捻くれ者同士のわたしたち

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◇ 「ハヅキ」  ガタッと音がして、バタバタと積まれていた本が床に落ちる。ソファで寝ていた彼がわたしの声に驚いて起き上がったからだ。 「また寝てたの」 「なんだ、イズミせんぱいか。驚かせないでよ」  ふあ、っとひとつ欠伸をして、再びソファに横になろうとするくせ毛の男─────浅井葉月(あさいはづき)は、ひとつ下の大学1年生。 「なんだじゃないでしょ」 「なに、せんぱい」 「あれ、ハヅキのでしょ。食堂裏の、途中かけのキャンバス」  さっき落っこちた本を拾いながらそういう言うと、浅井葉月はねむそうな目を少しだけ見開いた。そして一度大きなため息をつく。 「……正解。よくわかったね、せんぱい」 「見りゃわかるよ、あんな迷いだらけの絵」 「ひどいなあ、これでも高校の時は抽象画ばっか描いてたんですよ」 「なに、久々に描きたくなって描いてみたけど上手くいかなかったとか?」 「まあそんなところです」  私と浅井葉月が専攻しているのは具象画だ。にも関わらず、浅井葉月は時々ああやって意味のない抽象画を描いたりする。 「僕、やっぱり色のない方が得意なんですかね」  そう呟く浅井葉月の視線の先に、さっきまで描いていたでたろう途中かけのキャンバスがある。今はどうやら花瓶に飾られた一輪の花の絵を描いているらしい。  大学1回生のときは私もそこらへんにあるものをひたすらデッサンさせられた。まずは基本が大事だと。 「そうだね、ハヅキは狂いのない絵を描くのがひどく上手」  花でも、猫でも、街でも、人でも。浅井葉月はまるで写真のような絵を描いてみせる。高校の頃抽象画ばかり描いていたとは思えないほどのデッサン力。 「それはイズミせんぱいも」 「褒め言葉?」 「当たり前」  よく言う。稀に見る天才と呼ばれる浅井葉月に褒められたってなにも嬉しくはないのだ。 「この花、何?」  生花を題材にするのは中々難しい。日によって状態が違うどころか、きちんと花が咲いているのは数日限りだ。仕上げるのに正確さはもちろんスピードも要求されてくる。 「さあ、なんだろ。センセーがテキトーにくれたんだよね」 「ふうん、テキトーね」  ハヅキの能力を見越してだろう。いつから描いているかは知らないけれど、少なくとも3日前にここに訪れた時、こいつは全然違う絵を描いていた。 「ほんとに……綺麗な絵を描くよね」 「僕が?」 「そう。狂いのない、綺麗な絵」  ハヅキが名前の知らない花を描いていたキャンパスをのぞくと、まるでここにある花を写真に撮ったような絵が描かれている。花瓶に透けた水の煌めきも、ザラついた花の感触も、窓から差し込む優しい光も。  浅井葉月にかかれば、すべて白黒の絵にしてしまう。 「……でも、それだけですよ」 「それだけ、って?」 「狂いのない絵なんて、写真だけで十分」  ソファから、自分がさっきまで描いていたであろう絵を見つめながらそんなことをつぶやく。入学してきた時から天才と呼ばれ、誰よりも注目されてきた彼の憎めない部分がここにある。  周りがどれだけ認めても、─────ハヅキ自身は自分の絵を一切認めないところ。 「どうしてそんなに悲観的なの、センセイだって在学生だって、ハヅキのこと天才だって呼んでるのに」 「天才の定義ってなんなんですかね」 「人に賞賛されるかされないか、かな」 「じゃ、イズミせんぱいは天才だね」 「ほんと嫌味な奴」 「嫌味じゃないよ、入学してすぐ、イズミせんぱいの名前だけは知ってた。学生会館の正面玄関に飾られてるアレ、去年の最優秀作品」 「……恥ずかしい、やめてよその話は」 「ほら、同じだよ、おれも、イズミせんぱいも」 「なにが?」 「周りに認められたって、自分で納得してないなら意味ないよ、こんな絵」  ならどうしてアンタはそうやってめげずに絵を描いてるの、と。喉まで出かかった言葉は飲み込んだ。  それは私自身に向けられた言葉でもあるからだ。 「……今日たこパするってミナミが言ってるけど、ハヅキは強制参加ね」 「え、勝手に?」 「そーだよ、7時にミナミの部屋集合ね」  またミナミせんぱいのイベントか、という言葉と大きなため息を後ろに聞きながら部屋を出る。ところどころで絵の具のシンナーのにおいがするけれど、これはこれで中々すきだ。
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