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バラードとロック
カチ、コチ、と時計の音だけが部屋に響いていた。告白したきり俯いたままの彼女を凪は観察するような瞳で捉えていた。
「知っていたよ」
その言葉に律は顔を上げた。凪と瞳を合わせたが、目の前で頬杖を付いている彼の顔から感情を推し量ることは出来なかった。
「気づいて・・・いたんですか」
「うん。君はよく働いたし、アンドロイドらしく振る舞うのも上手かったから最初は分からなかった。けれど、炊事の時に君が水を張った鍋を重そうに運ぶのを見て不思議に感じた。アンドロイドは成人男性の二倍以上の力があるはずだから。」
凪は皿に突っ込んでいたスプーンをことりと置いた。
「そして決定的だったのは、この前君が小鳥にパンをやっていた時だ。あの時君が微笑んでいたのを見て確信した。アンドロイドは・・・笑えない」
律はただ項垂れていた。凪はアンドロイドは自発的に笑えないことを指摘していた。餌やりの現場を見られていたのは予想外だった。あの時凪はわざと少し遅れて帰ってきた風を装ったのだろう。あれ以降彼がたまに律を気遣うようになったのは、彼女が人間だと気づいたからだったのだ。
「すみません・・・、いつかは知られてしまうだろうとは、思っていました。でもどうしても、凪さんに会いたかったんです」
相変わらず凪の感情は分からない。とりすました顔で目の前の女性を見つめていた。
「理由を教えてくれる?」
律は頷いた。
「・・・はい。私はずっと、両親と三人で暮らしていました。
ですが半年前、私が居ない間に家に強盗が入り、父と母は殺害されました。
・・・犯人の狙いは、アンドロイドでした。私の父がアンドロイドの製作をしていたので、それを奪おうとして来たのです。でもその時家にアンドロイドは無く、ただ父と母が殺されただけでした。
私は深い悲しみと絶望感に苛まれました。愛していた父と母が殺害され、突然一人きりになったのです。毎日を失意の中で過ごし、自分が生きている意味さえも見失うようになりました。
・・・けれどそんな時、偶然点けていたテレビで凪さんを見たのです。歌っていたのは、あの大ヒットしたバラード・・・「唯一つの星」でした。」
「気付くと私は熱心にテレビを見つめていました。凪さんの歌唱力も素晴らしかったですし、曲そのものの旋律にも心を奪われました。その時私は事件以来失っていた感情が自分の中に戻って来るような感覚がしました。
それから、私は凪さんのバンドの曲を何曲も聴きました。どれも素晴らしいものばかりで、ロック調の曲はいきいきとした気持ちを思い出させてくれましたし、バラード曲は人生の美しさを感じさせてくれました。私の中で凪さんは、それこそ唯一の星のようになっていたのです。」
ここでようやく律は顔を上げ凪と目線を合わせた。
「そんな時に凪さんのアンドロイドが壊れたというニュースを見ました。家には父が以前作った腕輪がありましたし、アンドロイドを何体も見てきたので普段どういう振舞いをしているのかも知っていました。・・・そう思ったらもう、気持ちを抑えることができませんでした。・・・あとは、凪さんも知っての通りです」
ひとしきり話すと律は少し疲れたように溜息をついた。向かいに座る凪はさすがにやや驚いた表情を浮かべていた。
「・・・じゃあ、もしかして君が俺の家を知っていたのは」
「はい。一年前に凪さんがアンドロイドを購入したのは私の所だったからです。その際の凪さんの住所等の記録が残っていました。・・・こんな風に濫用したのは本当に申し訳なく思っています」
凪は頷いた。
「じゃあ、君は潮田博士のとこの娘さんか。・・・確か殺害されたってニュースが前にあったね」
「はい。私は本名を潮田律といいます。・・・私が伝えたいことはこれで全部です。完全に私の傲慢でしかありませんでしたが、凪さんと過ごせて本当に嬉しかったです。もう悔いはありませんので、警察を呼んでいただいて構いません」
律の言葉を受けて、凪は再び頬杖を付きながら観察するように、そして何かを考えるように律を見ていた。数秒、そうしていたかと思うとおもむろに口を開いた。
「もう悔いは無いって言うけどさ、そしたら何で君は泣いてるの?」
「・・・え?」
指摘されてはっとした。自分でも気づかないうちに律の頬を涙が流れていた。焦ってそれを拭ったが、溢れる雫はとどまるところをしらなかった。
「・・・君が人間だって気づいた時、勿論どういうつもりなのかを考えた。悪意を持っている可能性も考えたけど、一緒に生活していて、どうも君はそういう人に見えなかった」
凪は更に言葉を続けた。
「俺、アンドロイドを買う前からずっと一人暮らしだったんだよね。だからそろそろ一緒に住む人がほしかったんだ。だから君さえ良ければ、このままここに居ることにしない?」
律は再び涙を拭った。自分にかけられた言葉が信じられなかった。
「私・・・ここに居ていいんですか・・・?」
掠れた声でそう聞くと、目の前のロック歌手はふっと微笑んで頷いた。
「でも今までみたいに無表情じゃなくて、たまにはこの前みたいに笑ってよね。せっかく歌で感情が戻って来たって話なのに、無表情じゃ勿体無いからさ」
そして彼は手を伸ばし、律の右腕に嵌められた銀色の腕輪をそっと外した。
「人間の潮田律さん、神田家へようこそ。歓迎するよ」
彼女の両瞳からまた涙がとめどなく溢れ出した。そんな彼女を彼は午後の日差しが似合うような笑顔で見つめていた。
——それから一年後。
あるニュースが世間を騒がせた。世間の大勢、とりわけ若者が注目したその見出しは、
「凪 結婚を発表。相手は一般女性」
という内容のものだった。彼は知る人ぞ知るロックスターだったから、連日記者が彼のもとを訪れた。
その日もスタジオを出た凪を記者達が取り囲んだ。その中を流れるように進んでいった彼だったが、とある記者の「お相手はどんな女性ですか?」という質問に振り返り苦笑いを浮かべた。
「彼女、アンドロイドなんですよ」
彼の冗談にその場の記者達は湧いた。それを横目に、彼の妻にとっての星は優雅に車に乗り込み、帰路へ就くために街中へと消えて行った。
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