(1)男子高生バディと屋上の怪談

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 その日、雫はいつものように教室の窓際の日差しのよく当たる席で白眉が購買から戻ってくるのを待っていた。昼食の弁当は交代で買いに行くことになっている。 「しーずく。お待たせ」  声をかけられていじっていたスマホから顔を上げた。白眉が二人分の弁当を持って立っていた。色白の顔に茶色い髪。背が高いので中学時代からいまいち背の伸びない雫などは少し羨ましい。 「弁当なに?」  白眉は空いている机を雫の机と突き合わせに移動させた。教室の中では他の生徒たちも思い思いに机を固めて昼食をとっている。 「鯖塩と肉炒めとどっちがいい?」  機嫌良さそうに白眉が聞く。なんだか知らないがこいつはいつも機嫌が良さそうなのだ。 「肉」  即決して肉炒め弁当を手に取る。白眉は向かいの椅子に腰を降ろすと鯖塩弁当を取って頂きますと手を合わせた。 「あーそういえばいい話あったよ」  白眉が付け合わせのポテサラを食べながらどこかの噂屋のような事を言う。 「オカルト系?」  実際白眉は顔が広いので噂屋のような所がある。噂屋と違うのは金を積まれても口を割らない所だ。 「そうそう。なんか、うちの学校の屋上って上がれないようになってるじゃん?」 「うん」  肉炒めを食べながら頷く。屋上への扉は確か鍵が掛かっていた筈だ。 「それがなんと上がれるらしいんだよ。今」 「なんで」 「鍵が壊れてるんだって。勿論すぐ直すんだろうから上がるなら今がチャンス」  雫はふーむと考えた。屋上にまつわる怖い噂はいくつもある。でも屋上に上がれないので今まで検証が出来なかったのだ。それが屋上に上がれるとなれば。 「なんの噂にする?」  白眉がわくわくとした顔で聞いてくる。雫同様、白眉のオカルト好きもかなりのものでこれまで何件もオカルトスポットに足を運んではオカルト検証をしている。勿論法の許す範囲でだ。 「うーん、夜のうわさは無理だからなぁ」  夜学校に忍び込むとさすがに通報される。昼間の屋上の怪談と言えば。 「雨の日の女生徒」 「それそれ」  白眉が嬉しそうに机の端を指先で叩いた。  曰く。  二人の通う高校の屋上には幽霊が出る。  雨の日になるとずぶぬれの女生徒がぼんやりと立っているらしい。   その女生徒に声を掛けると下に突き飛ばされる。  その女生徒は昔屋上から飛び降りて自殺している。  理由は虐められていたとも妊娠していたとも言われるが定かではない。 「明日って雨だったよな」  スマホで天気予報を確認すると確かに雨だ。 「ラッキーな事に雨なんだよ~じゃ放課後に決定で良い?」  ノリノリの白眉が話を纏める。こいつもいい加減オカルト好きだよなと雫は苦笑した。 「それじゃ放課後だな。夕方になるし丁度いいだろ」  そういう事で話はまとまり、二人はオカルト探索に向かう事となった。  *  次の日。  朝は曇っていたが、昼頃から鉛色の空から雨粒が降り始め、放課後になる頃には本降りになっていた。  すっかり薄暗い教室にはまだ生徒が少し残って談笑していたが、この天気で屋上に上がる物好きはいまい。屋上に先客がいる心配はない。  ふたりは鞄を教室に置いたまま、さりげなく誘い合って教室の外に出た。一応屋上に上がるのは校則違反だ。  薄暗い廊下は湿気でじっとりと湿り雨の音が静かに響いている。 「でるかなぁ自殺した女子高生」  白眉が期待半分こわさ半分と言った口調で言った。 「出るといいけどな。たぶんただの噂だろ」  同じオカルト好きと言っても心霊肯定派の白眉に大して雫の見方はやや否定的だ。かといって絶対に居ないと信じているわけでもなく、できれば居るといいなという願望を持ってはいる。 「お前と結構あっちこっち心霊スポット行ってるけどまだ見た事ないしなぁ」  少しぼやく口調で雫が言うと、 「今度は出るかもしんないじゃん。まぁ俺達に霊感とかあればだけど」  楽観的な白眉が返した。こんな時でもこいつは機嫌がよさげに見える。いつも怒ってないのに「怒ってる?」などと聞かれる雫からすると一種の才能に思える。  果たして一番上まで階段を登ると、屋上に繫がるドアは呆気なく開いた。以前確認の為に開けようとした時は開かなかったので、鍵が壊れているというのは本当だったらしい。 「あ」  ドアを開けたところで白眉が気付いた。雫も気付いていた。 「このまま外に出るとさ」  白眉が言う。雫が頷く。 「濡れるよね俺たち」 「うん」  二人とも心霊に気を取られて雨具の準備を忘れていた。傘を取りに戻るには一階の下駄箱まで戻らなくてはならない。 「どうする?このまま行く?」  白眉が聞く。雫はうーんと唸って空を見上げた。 「このまま行こう。もう後帰るだけだし」 「だね~なんかずぶぬれの方が出そうだし」  外へ出ると見渡す限りに何もない屋上が雨に濡れていた。何もない分余計に広く感じる。その屋上一面に雨が降って、さぁっという雨音と、どこかに流れて行く排水のさらさらとした水音が聞こえた。空は鉛色に曇って、夕暮れにしては空は少し白んで明るかった。  まだ日暮れ前なんだろうか。  雫は思った。それにしても空がやけに白んでいる気がする。明るくも暗くもない空からただ一面に雨が降っている。二人はなんとなく黙ったまま屋上の端のに向かって進む。一足ごとに雨が服を湿らせ顔を濡らす。