2人が本棚に入れています
本棚に追加
ロックスターとの生活
律はアンドロイドらしくよく働いた。家の掃除、洗濯、炊事、凪の服のアイロンがけに至るまで、様々な家事をおこなった。
凪については、世間には「凪」という情報しか知らされていなかったが、生活しているうちに様々なことが分かった。
神田凪。26歳。風貌は茶色の短髪に細身の体型といかにもロックスターらしい。
自宅は都心からやや離れた場所にあり、楽曲制作やレコーディングを行うスタジオまでいつも車で2時間近くかけて通っていた。有名になって仕事が増えてからは、その移動時間も相まって家のことに手が回らなくなり、先代のアンドロイドを購入したとのことだった。
「都会って嫌いなんだよね。人が多過ぎて、ザワザワしてて。煩わしいんだ」
スタジオの近くに住むつもりはないのかと聞いてみたら、そのような答えが返ってきた。プライベートでは静寂を好む人間のようだった。
「家事手伝いにしてもさ、アンドロイドを買うより人間を雇った方が安いんだけど、知らない人間は信用ならないじゃん?ほんとアンドロイドが出来て良かったよ」
「そのようなものですか」
律はそう返答するしかなかった。
凪のタイムスケジュールはまちまちで、勤め人のような時間に出掛けて帰って来ることもあれば、昼過ぎに出て翌朝に帰宅することもあった。いずれの場合も律は出掛ける凪を見送り、帰宅した彼を出迎えた。
ある日律は凪が仕事に行っている間、家の門から玄関へと続く小道の手入れをしていた。
家の辺りは静かではあるが、田舎らしい寂しさはあまり無く、自然が好きな人間が住む一帯という印象だった。
凪の家の敷地にもよく緑が繁茂していた為、その手入れをするのも律の仕事だった。
見た目の良くない雑草を抜き、残す草に水やりをしていると、敷地の中に一羽の小鳥が飛んできた。律が試しに手を伸ばしてみると、意外にもその小鳥は逃げる素振りを見せなかった。
そして律はエプロンのポケットにパンが入っていたことを思い出すと、細かく何個かに分けてちぎった。アンドロイドは肌や髪等に人間と同じ成分を使用しているので、いくらかの食事を摂る必要があった。
小さくなったパンの欠片を試しに地面に落としてみると、小鳥はそれを残さずついばんだ。
玄関先の段差に座り、日差しが降り注ぐ下で小鳥を眺めていた律は気づくと微笑んでいた。
穏やかな空の下、風が吹き抜けて、彼女の茶色くて長い髪を掬った。
小鳥が去った後律が腰を上げて玄関に入ろうとすると、駐車場の方から凪がやって来た。
「お帰りなさい。今日は早かったですね」
車の鍵を手で弄びながら凪は苦笑いに似たような笑いをした。
「朝があんなに早ければ、さすがにね」
「今コーヒーを淹れます」
そう言って台所に向かおうとする律を凪は引き止めた。
「いや、たまには自分でやるよ。ずっと働いてて大変でしょ」
「いえ・・・?アンドロイドは常に働いているものですから」
疑問に思いつつも無表情で応答すると、凪は再度首を振った。
「いいからいいから。少しは家のことも自分でやらないと、何も出来なくなっちゃいそうだし。君の分もついでに淹れるから、二人で休憩にしよう」
そして凪は二人分のコーヒーを淹れてくれた。それを律は罪悪感を胸の内に感じながらちびちびとすすっていた。
* * * * * * * *
律が神田家に来てから三週間が過ぎようとしていた。その日の凪は休日で、昼になると律は食事を用意した。その日はシーフードのドリアを作り、「お待たせしました」と凪に声を掛けるとそれぞれの席にドリアを置いた。
いつものように向かい合ってそれを食べる。よく晴れた日だったので、窓から入った光が食卓を照らしていた。
「相変わらず豪華な食事作るね。家でドリアとか、冷凍食品でしか食べた事無いよ」
凪がスプーンでチーズを伸ばしながら言った。
「持ち主に健康的な食生活をして頂くのもアンドロイドの仕事ですから」
俯きがちに律が答えた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
食卓が静まり返った。律はドリアをひたすらほぐしていた
しかしそんな静寂が続くかのように思えた頃、律が口を開いた。
「・・・凪さん、聞いていただきたいことが、あります」
同じようにドリアを弄んでいた凪が手を止めて彼女を一瞥した。
「うん」
律は深呼吸するように一度スッと息を吸った。
「三週間も・・・黙っていてすみませんでした」
押し殺したような声で言葉を続ける。そんな彼女を凪は落ち着いて見つめていた。
そして律はうつむいたまま声を絞り出した。
「私は・・・、本当は、アンドロイドではないのです」
最初のコメントを投稿しよう!