ナンバーセブン

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 私の母は美容師。その遺伝子は娘にも受け継がれているようで、私は皆に『カットマジシャン』と呼ばれた。理由を聞くと『あっという間に素敵なスタイルに仕上げるから。魔法みたいに』だ、そうだ。  同時進行でメイクの学校にも通った。昼は美容学校、夜はメイク学校。夜間にバイト。睡眠時間は二時間ぐらいのハードスケジュール。  ハッキリ言って辛い。が、海斗は『目標を持って頑張る娘』が好きなのだ。  育て、育て、自分!  二十歳。私は高校時代から欲しかった念願のアイテムを手に入れる。携帯電話だ。これでファンクラブの情報が早くチェックできる。忙しくてコンサートに行けないのだが、ここは我慢しなくてはならない。  しかし、間もなく大事件が起きる。なんとアイズが解散することになったのだ。理由は『メンバーそれぞれの方向性の違い』とのこと。海斗はこう言った。 「前からお芝居に興味があり、俳優になりたかったんです」  まさかの展開。ファンクラブは解散となり、海斗は事務所を脱退し別の芸能プロダクションに移った。  ショックだが、私の進む道はヘアーメイクアーティスト。彼が俳優になった方が接点が多くなる。  美容学校卒業、半年前、私はコネを作るため、エキストラのバイトに登録。あるロケ現場のヘアーメイクアーティストの男性にソロッと近づき、自分の夢を打ち明けた。  名前は大塚先生。彼は気さくな人で「卒業したらアシスタントにしてあげるよ」と約束してくれた。  これにてコネは完了。私は無事に国家資格を取得し大塚先生のアシスタントになった。これで海斗に大きく近づける。と、思ったが現実は甘くない。極道系の映画か刑事ドラマかホラーばかり。メイクは血のりがメインだ。一向に海斗との接点はなし。  しかし、めげてはいけない。腕を磨き名を上げてフリーになれば良いのだ。必死に頑張っていれば夢は叶うはず。目標は【海斗の嫁】一択!  必死に技術を磨き四年の月日が経過。フリーになった私は人気アイドル、朝宮茉莉花(あさみやまりか)、十九歳のヘアーメイクを担当していた。  アイドルなので、基本的にテレビ局の楽屋での作業になる。茉莉花は人懐っこい娘で、私を姉のように慕っている。私も茉莉花を妹のように思っていた。  また、この頃、実家の母が再婚。私に父親ができた。二、三度会ったが良さそうな中年男性だ。母には幸せになって欲しいと心から願う。  それを話すと、鏡の中の茉莉花は「大人だなぁ」と呟いた。 「私のママも去年、再婚したけど、正直キモいオジサンとしか思えないもの」  茉莉花の母は子役時代から彼女のマネージャーをしている。 「私には恋愛禁止とか言って、自分はチャッかり再婚だもんね〜」 「そっか」 私は彼女の髪に櫛を通しながら吐息した。 「恋愛禁止はアイドルだからしょうがないかもね〜」 「でも、アイドルだって人間だわ。恋だってする」 「えっ?もしかして茉莉花、恋してるの?」 「えーっ、どうしよう、悩む」 「悩むって何が?」 「千桜さんを信じて打ち明けるべきか悩んでるの。ねぇ、絶対、秘密にできる?」 「うっ、うん」 「約束して!」 「約束する」 「実は内緒で付き合ってる人がいるの」 「えっ?誰?」 「俳優の成宮海斗」 「はっ?」私は聞き返す。耳がおかしくなったと思ったのだ。茉莉花は声のトーンを強め、ハッキリと言った。 「同じプロダクションの成宮海斗!」  瞬間、目前が揺らいだ。更に彼女はこう語る。  海斗と知り合ったのは半年前、彼の主演ドラマにゲスト出演したのがキッカケだったそうだ。  そっか、すっかり忘れていたが、茉莉花と海斗は同じ事務所だったのだ。  半年前といえば、私が茉莉花の専属になる少し前。  彼女は苦と楽、どちらといえば楽な道を歩くタイプだ。厚化粧ではないけどカラコンとマツエクをしてる。マツエクは関係ないとしても、髪はショートではない。ブラウンカラーのユルフワのロングだ。普段着はワンピースが多い。全く活発的ではないし、海斗の好みではないはず。  茉莉花がスタジオに去った後、私は鏡の中の自分に問いかけた。 