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【4】
───パンパンッ
開始時刻と共に鳴ったピストルの音に続いて、どこからともなくあがる風船たちやカラフルに飾り付けられた校内。教室からは一斉にみんなが飛び出していく。
待ちに待った、文化祭当日。
本番までは時間があるので、私も領と一緒に廊下に出ると、派手に飾り付けられた校内に、食べ物を売り出すクラスからいいにおいが漂っていた。
「焼き鳥いかがですかー?!
「ここのお化け屋敷、めっちゃ怖いですよー!」
「映画研究会でーす!」
「美術部展示してるので見に来てくださいー!」
どこからも勧誘の声が聞こえてくる。私たちもした方がいいのかな?と領に尋ねると、だいじょーぶ、絶対満員になるから、と笑顔で返ってきた。
そういえば、私のクラスの出し物はたこ焼き屋さんだけど、領と私は一切手伝いナシになっている。本来ならシフト制で店員担当しなきゃいけないんだけどね。
人徳のある領が説得してくれたんだ。バンドの練習があるから、って。
「おい綾乃、メイクすんぞ」
「え、」
いきなりグイッと後ろから肩を引かれたと思うと、そこにはいつもより派手にメイクした怜が立っていた。
「怜!」
「領もみたいだろ? もっと可愛くなった綾乃」
「これ以上可愛くなったら困るけど、怜に任せるー」
「えええ……」
「んじゃいくぞ、ぜってーかわいくしてやるから」
強引に手を引かれて走り出す。特別な日の始まりだ。
◇
連れて行かれたのは音楽準備室。自前の大きな鏡にたくさんのメイク道具、髪を巻くコテにヘアオイル。怜の美意識の高さには毎回驚く。本番前はいつもこれだ。
鏡の前に座らされて髪を巻いてもらうと、自分が自分じゃないみたいに思えるんだ。
いつもはワンピースに着替えるけれど、今日は制服。校則違反だけれどスカートは限界まで短くして、胸元のボタンは2つあけた。リボンはゆるめに。これも怜のセッティング。
「本番まで、あと何時間?」
「ん、1時間半」
「え、ホントに?!」
「綾乃がもたもたしてっからー」
「う、ゴメン」
そんな、なんて思いながら、私の心臓はうるさい。最低でも30分前には本番裏に集まらなきゃいけない。その30分前には4人でチューニングを兼ねた最終確認だ。
歌詞、間違えずに歌える? 音程外さずに歌える? 周りの音、ちゃんと聞ける? 失敗しない? 大丈夫?
───"大丈夫″
どこかから、声がしたような気がした。
「今……声しなかった?」
「ん? してないけど?」
じゃあ、今の声は……きっと、私の心の声だ。
私の心の中が、今までの経験や練習が、大丈夫だ、って言ってるんだ。
ふう、とひとつ大きく息を吸い込む。
できる、やれる、大丈夫だ。
本番20分前。十分にチューニングと最終確認を終えてから、舞台裏で待機。出演順ひとつ前のバンドを聞きながらケータイを見る。
お母さんからの連絡は、ない。
今朝、『今日、文化祭だから』とは伝えたものの、いつも通り冷たい反応で、来るともこないとも言われなかった。この前渡したチラシに、一応私たちの出演時間と出演場所はメモとして書いておいたけれど……伝わっているかは謎だ。
「綾乃、お母さんから連絡あった?」
こそ、と。小声で領が耳打ちした。
「ううん、ない。来てくれないかも……」
手の震えを抑えるように、右手に握ったケータイを左手でぐっと押さえる。来て欲しいと思っていた。見て欲しい、変わった自分のこと、変わりたいと思っている自分のこと、誰より近くにいるようで、一番遠い場所にいる家族に。
「じゃあさ、」
「……うん?」
「ステージに立ったら、まずは深呼吸して」
「うん」
「それから、目を閉じて」
「うん」
「3秒数えたら目を開いて、観客全員の顔をしっかり見るんだ」
ひとりひとり、確実に。
いつものステージとは違う。クラスメイトや、見たことのある生徒たち、お世話になっている先生方、他校からファンもやってくるかもしれない。知っている人たちで構成される観客席だからこそ、見なきゃいけないものがある。
「おれたちの音楽を聴きにきてくれてる」
「うん、」
「その中にお母さんがいるかはわからないけど、どんな状況でも、どんな人たちでも、全力で伝えたいと思わない?」
「ベストを、尽くしたいと思う」
「うん、大丈夫だ。綾乃、目が強くなったね」
───「はるとうたたね、本番3分前です、舞台裏最前出てくださいー」
本番は、もう目の前だ。
◇
出演順ひとつ前のバンドが最後の1音を弾き終わると、ステージのスポットライトが消える。運営の生徒に促されてステージへとあがる。
「次は、最近巷で大人気のバンド、"はるとうたたね"です───」
司会者の男の子が場を繋ぐ。観客からは歓声がおこって、「領ー!」と個人名を指す声も聞こえた。もちろん私の名前を呼ぶ人はいないけれど。
セットし終わって、領が舞台裏へと手を挙げて合図する。運営に、準備オーケー、の合図だ。
まだステージが暗いうちに、お決まりの長いイントロが始まる。領に言われたことを思い出して、ぐっと右手を握った。
ライトがつく3秒前、大きく深呼吸する。
ライトがつく1秒前、目を閉じる。
ライトが光った2秒後、ゆっくりと目を開いた。
───体育館を埋めるほどの観客が、こちらを見ていた。
クラスメイトも、他クラスの派手な子も、他学年でかわいいと噂のあの子も、いつも数学を教えてくれる先生も、よくライブを見に来てくれている他学校のあの人も───みんな、目を輝かせて、こちらをみている。わたしたちの歌を、聞こうとしてくれている。
だめだ、泣きそう、ちゃんと聞け!
