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「あの、これお返しです。バレンタインデーの……」
今、私は自宅の玄関先で、近所で人気の洋菓子店のものと思われる青い包装紙に白いリボンでラッピングされた箱を見ながら、盛大に困惑している。
何がって、これを持ってきた彼に、私はバレンタインデーをあげた記憶がないから。
というか、なんで彼が私を訪ねてきたのかも分からない。
二歳下の弟の友人、高橋くん。
弟が入学した高校で新しくできた友人らしく、この一年はよく家に遊びに来ていた。
でも私とは顔を合わせたときに挨拶をする程度で、弟たちとは学校も違うから他に接点もないし、彼にとっても私は友人の姉という存在くらいなはずなのに。
世間一般ではホワイトデーと呼ぶ今日、どうして彼は弟ではなく私を訪ねてきたのか理解が追い付かない。
扉を開けた格好のまま固まっている私に、目の前の高橋くんはさらに話を続けた。
「俺、手作りとか貰ったの初めてで……すごく美味しかったです」
私の頭の中の疑問は、その言葉で急展開を迎えた。
そういえば、バレンタインデーの翌日にチョコを渡したかもしれないということを思い出した。
でもあれは、毎年父と弟用にチョコを作る母に付き合って作っただけの、さらにいえば余りものだった。
友達と一緒に食べようと思って、ラッピングも余っていたから綺麗に包んだけれど、友達と都合が合わなくなって残ってしまったから、翌日いつものように家に遊びに来ていた弟の友人――高橋くんがお腹空いたと言っていたのが聞こえて渡したかもしれない。
そういえば、渡すときに何も説明しないで渡したかも……。
「あ、あれ……」
「俺、あのときびっくりして、何も言えずにすいませんでした。でも、すごく嬉しかったです……」
少し照れくさそうにしながらも、まっすぐにこっちを見てそう言う高橋くん。
見た目はわりとイケメンだからモテそうだけど、手作りチョコ貰ったの初めてだったんだ。
その初めての手作りチョコが、まさか余った物をそこにいたから適当にあげただけなんて、言えない。
普段から弟に性格が適当すぎると言われてきたけど、まさかこんなことになるとは。
どうしよう、これは永遠に黙っておいた方が良いのか……。
「俺、梢さんのことあまり知らなかったけど、それでも良ければ……」
って、まずいまずい!
うやむやにしようと思っていたけれど、彼の口から私の名前が出てきた瞬間、とんでもない方向に話が進んでいることに気づいた。
彼はあれを本命チョコで、私が好きだから渡したと思っている。
っていうか私の名前知ってたのにも驚いた。
「高橋くん!」
「はい、高橋涼です」
いや、今自己紹介とかいらないから!
「ごめん! あれ違うの!」
「え?」
「あれ余ったから、高橋くんがお腹空いたって言ってたのが聞こえて渡しただけなの!」
顔の前で両手を合わせて謝罪しながら暴露すると、彼が固まったのが分かった。
「え……、余ったの……? え、じゃあ本命チョコでは……」
「ご、ごめん。弟にも同じのあげてる……。それに、あげたのバレンタインデーじゃなくて、十五日じゃなかったっけ?」
「十四日は遊びに行かなかったから、それで翌日にくれたとばかり……!」
勘違いに気づいた彼は、さっきまでの照れくさそうな顔とは違い、耳まで真っ赤になっていた。
いや、彼が勘違いしたというより、ややこしいことをした私が完全に悪い。
何とも言えない気まずい空気に、私はひたすら謝り倒すしかなかった。
***
――十年後。
「ただいま。はい、バレンタインデーのお返し」
「おかえりー。あ、北野洋菓子店のお菓子! ここの美味しいんだよねー」
青い包装紙と白いリボンでラッピングされたお菓子を渡される。
それを嬉々と受け取る私に、彼は「知ってる」と言って笑いながら、着替えるために寝室へと向かった。
私は先にリビングへ行き、さっそく貰ったものを開けて見る。
中には美味しそうなチョコや焼き菓子がたくさん入っていて、彼が知っていると言っていたとおりの私好み。
青い包装紙と白いリボンの、ホワイトデーカラーを見ながら、無意識に口元が緩んだ。
「ふふ……」
「梢さん? どうしたの、いきなり笑って」
着替えてきた彼が、一人で笑っている私を見て首を傾げている。
「んー、あれから十年たったんだと思い出して。まさか十年後も涼くんからホワイトデー貰うなんて、あのときは想像もしていなかったから少しびっくりしてる」
「俺はバレンタインデーにまた余りものを渡されないかビクビクしてる」
「翌年からは余ったものじゃなくてちゃんとあげたじゃない!」
痛い指摘に思わず彼の背中を叩くと、声を出して笑われた。
十年前、誤解から始まったホワイトデーのお返しの後、まあ色々なんやかんやあって、翌年のバレンタインデーに私は本命チョコを渡すようになった。
そして、ホワイトデーもあれ以来毎年貰うようになり、それは十年たった今でもこうして続いている。
「ふっ」
「ん? そっちこそ急に笑ってどうしたの?」
「いや、あのとき余りもの貰えて良かったな、と思って。そうじゃなきゃ、こうして結婚していなかったかもしれないし」
そう言いながら、ほんの一瞬軽くキスをしてきて笑った彼に、私は思わずもう一度その背を叩いた。
あのときは照れくさそうにしていたくらい初々しかったのに、いつの間にか一枚上手になっている。
でも、彼の言うとおり、あのときバレンタインデーに私が余りもののチョコを渡さなければ、そして彼が誤解してホワイトデーにお返しをくれなければ、きっと今はないはず。
ちょっと人には言いづらい馴れ初めだけど、こうして今一緒にいる幸せを思えば、まあ良いかなと思う。
そんな私たちのホワイトデー。
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