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「ニセモノだったのよ、全部」
最愛の彼女の、誕生日の夜。プロポーズまで済ませて、「はい」の返事をもらったはずの、肝心の本人が、そんな事を言った。
「それは、どういうことだ?」
言葉の真意が気になるのは、男としては当たり前だろう。だが彼女は、いかにもうんざりしたような面持ちで、けだるげに言った。
「そりゃあもちろん、あなたとの関係よ。茶番に付き合うのも、そろそろ疲れてきたってワケ」
似つかわしくないオーバージェスチャーで、肩をすくめる彼女。さすがに、そんな事を言われて、ショックではない奴は、そういないと思う。
「これ、返すわね」
そして彼女は、婚約指輪を外して、テーブルの上を手で滑らせた。
「そうか……。それなら、仕方ないか……」
「あら? ずいぶん淡泊な反応ね?」
意外そうなトーンで、驚く彼女だった。
「俺に嫌気が差したんなら、無理強いなんかしないよ。この部屋を出て行くなり何なり、好きにすればいい。ただし、自分の荷物は残していくなよ?」
「え、ちょ、ま……」
淡々とした俺に、彼女の方が、明確に狼狽した。
確かに、さっきの言葉が「真実」であれば、そりゃあ俺も、全力で説得する。
しかし、知っているのだ。
彼女が、婚約指輪のイミテーション、要はニセモノを作るように、業者に依頼したことを。その業者と俺が、知り合いであることも知らずに。
つまり、今の一幕こそ、茶番に他ならない、ということだ。
彼女がどんな反応をするか? に、少し興味があったので、話を合わせているだけでしかない。
「やれやれ、俺もまだまだ、男としての修行が足りないようだな。まあ、新しい相手を見つけるのも……」
「ま、待ちなさいよっ!!」
鋭い、あるいは、すがるような声。見ると、彼女は、今にも泣き出しそうな顔だった。
どうやら、本気にされるとは思っていなかったらしい。この辺りの子どもっぽさも、場合によっては可愛いが、世間を渡っていく上では、しばしば不利になる。
「あれ? 俺への気持ちは、ニセモノじゃなかったのか? こっちも、冷めた相手を同じ屋根の下に……」
「バカァッ!!!!」
大音量の悲鳴。勝手にふっかけておいて、勝手にキレる。彼女の、よくも悪くも「かまってちゃん」な性格は、こういうシチュエーションにおいては、自爆しか招かないものだ。
「誰がニセモノよ……あなたに嫌われたら、あたし、この先どうすれば……」
細かく肩を震わせ、心底からの、哀願の嗚咽。こちらも少し、リアクションを考えるべきだったかも知れない、と、ややばつが悪い。
「ごめんなさい……わざわざニセモノの指輪まで作って、あなたをからかったこと……ごめんなさい……お願いだから、お願いだから本気にしないで……うえ、うええええ……」
とうとう彼女は、大粒の涙をこぼして泣き始めた。
彼女は、純粋なのだ。それも、過ぎるほどに。なればこそ、不安なのだろう。今の幸せが。
「人をからかうにしても、もうちょっと手段を選んだ方がいいぞ?」
「……ごめんなさい……」
しゅんと縮こまる彼女を、優しく抱きしめる。
今どき希有なほどの純粋さと、素直さ。「この子」は、俺がいないとダメなのだ。
人によってそれは、愛ではなく、ただの依存だというかも知れない。
だが、人間誰だって、真の意味において、一人で生きてはいけない。
なるほど、いつかは愛も終わるという意見もある。
しかし、そうであったにせよ、彼女が、いずれは「身近な支え」なしでも生きていけるように、サポートをするのが、俺の務めだと思っている。
「あなたへの気持ちに……ニセモノなんか、あるわけないじゃない……ぐすん……あってたまるもんですか……」
俺の胸の中、なかなか泣き止まない彼女だったが、やがて、涙でくしゃくしゃの顔を、くっ、と上げて、こちらをじっと見つめてくる。何をすべきかは、嫌と言うほど分かる。
「んぅ……っ……」
黙って、彼女の唇を塞いだ。
――まったく、面倒くさい子だ。
……だからこそ、いとおしい。
――了
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