3. 素晴らしき世界に

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【6】 「───領っ」  走って階段をかけあがって、いつもの場所、音楽準備室の扉を勢いよく開けた。ここにいるってわかっていたからだ。全速力で駆け上がったからか息が荒い。  今日、私は走ってばかりだ。 「綾乃! おかあさんどうだ───」 「───好き!」  え、と。領の声にかぶせた私の言葉に、目を丸くした。口をぽかんとあけて固まる。  はあはあと息を整える。どうしよう、いろんな感情でぐちゃぐちゃだ。涙も出る。  だけど、今、きみに伝えたいと思った。伝えなきゃいけないと思った。 「……領が好き、人として、……異性として、好き」  両手でいつもより随分短いスカートの裾を思いっきり握って。まだ整いきっていない声は震えていて、息も荒い。目頭は熱いし、汗はとまらないし、ビジュアルは最悪。状況も最悪。勢い余って、溢れてしまった、だけどもうとまることなんて出来ない。 「え、っと、」 「領、私に、最初に言ってくれた言葉覚えてる?」 「え?」 「"音が、曲が、音楽が……誰かの心に伝える事だって、できると思うんだ!"って。泣きたくなるくらい真剣な顔で、私に言ったよね」 「ああ、そうだったね」 「本当だった。音楽が、私を変えてくれた。音楽を通して、お母さんの心に伝えることができた」 「……」 「全部、領のおかげ。全部、はるとうたたねのおかげ!」  やっと言えた。ずっと言いたかった。  好きという気持ちも、領への感謝も、はるとうたたねへの想いも、全部。  領、きみがいなかったら、私はずっと言いたいことも言えないまま、生きる意味も見いだせないまま、信じられないくらい暗い世界で生きていたと思うんだ。 「ありがとう、私のこと、誘ってくれて、見つけてくれて、導いてくれて……ありがとう、領のおかげで、世界が変わりました」  言葉の最後は尻つぼみで、言っている間に段々冷静になって恥ずかしくなってきた。勢いって怖い。こんな風に全部言葉にするなんて。  ちらりと領を見ると、まだ驚いた顔のまま固まっている。  どうしよう、穴があったら入りたい。 「え、っと、じゃあ、それだけ、なので、」 「え、」 「で、では」 「ちょっと、綾乃、」  まって、と。扉に手をかけた私の肩をグイッと引いた。その瞬間、力に引かれて領の腕の中に倒れ込む。一瞬のことで何が起ったか理解できなくて、私は目をぱちくりさせる。 「……返事、聞かないの?」 「え、っと」 「自分だけ言うなんてずるいって」  ほとんど後ろから抱きしめられているような状況で、領は私を受け止めた状態のまま放そうとしなかった。声が直接耳にかかってくすぐったい。  自分が気持ちを伝えることばかり考えていて、相手から返事がくることを忘れていた。 「ご、ごめん、」 「……おれの気持ち、ずっと気づいてなかったの?」 「え、気持ち、って?」 「……」 「ご、ごめん、」 「天然タラシって、綾乃のこと言うんだよ」 「いや、それは領だよ、」 「んーん、おれね、綾乃のこと、声かけたときから好きだったよ」  え、と。  その言葉に固まったのは、今度は私の方だ。 「その様子じゃ本当に気づいてなかったんだ」 「え、ちょっと、理解できない……」 「おれ、けっこーわかりやすいって言われるんだけどなあ」 「わかりやすい?」 「うん。たぶん、おれが綾乃のこと好きなのなんて、みんな知ってると思うけど」 「ええ……」  なんだそれ。つまり私って、すごく鈍感? 人の気持ちに無頓着? 「合唱コンのオーディションで、綾乃の歌声を聞いたときから、きっとずっと綾乃に惹かれてた。───今もずっと、どうやったらおれの彼女になってくれるかなって、考えてる」  なにそれ、ずるい、ずるいのはずっと、領の方だ。 「……領、」 「うん?」 「彼女、になりたい」 「うん」 「領の、彼女になりたい」 「うん、なって」  ぎゅっと、後ろから抱きしめられる。ふわりと香る領のにおい。骨張った固い腕。背中に感じるあたたかさ。耳元で聞こえる息遣い。  どうしよう。わたし、いとおしい、という言葉の意味を、知ってしまった。 「あの曲さ、」  くるっと、一瞬にして、後ろから抱きしめられている体制から、真正面で領と向き合う体制へと変えられる。ぱちくりと目を開くと、そこには少しだけ顔を赤くした彼がいて。 「……あの歌詞、おれに向けて?」  あの曲、と指す物が。私が夏休み最終日に徹夜で書き上げた曲を指すことは、容易に想像できる。 「……うん、そうだよ」 「はは、やっぱり」 「気づいてたの?」 「ううん、そうだといいなって、勝手に思ってただけ」  それは、恋を春に例えたバラード曲。きみのおかげで世界は色づきはじめる。それは、青でも、ピンクでも、オレンジでもない。 「まあ、これの相手がおれじゃなかったら、相当焼いてたけどねー」 「また、そういうこという」 「ほんとの話、ごまかさないのー」 曲名、 ───"偏にきみと白い春" "White spring with you"───  きみと一緒に色づけていく。日常を輝かせていく。青春と言うより、白春(はくしゅん)、きっとそれがわたしたちには一番似合う。
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