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3. 素晴らしき世界に
【1】
「綾乃、ここもしかして音低すぎる? 歌いにくそうにしてるけど」
「ああ、うんそこ高低差が激しいから音程取るの難しくて……」
「ちょっと音あげようか? 旋律がずれると裏も困るし」
「うーん、確かに、そっちのがいいかも……」
そう?、と言いながら領が楽譜に音を落としていく。浩平と怜はリズムを確認中だ。
有名バンド曲のコピーをすることが多いけれど、オリジナル曲も何曲か制作する。最初に領がデジタルで音源を作ってくれるので、その楽譜に沿って足りない部分や追加したい部分を合わせながら話し合っていく。
この間出来上がったばかりの新曲。文化祭までに3曲はオリジナル曲を仕上げると言っていた。
それにしても、曲を一曲作れるってすごいことだなあ。私には絶対真似できない。
「夏休みも残り3日だなー」
ふう、と一息ついて。きゅーけいしよー、という寮の声にぐっと背伸びしながらカレンダーを覗き込んだ。
そうだね、と返事をしながらまた私は目の前の歌詞ノートに視線を落とす。
実は、新曲の1つの作詞担当を任されている。
怜も浩平も作曲勉強中で、私は楽器のことはよくわからないので作詞をしてみることになったのだ。
これが結構、難しい。
ポエミーでもあり、わかりやすくもあり、何故だか勇気づけられる、そんな歌詞にしてほしいと無茶な要望。
領に「物語を生み出すことと同じことだよ」、と言われたけれど、物語なんて生み出したことないんだからわかるはずがない。
「あーもう、文字数合わない……」
間に合わない間に合わないと口ずさみながら、頭の中に出来上がっている言葉をひとつずつ繋げていくけれど、何故だかしっくりこない。
現代文の文章問題、得意分野なんだけどな。読み取ることと生み出すことは全く別のものらしい。世界中の作詞家や小説家にスタンディングオベーションしたいくらいだ。
しかも、任されているのははるとうたたねには珍しいバラードで、恋曲だと限定されている。
「世の中のアーティストって天才なのかも……」
「そりゃそーだろ、天才の集まりなんだよ」
怜が呆れた声でそんなことを言ってくる。世の中に流通している音楽たち。当たり前にしていたけれど、それってすごいことだ。
そんな中に飛び込んでいこうとしているあなたたちも充分天才だよ、とは言わないでおく。わたしも一応その一員なのだし。
「綾乃、相当悩んでるね」
「これなら英語の論文書いた方が100倍ラク……」
「それはそれですごいけど」
「ラブソングなんていちばん無縁なのに……」
半分涙目の私を見てを浩平わらった。領は「えー」って知らんふり。
「綾乃の好きな人を思い浮かべればいいんじゃないの?」
と、浩平が素っ気ない態度で私に言い放った。
「え、」
思わず出た、間抜けな返事。それを聞いて、浩平はこちらを向いて笑った。
「動揺しすぎ」
「ど、動揺なんてしてない! 私、誰かを好きになったこととかないし、」
「ふーん、」
珍しくくすくす笑ってる浩平には、なんだかすべて見透かされてるみたいで怖い。
でも本当に、恋とか、好きな人とか、そういうガールズトークに人生で一度も混ざれたことがないのだ。恋や愛とは無縁の人生を送ってきたと言っても過言ではない。
「気づいてないってこともあるかもね」
「おい、コーへー、それ以上綾乃のこといじめんな」
「うん、ごめん、かわいくて」
怜が私を守るように浩平をにらみつけると、目を細めながらそんなことを言ってのける。浩平ってもしかしたら一番よくわからない人種かも。何を考えてるのか本当に読めない。
前みたいな作り笑いじゃないから、それはそれで嬉しいんだけれど。
「こーへい、あんまからかうなー」
「からかってないんだけど」
「……」
領の言葉にもとげのある言い方だ。おかげで領も黙ってしまうし。
「まあ、そういうのは自然に気づくことだから、アンタは口出しすんな」
「はーい」
怜がそう言うと素直にまたドラムを叩き始める浩平。意味深なことばかり言うから意味がわからない。
ラブソングなんて、書けるのかな、私。
◇
「あと1日ですよー、綾乃さーん」
領がそう茶化すように言い放つ。
知ってるって、わかってるって!