「なぜ、彼女なの?」  鏡の自分は首を傾げ、こう答えをくれた。 「なぜって、アナタはまだ海斗に出会ってないじゃない」  数日が経過。メイク中、茉莉花は嘆いた。 「海君とのデートは部屋ばかり。人気レストランで外食したいし映画にも行きたいの」  協力して欲しい、と彼女は懇願した。つまりはこうだ。外デートがしたいが二人きりではマズいので複数でカモフラージュしたい。 「海君はマネージャーが協力してくれるって。だから千桜さん、デートに付き合って」  胸がマグニチュード9の巨大地震に揺れた。海斗と会える。ついに会えるんだ!  当日、人気イタリアレストランの個室で、私は初めて海斗に会うことになる。 「僕達のワガママに付き合わせてしまい、すみません」  彫刻のように美しい顔。キレ長の涼し気な瞳にベリーショートで活発的な私が映る。彼の横には、黒縁メガネのモヤシみたいな男が座っていた。マネージャーだ。 「いっ、いえ、いいんです」  緊張で声が裏返ってしまう小心者な私。マネージャーが言った。 「僕は海斗のマネージャーで町田勇作(まちだゆうさく)と申します。年齢は二十八歳…」  後は私の耳には届かない。どうでもいいことだから。海斗、私が好きなのはアナタだけ。どうか、私を見て。アナタ好みに育てた私を見て欲しい。  横から茉莉花の甘ったるい声がした。 「この人は私の専属ヘアーメイクの田辺千桜さん、えっと確か二十五歳だったよね?」  海斗が私を見ている。ああっ、至福の時。 「千桜さん?聞いてる?」  茉莉花が私を覗き込む。 「あっ、はい」と私は慌てて下を向いた。 「田辺千桜さん、アナタの噂は聞いてますよ」 モヤシが言った。 「アナタの手にかかると魔法のように美しくなる。ウチに所属する女優達が自分専属にしたい、と騒いでますよ」 「へぇ〜、それは凄い」  柔和に微笑む海斗。茉莉花がグロスでテカる唇を開く。 「千桜さんって努力家なんだよ。敏感肌の私のために基礎化粧品からメイク用品まで調べて揃えてくれたの。こんなメイクさん今までにいなかったわ」 「どうりで、最近、綺麗になったわけだ」 「やだ!恥ずかしいよ。海君」  茉莉花が頬を染めて、その姿を海斗が優しく見つめて…。本当に二人は付き合ってるんだな、と実感させられた。  レストランを出てから映画館へ。そこで私は見てしまう。茉莉花と海斗は手をクロスで繋いでいた。恋人繋ぎってヤツ。  茉莉花、その手は温かいですか?きっと握手より体温が伝わるよね。  苦しくて、上手に呼吸ができない。切なくて涙が零れた。  ここが映画館で良かった。心から、そう思う。  その後も、二人が外でデートを希望する時は、必ず私とモヤシが付き添った。案の定、週刊誌に激写されたけど、二人きりじゃないので誤魔化しもきく。世間で海斗と茉莉花は、兄妹のように仲良し、と認識された。  そのウチ、海斗のマンションで四人で食事をしたりホームシアターで映画を鑑賞するようになった。  私は海斗が好き。それは変わらない。でも、困ったことに茉莉花も可愛いし好きである。映画鑑賞中、海斗と茉莉花がソファーで寝てしまった後、二人に毛布をかける私にモヤシが言った。 「アナタを知るたびに思うんです。それだけの技術を身につけるまで、どんだけ努力したんだろうって」 「そんなことないですよ」  私はリモコンでテレビの電源を切りフローリングに腰を降ろすと両膝を抱えた。 「そして我慢強い」とモヤシは真っ直ぐ私を見た。 「えっ?」 「海斗のこと、好きですよね?」  まさか、バレてた?目を見張る私にモヤシは緩く微笑む。 「見てれば分かります。僕も同じだから」 「同じ?」 「はい、僕は茉莉花のファンです。彼女に近づきたくてマネージャーになりました。残念なことに茉莉花のマネージャーはお母様で海斗担当になったけど」  そうか。モヤシは茉莉花を。 「いつから?」と尋ねた私に「子役の頃から」と彼は答えた。 「そんなに前からですか?」 「はい、学園ドラマで、彼女は台詞も役名もない、主役のクラスメイトでした。でも、僕には画面に少ししか映らない茉莉花が輝いて見えたんです。いつか、絶対にスターになるって思いました。その予感は的中し、彼女は人気アイドルになった。