それがなんだったのか解らなかった

1/6
前へ
/16ページ
次へ

それがなんだったのか解らなかった

「今日もまだ目を開けねぇのか」  朝の回診でまたあのいやな爺さんがそんな風に聞いてきた。看護師が体温を計りながらバインダーに書き込んでる間に仕切りにここぞとばかりに話かけてくる。 「そうですね。何でです?彼とはお知り合いとかですか?」  また適当にそうやって話を受け流すつもりだった。 「それはあんたの方だろ?ずっと気にしてる…」  は?今の、どういう意味だ? 「それはもちろん、私の患者さんですから気になるのは当然です。」 「そうじゃないだろ?え?」 「はい?」 「あの男とは知り合いなのかって俺が聞いてんだ。あの男が運ばれてきた時、あんたの様子、動揺してておかしかったもんなぁ。名前呼んでたろ?」 「そうでしたか?呼んでました?」 「なんだそりゃ、無意識かい。それにしてもべらぼうにいい男だったよなぁ。映画かなんかに出てきそうな主役級俳優の雰囲気だ。」 「いい男、ですか…」 「あぁ。昔…、俺が恋した奴に似てんだ。全く相手にしてもらえなかったけどな。あいつ今頃どうしてるんだか。そういえば君ぐらいの年頃の息子がいるって言ってたな。」  そんな話を聞いたせいか、なぜかあの頃のあのシーンがいきなり甦り頭のなかに映し出された。 *  高校生の頃。樋山がまた突然学校に来なくなった。心配してあいつの家にいくと怪我したあいつがいた。  けれどそこに一緒に住んでいるはずの彼の母親も、再婚したはずの父親も、その連れ子の姿もなかった。  部屋にいたのはあいつによく似た柄の悪い年配の男だった。酒に酔って焦点があってなかったあの顔が今でも忘れられない。  鬼の形相でこっちを睨んできた男は彼の父親だった。昼間から酒に酔ってわめき散らし、そこらじゅうの物を床や壁に投げつけ、僕の目の前で怒りに任せて踞る樋山の背中や腹を何度も蹴り上げ、髪の毛を引っ張った。 「どこだ、あいつはどこに行った?隠したって無駄だぞ。かならず見つけ出してやる。」  母親の居場所を教えろと仕切りに怒なり物を壁に叩きつけた。 「お前のことはあいつになんかやらない。俺を見捨てようったって無駄だからな。逃げようなんて思うなよ」  とにかく恐ろしかった。なぜか黙って動きもせずにおとなしくやられてる彼の背中を、無我夢中で覆うようにしてしがみつき、その背中を庇うと、肩を掴まれ引き剥がされた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加