「夏休み終わったら集まる回数も減っちゃうし、今のうちに仕上げときたいんだけど」
怜の言葉に返す言葉もない。
うう、すみません、すみません。
「ラブソングなんて夏休みの課題に比べれば簡単だろ!」
「夏休みの課題の方が100倍楽!」
夏休み2日前。
浩平はともかく、2日前にもなって課題を溜め込んでいると発覚した怜と領が必死になって答えを写している中、私はまだ作詞に悩んでいた。
楽譜と睨めっこして言葉を捻り出すけれど、どうにもうまくいかない。
これなら数学のテキストを1冊やる方が断然簡単だ。
大体、恋をしたこともなければ、好きな人なんて無縁の私にラブソングを依頼する方が間違っているのだ。
「んーどうしようね、そんなに悩むとは思ってなかったなー」
「じゃ、ウチが書くから課題代わりにやってよ綾乃」
「え、いいの?!」
「だーめーでーすー。作詞を頼んだのは綾乃のステップアップのためなんだから、怜は甘やかさないの」
「チッ」
「舌打ちしない!」
「ハイハイ、課題やればいーんでショ」
溜まった課題に相当イライラしている怜は、何問か終わるごとに私に話しかけてくる。ベースを弾いている時はあんなに真剣なのに、勉強に関しては集中力が皆無みたい。
「つーか、綾乃、ほんっとーに今まで好きな人できたことないワケ?」
ぐんっと怜が身を乗り出して近づくから、綺麗な顔がアップで映る。迫力がすごいな、私もこんなにまつ毛があったらなあ、なんてどうでもいいことを考えてしまう。
「いたことあったら苦労してないよ」
「はあ、」
と大きくため息。それは怜だけじゃなく他の2人も同時に吐く。3人とも、そんな溜息つかなくてもいいのに。私だって溜息をつきたいところだ。
「おれに提案があるんだけど」
どうしようもなくてうな垂れる中、はい、と突然手を挙げたのは領だ。どうせたいした提案じゃないんでしょう、と冷めた目でみんな領を見る。
「何? 領、言ってみ」
「おれとデートするっていうのはどう?」
「は?」
領の無邪気な声に、浩平が驚いた声を出した。というか、私も怜も声が出なかっただけで同じ反応。
デートって、デート?
本気で言ってるのだろうか。
「ダメ? 綾乃は嫌?」
「え、い、嫌とかじゃないけど、」
「んじゃ、デートしよっか」
「本気?」
「何か問題ある?」
その質問には何も言い返せない。問題ない、問題はないけど……。
「領、綾乃に手出すなよ」
「なんだよコーヘー、珍しくそんな顔して」
「……忠告してんだよ、いざこざがあったらダルい」
「おれ、けっこー優しいと思うんだけどなあ、どーおもう? 怜」
「あ? ああ……まあ領ならダイジョーブだとは思うけどサ……」
「じゃ、決定ね!」
当の本人である私の意見は聞かず決定ですか。無邪気というか、テキトーというか、領って本当に無鉄砲だ。
◇
そんなこんなで、夏休み最終日。
「どーする? どこ行く?」
待ち合わせの時間に駅に向かうと、ぶんぶんとこちらに向かって手を振る領の姿があった。
背は高くないけれど、可愛らしい顔立ちとバランスの良い身体、何よりフレンドリーな笑顔にやられる女の子はきっと少なくない。
いつも人に囲まれている理由がよくわかる。
「どこ、って、領が誘ったんでしょ!」
「あは、まーそうなんだけどー!」
屈託のない領の笑顔。とにかく嬉しそうだ。歌詞執筆の為とはいえ、デートの相手が私なんかでいいのかな。領は気にしてないかもしれないけれど、誰かに見つかったら何か言われそう。
それにしても、太陽の下で見る領の笑顔は、これでもかという程眩しい。
「綾乃、行きたいところある?」
「いや、デートとかしたことないから、あんまりわかんない……」
「あは、そーだよね」
「そーだよねって、失礼な」
「えー、おれはうれしいんだけどなー。綾乃の初デート奪えて」
そう言うことをさらっといえてしまうところが、領の良さでもありダメなところでもある気がする。誰にでも言うんだろうか、そういうこと。
それにしても、残り1日となった貴重な夏休みを、まさか領と二人で過ごすことになるとは思わなかったな。