イントロの旋律を奏でる領のギター、それを支える怜のベース、曲のテンポをすべて牛耳っていく浩平のドラム。
───聞こえる、だから、歌える。
大きく息を吸い込んで、最初の1音を声にしたらもうあとは自然に身体がついてくる。何度も何度も歌った。何度も練習した。何度も、3人の奏でる音楽と合わせた。
だから、歌える。
思えば、私ってこんな人間だった?
人生の成功者を気取っていたくせに、たった2度の失敗で何もかもがダメになってしまった私。
対人関係もうまくいかなくなって、ひとりでいることが多くなって、誰かに頼る方法を忘れてしまっていた。気づけば暗くて地味で、かろうじてなんとか毎回とり続ける『1』文字だけで存在価値を見出していた。
努力しなきゃ、他に何の取り柄もない、本当に出来損ないだと思っていた。
───だけど、変わった。
例えば、授業中の空の色。誰かと「また明日」と次の日の約束を交わすこと。夕日に並んだ影、夏休みの蒸し暑さ、帰り道に食べる秋の肉まん。そして、ステージから見るこの景色。
自分がいるこの世界が、こんなに美しいって、知らなかった。
人と関わること、会話をすること、意思を伝えること、誰かと何かを作り上げること、誰かを好きになること、誰かと思いを共有すること、仲間、という言葉の意味。
全部、はじまりは『ボーカルやらない?』というきみの一言だった。
それがやがてだんだん大きくなって広がって、"はるとうたたね″のひとりになった。
世界が、変わった。
─────ジャンッ
「今日はありがと―――!!!」
大きな歓声と拍手が会場を包む。いつもそうだ。歌っているときはほとんど無意識の領域にいて、最後の1音と領のこの声で目が覚める。
まるで夢を見ているみたいな感覚。
「最後に、覚えていって!俺たちの名前───」
領のが私のマイクを奪って、叫ぶ。観客は今までにないくらいの歓声と拍手で私たちを包んでいる。全部見える。笑顔も、涙も、汗も、全部。
私たちの音楽を、聴いてくれた。
「─────はるとうたたね!」
領がステージの少し後ろにいる浩平と怜を私の隣まで連れてきて、全員横に並んで手を繋いだ。そのまま両手を思いっきり上に挙げて、勢いよく頭と一緒に振り落とす。
4人で手を繋いでお辞儀する。顔をあげるまでずっと歓声は鳴り止まない。スポットライトの明かりと会場の熱気で頬が熱くなる。
涙が出る、今この瞬間、私がここに立っていること、認められたみたいで。
◇
まだ歓声は鳴り止まないけれど、出演時間は決まっているので運営に舞台裏へと促され、戻る。アンコールの声と拍手はここまでまだ聞こえている。どうしよう、泣きそうだ。
「あー、ホント、サイッコー!」
「やっと終わったな、」
怜と浩平の言葉に、領が「まだ、」と呟く。私たちはそんな領を見る。
「綾乃、ケータイ見た?」
「え……」
領に言われてケータイを開く。そこには一件の新着メッセージ。
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件名:綾乃へ
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よかった
歌、こんなに上手くなったのね
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手が震えた。差出人は、お母さんだ。
「領、なんで……」
「見えなかった? 観客席に綾乃とそっくりの人いるんだもん、おれはすぐわかったよ」
「ウソ……」
あんなに観客席を見渡したのに、お母さんの姿を見つけられなかった。やっぱり私はまだまだ領には敵わない。
「今走れば間に合うんじゃない?」
「でも、」
「言わない後悔より言って後悔!」
「……っ」
「綾乃が帰ってきたら、打ち上げな!!!」
「ありがとう、」
トン、とやさしく押された背中。怜と浩平もすべてを悟って、私をやさしい目で送り出してくれている。
「───頑張れ」
話をしなくちゃならない。今日という日、領が、はるとうたたねが用意してくれた奇跡のような日。
もう逃げない、向き合う姿勢が、私には足りてなかった。
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