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大人になって友人ができた。
その人は体長15センチのコビト。
信じなくていい。でも、わたしの友人は確かにコビトなのだ。
その人は気まぐれに我が家に現れて、鬱々としていたわたしを元気づけて、ふいに消えた。
自分にも友だちができるんだという希望を見せておいて、すぐにいなくなった。
3年近く姿を現さないのに、もう声も忘れてしまいそうなのに、コビトの存在を夢だなんて思えない。わたしは彼の存在を疑うことができなかった。
そうして先週、コビトは久々にやってきた。
飄々と、淡々と。
庭の畑の畝の前で呆然としていた時だった。
朝確認したスナップエンドウの芽が、すでにキジバトに食べられて見るも無惨な姿になっていた。
「何を見ているんだ?」
呆けていると足元で声がした。
声の方をみると、体長15センチ程度の中年の男が立っている。黒いTシャツにグレーのニットのカーディガンを羽織っていた。中年と呼ぶには若々しいのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもよくて、わたしはただただ言葉を失っていた。
言葉を失う以外何ができたのだろう。
「久しぶり」
コビトはわたしの顔をじっくりと眺めて言う。
「どこに行ってたの?」
ようやくひとつ訊ねたら、今度は聞きたいことが溢れ出してきた。
「元気だったの? 何してたの? 何か事件が起きたりしてなかった?」
「特に何もない。変わりない」
コビトは静かに答える。
「今日は何をしにきたの?」
久々に会いに来たなら、何か用があるのかもしれない。
「人間を滅ぼしに来た」
コビトはうそぶく。呆れてしまう。
「わたしは寂しかったよ」
彼が唯一の友だちなのに。3年も音信不通で何が人間を滅ぼすだ。
「去年は子どもが小学生になって、役員になって、見事な仲間はずれに遭って、嫌な気持ちになってた」
今年は役員をまぬがれホッとしている。まったく嫌な思い出だ。
「いくつになっても仲間はずれってあるんだね」
コビトは腕を組んで神妙な顔をする。
「どうして仲間はずれに?」
「わからない」
こちらが知りたいくらいだった。
「相談する人間の友だちなんていないんだから、あなたにいてほしかった」
「夫がいるだろ」
「夫とあなたは違うよ」
「でも、いても力にはならない」
「いてくれればいい」
「コビトに人間の相談したかったか?」
ママ友同士のいざこざをコビトの中年男性に相談したいだろうか。
「ーーごめん。違うかも」
「じゃあ愚痴りたかった?」
「そうかも」
わたしは思わず笑ってしまった。わたしはただ聞いてほしかっただけなのか。
いや、ついでに密かな優越感がほしかったのかもしれない。
別に?
小学校の役員で仲間はずれにされても、コビトという不思議で特別な存在が友だちなんだから。全然大丈夫だけど?
という、どうしようもなくつまらない優越感。
「情けないね」
「やり返せばいいのに」
コビトの鋭い声に苦笑いしか出ない。
「わたしが悪いのかもしれないし」
「いやに弱気だな」
「だって理由もわからないから」
わたしは葉っぱを食われてしまった芽を抜いた。スナップエンドウの種は蒔きなおすことにする。
「寒冷紗買わないと」
「なんだそれ」
「鳩から豆の芽を守るためのもの」
「豆とは?」
「スナップエンドウ。種を蒔いたけど、出たばっかりの芽を食べられた」
「そうか」
「寒くなる前にやらないと。秋に種を蒔いて春に収穫するつもりだから」
「そうなのか」
ただ穏やかに頷くこの人は春を待たずにまたいなくなるんじゃないだろうか。
「興味ないでしょ」
「そんなことはない」
嘘だな。と、思う。
それでもいいや。コビトは今ここにいる。
また来てくれたから。
話を聞いてくれたから。
それでいい。
「さっきのことだが、意見を言っていいか?」
ふいにコビトがわたしのズボンの裾を引っ張り、厳かに言った。
「気にしなくていいのではないだろうか」
「えっ? 何を?」
「仲間はずれなんて気にしなくてもいいのではないだろうか。だってその行為に理由なんてないのだから」
「理由もなく仲間はずれをする?」
どんな理由にせよ、何かわたしに非があって仲間はずれになったのは間違いないと思っていた。
「理由なんてあっても大したことじゃない。必要なら伝える。伝えてこないなら、ただ気に入らないってこと。それだけ。人間なんてそんなものだ」
「そんなもの?」
「相手は人間。そんなものだ。雑草ってだけで草を抜くだろ?」
「それは理由があるんじゃない?」
「ないない。俺等からしたらただ気に入らないだけ。意に沿わないだけ。生やしたければ生やせるんだから」
「そうかなぁ」
「そうだ」
コビトは自信満々だ。わたしはまだ半信半疑だけど。
「まあいい。それより、こっちはなんだ?」
コビトがスナップエンドウの隣の畝を指さす。
「こっちも種を蒔いた」
「なんの種だ?」
「リーフレタスと小松菜。レタスは朝のサラダに使う。もしくは焼肉のとき肉を包むのもいいね。小松菜は野菜が足りない時に味噌汁に入れる」
言いながらしゃがみこんで種を蒔いたばかりの土を眺めている。
仲間はずれなんて下らない。
そんなことわかっているから気にしないようにしたくても、どうしても気になってしまう。悲しいし、モヤモヤする。スッキリしない。
だから心を落ち着かせる方法をいろいろ試した。お風呂に入ったり、走ったり、本を読んだり、アニメ、映画、ドラマ、漫才を観たり。ヤケ食い、ヤケ酒もした。
その中で土いじりが一番落ち着くことに気づいた。
草むしりも、土づくりも、種まきも、不思議と心が落ち着く。
「そんなに見てもいても今すぐに芽は出てこないだろ?」
どうやらしばらくの間無言で土を眺めていたらしい。コビトの声で気づいた。
「ちょっと土が動いているかもしれないよ?」
「気のせいだ」
「それでも見る」
コビトは呆れてため息をついた。
「土なんか見て相変わらず変だな」
「いやいや。土はかわいいよ」
「土がかわいいのか?」
「土も種もかわいい」
「かわいくない。ただの土じゃないか」
「これから芽が出るんだよ?」
「まだ出てない」
「これから出るよ」
コビトは答えずそっぽを向いた。
「何か怒っている?」
「別に」
コビトも土を見つめたまま答える。
「せっかく久々に会ったのに土ばかり見て。つまらんから」
なんだ。ヤキモチか。土にヤキモチなんて変なコビトだ。
「小松菜は少し残すつもり。春、花を咲かせるよ」
わたしが言うと、コビトはこちらに顔を向けた。
「楽しみだ」
「春までいる?」
「もちろん」
「ほんとに?」
「本当だ」
コビトは淡々と答える。わたしはやっと安心して笑うことかできた。
「人間を滅ぼすとか言う前にちゃんと友だちに会いに来てください」
「わかった」
コビトも少し笑っている。
「お茶でも飲む?」
わたしが手を差し伸べる。
「いいね」
コビトは手のひらの上に乗った。その足の感触がこそばゆい。
人間を滅ぼしに戻ってきたコビトと、豆を育てるわたしと、二人はこれから秋の庭を眺めながらお茶を飲む。
なんていうこともない時間が流れる。毒にも薬にも金にもならない。時間の無駄かもしれない時間。
きっと去年の嫌なことは、なんていうこともない時間に、なんてことない幸福で、あっという間に塗り替えられていく。
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