「ていうか、綾乃なんか今日かわいくない?!」
「えっ、と、」
「もしかして、おれのためにかわいくしてくれたの?」
「そーいうわけじゃないけど、デートっていうから、一応……」
「うわー、どうしよ、カワイー、ムリ」
何が無理なんだろう、まじまじと領を見ると、突然くるっと背中を向けられた。「ごめん今見ないで!顔赤い気がする!」とかなんとか。意味わからない。
家を出る前、昨日怜に貸してもらった服を着て、怜に言われた通りに髪を巻いた。貸してもらったコスメ用品でメイクも少し。やり方は昨日の夜動画で予習した。
怜が『デート行くなら1番可愛い自分見せなきゃルール違反だぞ』なんて言ってくるものだから、朝から大変だったんだ。世の中にそんなルールがあるなんて知らなかった。怜に言われなかったら気づかなかった。
本当は、こんなことしてる場合じゃないんだけど。”恋″がわからない私には、これくらいしなきゃダメだって、怜に背中を叩かれてしまったんだもん、仕方がない。
こうなったら、最大限デートを楽しんで、恋とやらを攻略しようじゃないですか。
「とりあえず、歩こう」
そう言って振り返った領は、なんの躊躇いもなく私の手を握った。
「え、ちょっと……領!」
「え、なに?」
「手!」
「え、ダメだった?」
「ダメっていうか……」
「いいじゃん、今日くらい、デートだよ?」
領はそういいながら振り向かず前に進んでゆく。手は相変わらずぎゅっと結ばれたままだ。
デートってそういうもの? これが当たり前?
繋がれた手を見て頬が熱くなる。こんな街中で、こんな人ごみで、恥ずかしい、と思ってしまう。
でも、よくよくあたりを見渡せば。
道ゆくカップルのほとんどが手を繋いでいる。それだけでは飽き足らず、腕を組んでいる人たちも。もしかして、というかやっぱり、デートには手を繋ぐという項目が必須条件なんだろうか。
もしくは、この人混みの中、はぐれないように繋いでいてくれてるのかもしれない。
「あ! 綾乃、クレープ食べたくない?」
突然大声を出すから、こっちも驚く。見ると、目の前には黄色いクレープ屋さん。
フードカーが立ち並ぶショッピング街で、クレープ生地のいい匂いが鼻をくすぐった。そういえば、朝ドタバタしていたせいで朝ごはんを食べ損ねてしまったんだった。
ぐう、とお腹がすいた音がした。幸い領には聞こえてなかったみたい。自分でお腹をさすりながら、じっとメニュー表を見る。
「……食べたい、かも」
「じゃあ決まりね! 何にするー?!」
「朝ご飯食べてないから、しょっぱい系もいいな。でも苺も捨てがたいし……領は?」
「おれはね、ストロベリーバナナホイップチョコレートスペシャル!」
「名前長……。でいうか、領、案外甘党なんだ」
「うん、甘いの大好き、パフェもケーキも!」
にこにこしながらそんな風に言う領につられて、私も思わず頬が緩む。そういえば、いつかの担任に言われたことがあったっけ。
“自分の機嫌は、自分でとれるような大人になれ"と。
あのときは意味がよくわからなかったけれど、今は少しだけ理解できる。
「綾乃決まった?」
「え、っと、イチゴホイップかな、」
手、放さないんだな。
街を歩くときも、クレープのメニューを見ているときも、繋いだ手は放さない。私は慣れていないけど、領にとったら当たり前のことなのかも。つながれた手に神経が集中してる。
「おっけ、すみませーん、スペシャルとイチゴホイップひとつくださーい!」
あ、お金。と、そんなの払う隙もないくらいに手早く二人分のお金を店員さんに差し出す。
「領、払うよ、」
「いーよ今日はー! 初デートだよ?」
ここは、言葉に甘えるのが正解なのかな。ふつうの女の子は、どういう風にするんだろう。
「……じゃあ、次にクレープ食べるときは、私が出す」
「それって、またデートしてくれるってことー?」
「うん、また一緒に食べる」
「……」
私の言葉に領は目を丸くして、それからふいっと顔をそらした。
「領?」
