千歳は階段を駆け上がり、拝殿の中に入ると急いで扉を閉めた。  扉の内側には(かんぬき)で固定する部品があり、それを見たセツは壁際に放置されていた閂を見つけだすと指をさして千歳に教える。 「その扉の出っ張りにそこの木の棒を引っ掛けるんだ」 「わかった!」  セツが足を庇いながらそっと千歳の背中から降りる。  千歳は焦りと恐怖から息を殺しながら、閂を両腕で抱きかかえると急いで扉に閂をかけた。  固く閉ざされた扉を背にずるずると床に座り込む。 「は、はぁ……」  大きなため息をゆっくりつくと、千歳は足音を立てないように四つん這いになり膝と手で床を擦るようにセツのそばに寄った。 「痛む?」  千歳が座り込むセツの足を見る。絆創膏には血が滲み赤黒くなっている。わずかながら腫れているようだ。  セツはふとももをおさえながら眉間にシワを寄せて、片方の目蓋をきつく閉じる。    「大丈夫」  千歳にそっとささやくように言う。  気丈に振る舞うセツだが、千歳は心配でなにか出来ないかと考えるも、すでに手は尽くした後だ。  あわあわと手を震わせながらセツを見つめていると、急に千歳とセツの身体が暗くなった。  千歳が顔を上げ、周りを見る。もう完全に夜中になってしまったのか? そう思っていたが、壁にはめ込まれた埃で曇りきった窓ガラスからは不気味な赤紫の陽光が差している。夜にはなっていない。 「千歳、声を出しちゃだめだ」  セツがそっと囁く。その目は千歳ではなく、千歳の後ろを見ていた。  千歳はセツの視線の先が気になり、そっと後ろを見た。  ――――いた。
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