僕はすぐファンクラブに入会しました」 「あはっ」  思わず笑ってしまう。 「なんか私と似てますね。もしかして、今のアナタは茉莉花のタイプですか?」 「はい、インタビューで彼女は異性のタイプをこう答えたんです」 『大人しくて目立たなくてモヤシみたいに細いけど、脱いだら腹筋が割れてる男性』 「確かに細いですけど、腹筋割れてるんですか?」 「はい、ジムで鍛えてます。見ますか?」  シャツをめくろうとしたので、私は慌ててストップをかける。その後、二人で「我慢強いのはお互い様」と言って笑い合った。  自分と似た人がここにいる。何だか心がホッコリして、くすぐったいような感情が芽生えた。  その後も四人で会ったけど、なぜか会話が弾んでしまうのはモヤシの方になった。どうしてこうも居心地が良いのか自分でも分からない。  海斗と茉莉花は、私達を見てからかうようになった。 「いい加減、付き合っちゃえばいいのに」  まあ、そうなるよね。こんなに意気投合する男なんてそうはいない。  モヤシ……いいえ、勇作は私をどう思ってるんだろう?  その答えが降ってきたのは少し後。初めて二人きりのデートに誘われたのだ。その日、彼は告白を通り越しプロポーズをしてきた。 「僕はアナタに出会って、憧れと恋愛の境界線を知りました。多分、人生で初めて女性を愛してます。千桜さん、結婚して下さい!」  憧れと恋愛の境界線。今、それが身に染みて分かる。中身を知らなきゃ本物の愛は育たない。  全くロマンチックじゃない、ただの歩道で私は「ふっ」と笑った。 「私、海斗君の好みでアナタの好みじゃないですよ」 「それは僕も同じです。というか、もはや好みとか関係ないです。僕はアナタを愛してます」  うん、嬉しい。凄く嬉しい。だって……。  私は人目もはばからず勇作の胸に飛び込んだ。この言葉をコソッと伝えるために。 「私も愛してます」  飾らず素直。私はアナタの瞳に映る自分が好き。勇作の隣が一番自分らしくいられる場所なんだもの。 ◆ 「純白の天使、君は僕の理想そのものだ」  今、勇作に嫁ぐ私の前に、シルバーのスーツに身を包んだ海斗が立っている。それは思いがけない言葉だった。でも、今までの自分が認められたような気がして瞳が潤んだ。 「有り難うございます」  と頭を下げる。  ずっと、ずっとアナタのファンでした。海斗にとって私は数多いファンに紛れた見えない存在。最後まで、私は正体を告げずアナタから卒業する道を選んだ。 「そろそろ時間です」との合図で、両親や親族達が部屋から出て行く。  二人きりの空間。私はヒールを踏み出す。すれ違う瞬間、海斗が囁いた。 「会員ナンバー、セブン」 「えっ?」 「どうか聞いて欲しい」  振り向こうとした私を制止するように伸ばされた両手が肩を掴む。その手は、握手の手より温かい。 「デビュー当時、まだファンも少なかった僕にアナタは特大ウチワで応援してくれた。アナタは覚えてないかもだけど、バースデーイベントで握手したし出待ちで短い会話もできた。僕はコンサートのたび、アナタのウチワを探してたんだ」  背後から聞こえた涙混じりの掠れ声。  ああ、まさか……そんな、そんなことが。 「勇気をくれて、僕を育ててくれたナンバーセブン。新潟県の僕のファン……」 「あっ……」 「今度は僕が応援する。田辺千桜、この世で一番幸せになれ!」  海斗はそう言った後、私の背中をドンッと押した。  温もりから放たれた肩と背中が泣きじゃくる。でも寒くはない。 「ぐっ!」 奥歯を噛み唇をキツく結んだ。  泣いてはダメ、泣いてはダメ!  私は足を止めず、前へ前へと進む。  ナンバーセブン。アナタは私のアイドル、青春そのものだった。次のページに進んだとしても、二度と戻らなくても 蕾のままでいい。 育たなくていい。 花など咲かなくていいの。 ずっとその場所にいて、赤く光り輝いていて欲しい。 これからも推しだから。 続くから ……永遠に。  見た目は眼鏡モヤシ、脱いだら腹筋が割れてる男。  私は世界で一番に愛する者の手を取った。
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