「綾乃はほんと、天然タラシだよなー」
いや、どっちがそうなの。
会話のすぐ、店員さんから番号を呼ばれて出来上がったクレープを受け取りに行く。甘い香りがさっきよりも強くなった。
「うま!」
近くのベンチに座ってクレープを頬張ると、領は第一声に目を輝かせて叫んだ。子供みたい。思わず笑えてしまう。
「おれやっぱ甘党だ、こーいうの大好き」
「男の子も、甘いの好きなんだね」
「えーなにそれ、男子が甘いの苦手なんていうのは偏見だぞ、綾乃!」
確かに、そうかも。今まで周りの人と深く関わってこなかったからか、一般論を当たり前として受け入れてしまっている。十人十色、そんなことは絶対にないのにね。
それに、私も人のことを言えないくらい甘いものは大好きだ。
「でも確かに、領ってよく甘いお菓子食べてるかも」
「そーでしょ?」
「ジュースは決まって炭酸だよね」
「あはは、そう! よくわかってる!」
「あとは唐揚げとオムライスが好きだよね、そのふたつを食べてるときだけ目が輝いてるの。そのくせ浩平が唐揚げにレモンをかけるとちょっと嫌な顔をするよね、本当はレモンかけたくない派なんだ?」
と、そこまでつらつらと喋っておいて、はっと我に返る。私、どうしてこんなこと知ってるんだろう。自分の好きな物や嫌いな物だってすぐには思いつかないのに、領のことはよく見ているしわかっている気でいた。
「すごいな綾乃! おれのことよく見てるじゃんー」
「え、っと、」
「はは、かわいーね、おれも綾乃のこともっと知りたいな」
知りたい、なんて、初めて言われた。
そして私はきっと、無意識に領のこと、知りたいって思っていたんだ。──でも、どうして私、こんなに領の姿を見ていたんだろう?
その時、目の前を通った女子高生たちが、ベンチの数歩先で足を止めた。
「ね、見て、あの人超カッコよくない?」
「でも彼女連れてるじゃん!」
「彼女も綺麗な顔してるねー、やっぱカッコいい人はかわいー人とくっつくんだよ!」
「私も早く彼氏欲しー!」
───"彼女″
外から見れば、今、私は領の彼女に見えるんだ。
「あ、あっちに雑貨屋さんあるよ」
思わず話題を逸らして、領の視線をずらした。きっと、今の女子高生の言葉、領にも聞こえてたはずだ。
同い年くらいの、キラキラした女の子たち。領の横にいていいのは、きっと私なんかじゃなく、ああいう子たちなんだろう。今日私が必死に時間をかけてやったこと。可愛い服を着たり、メイクをしたり、髪を巻いたり、そんな時間が当たり前のように存在する女の子たち。
勉強ばかりしてきたせいで、この胸のモヤモヤも、領への特別な感情も、明確に名前をつけることが至極難しいことに思える。本当は、なんとなく、わかっているのに。
「ああいう雑貨屋さん、綾乃好き?」
「う、うん、ちょっと興味あるかな」
「じゃあこれ食べ終わったら行こ!」
仲良くクレープを食べていたら、彼氏彼女に見えるよね。
初々しいカップル。でも私たちはそんな関係じゃない。音楽のため、私が恋愛の歌詞を執筆するため、バンドのため。
───このデートが終わったら、ただの"友達″に戻る。
そんな当たり前のことが、どうしてだか胸の奥を締め付ける。いくら国語の問題が解けたって、自分自身の感情にさえうまく言葉が見当たらない。
誰かに届けるための歌を、私が作らなきゃいけないのに。
誰かに届く歌詞を、私が描かなきゃ行けないのに。
「あー美味しかったー」
「うん、本当に。買ってくれてありがとう」
「どーいたしましてー!」
「私ごみ捨ててくるよ」
クレープが包まれていた紙ごみを領の分までもらってベンチから立ち上がる。「いいのに!」と言う領を押し切ると、渋々「ありがとー」と送り出してくれた。
ベンチからさっきのクレープ屋さんのゴミ箱まで、そんなに離れてはいないけれど。少し1人になりたい気分だったんだ。
だって、どうして私、領に手を繋がれてあんなに胸が鳴ったんだろう。どうしていつも、領のこと見ていたんだろう。無意識に、領のこと、よく知っていた。
友達以上、バンド仲間未満?
