5人が本棚に入れています
本棚に追加
【6】
「───領っ」
走って階段をかけあがって、いつもの場所、音楽準備室の扉を勢いよく開けた。ここにいるってわかっていたからだ。全速力で駆け上がったからか息が荒い。
今日、私は走ってばかりだ。
「綾乃! おかあさんどうだ───」
「───好き!」
え、と。領の声にかぶせた私の言葉に、目を丸くした。口をぽかんとあけて固まる。
はあはあと息を整える。どうしよう、いろんな感情でぐちゃぐちゃだ。涙も出る。
だけど、今、きみに伝えたいと思った。伝えなきゃいけないと思った。
「……領が好き、人として、……異性として、好き」
両手でいつもより随分短いスカートの裾を思いっきり握って。まだ整いきっていない声は震えていて、息も荒い。目頭は熱いし、汗はとまらないし、ビジュアルは最悪。状況も最悪。勢い余って、溢れてしまった、だけどもうとまることなんて出来ない。
「え、っと、」
「領、私に、最初に言ってくれた言葉覚えてる?」
「え?」
「"音が、曲が、音楽が……誰かの心に伝える事だって、できると思うんだ!"って。泣きたくなるくらい真剣な顔で、私に言ったよね」
「ああ、そうだったね」
「本当だった。音楽が、私を変えてくれた。音楽を通して、お母さんの心に伝えることができた」
「……」
「全部、領のおかげ。全部、はるとうたたねのおかげ!」
やっと言えた。ずっと言いたかった。
好きという気持ちも、領への感謝も、はるとうたたねへの想いも、全部。
領、きみがいなかったら、私はずっと言いたいことも言えないまま、生きる意味も見いだせないまま、信じられないくらい暗い世界で生きていたと思うんだ。
「ありがとう、私のこと、誘ってくれて、見つけてくれて、導いてくれて……ありがとう、領のおかげで、世界が変わりました」
言葉の最後は尻つぼみで、言っている間に段々冷静になって恥ずかしくなってきた。勢いって怖い。こんな風に全部言葉にするなんて。
ちらりと領を見ると、まだ驚いた顔のまま固まっている。
どうしよう、穴があったら入りたい。
「え、っと、じゃあ、それだけ、なので、」
「え、」
「で、では」
「ちょっと、綾乃、」
まって、と。扉に手をかけた私の肩をグイッと引いた。その瞬間、力に引かれて領の腕の中に倒れ込む。一瞬のことで何が起ったか理解できなくて、私は目をぱちくりさせる。
「……返事、聞かないの?」
「え、っと」
「自分だけ言うなんてずるいって」
ほとんど後ろから抱きしめられているような状況で、領は私を受け止めた状態のまま放そうとしなかった。声が直接耳にかかってくすぐったい。
自分が気持ちを伝えることばかり考えていて、相手から返事がくることを忘れていた。
「ご、ごめん、」
「……おれの気持ち、ずっと気づいてなかったの?」
「え、気持ち、って?」
「……」
「ご、ごめん、」
「天然タラシって、綾乃のこと言うんだよ」
「いや、それは領だよ、」
「んーん、おれね、綾乃のこと、声かけたときから好きだったよ」
え、と。
その言葉に固まったのは、今度は私の方だ。
「その様子じゃ本当に気づいてなかったんだ」
「え、ちょっと、理解できない……」
「おれ、けっこーわかりやすいって言われるんだけどなあ」
「わかりやすい?」
「うん。たぶん、おれが綾乃のこと好きなのなんて、みんな知ってると思うけど」
「ええ……」
なんだそれ。つまり私って、すごく鈍感? 人の気持ちに無頓着?
「合唱コンのオーディションで、綾乃の歌声を聞いたときから、きっとずっと綾乃に惹かれてた。───今もずっと、どうやったらおれの彼女になってくれるかなって、考えてる」
なにそれ、ずるい、ずるいのはずっと、領の方だ。
「……領、」
「うん?」
「彼女、になりたい」
「うん」
「領の、彼女になりたい」
「うん、なって」
ぎゅっと、後ろから抱きしめられる。ふわりと香る領のにおい。骨張った固い腕。背中に感じるあたたかさ。耳元で聞こえる息遣い。
どうしよう。わたし、いとおしい、という言葉の意味を、知ってしまった。
「あの曲さ、」
くるっと、一瞬にして、後ろから抱きしめられている体制から、真正面で領と向き合う体制へと変えられる。ぱちくりと目を開くと、そこには少しだけ顔を赤くした彼がいて。
「……あの歌詞、おれに向けて?」
あの曲、と指す物が。私が夏休み最終日に徹夜で書き上げた曲を指すことは、容易に想像できる。
「……うん、そうだよ」
「はは、やっぱり」
「気づいてたの?」
「ううん、そうだといいなって、勝手に思ってただけ」
それは、恋を春に例えたバラード曲。きみのおかげで世界は色づきはじめる。それは、青でも、ピンクでも、オレンジでもない。
「まあ、これの相手がおれじゃなかったら、相当焼いてたけどねー」
「また、そういうこという」
「ほんとの話、ごまかさないのー」
曲名、
───"偏にきみと白い春"
"White spring with you"───
きみと一緒に色づけていく。日常を輝かせていく。青春と言うより、白春、きっとそれがわたしたちには一番似合う。
最初のコメントを投稿しよう!