道場

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道場

 皆が通勤、通学場所へと向かうべき時間帯。零は回れ右し、本来未成年が行くべき学校の方角から背を向けた。体の不調も理由のひとつだが、元々幼い頃からの人見知りに加え過去の出来事も相まって、零の集団生活においての協調性は皆無だったから。  友達も恋人も、零にはいなかった。零にとって『高校生』という肩書きは、もはやカムフラージュでしかなかった。  近所のスーパーなどの店を何件もハシゴ。もしかしたら背後にいるかもしれない尾行をまくために。そんな念には念を、の毎日のルーティンをこなし、『道場』へと向かう。そこで師範を務める男とは、昔からの付き合いだ。因縁、といってもいいかもしれない。表向きはごく一般的な道場の佇まい。実際、空手やら合気道やらを普通の人間に、師範の弟子たちが普通に教えている。だが零はその横を風景の如く素通りする。そしてその道場から通じる地下へと続く階段を下り、様々な厳重なセキュリティを突破したのち、本来の目的地である場所へと足を踏み入れる。  明かりが電球ひとつのみの薄暗い、この世のどん詰まりのような部屋。 『その全てを、なかった事に。』  そんな言葉を掲げる犯罪組織『ゼロ』  その現役の殺し屋である師範の、暗殺術の稽古だ。暗殺術に特化した体の動き、拳銃などの武器の扱い方を零に体に直に教えたのも師範だ。 「顔色が悪い」  こんな薄暗いなかでも、師範は零の些細な変化を瞬時に察知してみせた。 「最近の若い奴は、香水だ柔軟剤だと、なにかと妙な臭いを体にまといたがる。困ったものだな、零」  零の身に起きたこと、零の抱えているもの全てを知った上での、気遣うような師範の、優しい声色。 「しばらく稽古は休んだらどうだ」  零は、首を横にふった。 「今日も、お願いします」  大ぶりのナイフ片手に態勢を低くし、師範と相対する。電球の薄い光。反射する刃に映る、自らの暗い瞳が、零の忌まわしき過去と初めての凶行を、思い起こさせた。
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