領がこんな私をはるとうたたねに誘ってくれて、仲間にしてくれた。新しい世界を見せてくれた。音楽を教えてくれた。
綺麗だって、思わせてくれた、この世界のこと、音楽のこと、ステージに立ったあの景色のこと。
───ドン、
「あ、ごめんなさ……」
考え事をして歩いていたせいで、前をよく見ていなかったらしい。誰かとぶつかって顔をあげると、数人の男の人が立っていた。年齢は多分、私より少し上、大学生くらいだ。
「はあ? 痛───……って、結構かわいいじゃん」
「え、」
「なに? ひとり?」
「いや、ひとりじゃ……」
「なんでもいーけど、暇なら付き合ってよ、今ぶつかってきたのそっちなんだしさー」
「す、すみません、前見ていなくて……」
「謝らなくていーから、今から遊ぼ? 飯なら奢るし───」
まずい人たちにぶつかってしまった、と内心泣きそうになっていた瞬間。
「───すいませんオニーサン、この子俺の彼女なんで、連れてきますね」
え、と。私が声を出す前に。
私の背後からそう宣誓して、手首を掴んで強引に後ろへと走り出した。その温もりと声が領だと気づくのに、少しだけ時間がかかってしまったけれど。
後ろから「おい!」と叫ぶ男の人たちを無視して、領は私の手を引きながら走る。私もそれに合わせてついていく。脚がもつれても、必死にしがみついて。
「綾乃、もーすこしがんばって!」
「う、ごめ、」
手を引かれて走っている間、見上げた先には笑った領がいた。
こんな状況なのに、嫌な顔もせず、「もーばかだなー」なんて笑っている。走りながら、その笑顔にどうしようもなく救われている自分がいる。
嫌いで情けない自分のこと、領の笑顔ひとつで吹き飛んでしまう。
その瞬間、なんとなく、わかった気がした。
領、わたしが、きみにどうしようもなく惹かれている理由。
◇
「はあ、ダイジョーブ?綾乃」
「はあ、はあ……」
息が上がってうまく喋れない。ショッピング街の路地裏。手を引かれて私も同じように走ったけれど、やっぱり男の子のスピードには追いつけないみたいだ。
体育の成績を落としたくなくて、ランニングやストレッチをして平均的には運動もしていたつもりだけど、やっぱりそれじゃ敵わないんだな。もう少し努力しなきゃ、と自分の胸に刻みつつ。
「ここまでくれば、さすがに大丈夫だと思うけど……」
繋いだ手は、まだ離されない。
「ごめんね、私のせいで……」
「しょーがないよ、ていうかあれは男が悪いよ」
「でも……」
「うん、でも、女の子なんだから、外に出るときは気をつけて。綾乃危なっかしいんだもん」
「ごめん……」
「はは、そんな落ち込むなよー! こんなに走ったの久しぶり! むしろきもちいー!」
そう言いながら拳を上に突き上げて、白い歯を見せて笑う。いつだってそうだ。
領はいつも、笑っている。それが周りに伝わって、伝染して、私にもうつって、人が笑顔になっていく。
誰かに笑顔を届けられる人だ。誰かの世界を変えられる人。誰かのことを救う人ができる人。
───ああ、領って、バンドマンになるべき人だ。
「ね、領、」
「ん?」
「……ありがとう、助けてくれて」
「はは、助けたなんて言われたら、まるでヒーローみたいだけどー! どういたしまして!」
照れて笑う領の笑顔は眩しい。ヒーローにも見えるよ。いつだって私の手を引いてくれるんだから。
大嫌いで、許せなくて、情けなくて、どうしようもない自分と、この世界のこと。ほんの少しだけ綺麗に見せてくれる。ほんの少しずつ、好きにさせてくれる。そんなの、ヒーロー以外の何者でもない。
「あのさ、どうして、彼女って、言ったの?」
どうして、この手を離さないの?
「え、うーん、ダメだった?」
「ダメ、というか……」
「でも今日は、おれの彼女役で、おれは綾乃の彼氏役、でしょ?」
ドクン、と。
音を立てた。わかりやすく、胸の真ん中が、血流が逆流するみたいに強く、大きく、身体の中で響いた。
───この、胸の高鳴りの理由。
気づかないでいることだってできた。名前をつけずに、知らないふりをしていたってよかった。勘違いならそれでも。
だけど、わかった。わかる問題を解かないのは、私のポリシーに反するんだ。だからここで、自分の胸の中で、ちゃんと答えを出さなきゃいけないよ。
───わたし、領のこと、きっと好きだ。
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