屋上を横切って柵にたどり着く頃には全身びっしょりと濡れていたが、全身が濡れてしまうと何か不思議な安心感のようなものがあった。日常のリアルから逸脱した故の安堵感だ。  屋上の端には白く塗られた金属製の落下防止の柵があった。フェンスのような安いものではなく、太い格子となって二人の身長より高くそびえている。 「……向こう側に行ってみる?」  雫が言うと白眉は顔をしかめた。 「……危なくない?」 「でも、声をかけると突き落とされるって事は、出るのは柵の向こうなんじゃないのか?」  二人はうなずき合って柵から外に出られる所を探した。幽霊に会うには柵の向こうに行かなければならない。  出る方法はすぐに見つかった。ぐるりと囲んでいる柵の一角に二人やっと人が通れるほどの幅が腰丈ほどの高さになっていて、そこからドアの様に出入り出来るようになっているようだった。 「……どうする?」  それまで無言だった白眉が初めて声を発した。気持ち怯えた声だった。 「僕が行く」  最初からそのつもりだった。白眉は高いところがあまり得意ではない。雫は昔から高い所が得意だ。  フェンスには鍵などは無いらしく、こちら側に引くと音もたてずに開いた。向こうには人ひとり分ほどの足場と、遥か下の景色が見える。するりと外に踏み出すとほんの一足ぶん向こうにおもちゃのように小さな校庭があった。いつも体育の時間に走らされるトラックも、周りを囲む木々も馬鹿らしくなるくらい小さく見える。すこし愉快な気分になった。 「気を付けてね、落ちないでよ」  祈るような白眉の声に、うん、と返事して踏み出した。一旦踏み出すと怖さはさほどでもない。どころかなんだか、愉快だった。普段自分を支配しているもの全てが今は足元にある。自殺した女子生徒も最後はこんな気分だったのだろうか。  気の済むまでここで歩いていたい気もしたがそれではあんまり白眉に悪い。白眉は今どうしているだろうかとフェンスドアの方を見たが丁度雨粒が目に飛び込んで良く見えなかった。  そろそろ帰らないとな。  目に入った雨粒を払って、雫はもう一度後ろを振り返った。そこに。  ずぶぬれの女生徒が居た。  お下げに括った髪を前に垂らして後ろを向いていた。うなじが白いのが目についたがそこに肉感はなくただ紙のような白さだった。制服のブレザーの代わりに羽織った黒いカーディガンも膝上丈のプリーツスカートもじっとりと雨で濡れて全身から水が滴っていた。小柄は雫よりもさらに小柄な少女はじっと屋上から見える真下の地面を見つめていた。  雫は思った。ああ、この子が見ているのは雫の見ている世界ではない。  ただ、自分の下の地面だけを見ている。下の地面に叩きつけて得られる救済だけを見ている。その向こうに見える自由な世界は最早少女の眼中にない。  雫はいけないと思いながらも自分の真下に視線を落とした。視線は校舎のクリーム色の壁を伝って、最後に校舎の周りを囲んでいる側溝に落ちた。 「おちるの」  少女はぼつりと言った。幾日も降り続いた雨の様に湿気た声だった。 「あそこに、おちるの」  少女は振り返った。顔が見えているはずなのに見えなかった。  少女は両腕を広げると雫の両肩に手を置いた。 「とびたい?」  耳元で声がこだました。ぼつりと重い雨粒が両耳を塞いでいく。ぼつぼつと雨音は強くなる。肩から体の中に雨が浸み込んでくる。全身が雨になって落ちる。 「しずく!!」  気付くと屋上の端で白眉に両肩を掴まれていた。 「おいどうした?なんかあった?」  ぼんやりと我に返りながら、白眉はどうやってここに来たんだろうと思った。白眉は険しい顔で雫の顔を覗き込んでいる。 「……ん?お前なんでここにいるの?」  後ろを振り返った。 「……あの女の子は?どこに行った?」  探しても少女の姿はどこにもない。落ちてしまったのか。 「……取りあえずいったん戻ろうか」  白眉が固い声で言って雫の肩から片方の手を離して手すりを掴んだ。雫はそれを見て思い出したようにぼんやりと片手で手すりを掴む。 「……あの女の子は?」  なおも周囲を見回す雫に白眉がいつになく強い口調で言った。 「それはいいから。もう戻ろう。ここは危ないよ」  その言葉と白眉の深刻そうな顔で、ようやくここから落ちたら死ぬのだということを思い出した。そうだ。自分は雨の粒となって側溝に落ちる訳ではない。死ぬのだ。  人の死ぬ様は惨たらしい。さらさらと流れていく雨粒たちとは違う。  自分はともかくとして白眉にはそのような姿にはなって欲しくなかった。気づけば雫の肩を押さえる白眉の手は微かに震えていた。顔を見上げるといつも白い顔が蒼白に見える。 「……戻ろうか」  雫はなんとなくがっかりとしながらその台詞を言った。あの女の子がどこに行ったのか。本当に居たのか、何が言いたかったのか、知りたかったのだけれど。  白眉を道連れにする訳にはいかない。白眉は戻る道をひどく不器用にようやくといった調子で進んでいく。その姿を見て雫は白眉にすまないと思った。  * 「あーひっどい目にあった」  ロッカーにあったジャージに着替え、タオルで頭を拭きながら白眉は唇を尖らせた。 「悪かったよ。ごめんって」  同じくジャージに着替えた雫が首からタオルを下げながらもう何度目かになる謝罪を口にする。  逃げ帰った教室にはもう誰も居なかったが電灯の明かりが皓々とついて明るい。とっくに下校時間は過ぎており見回りの先生に見つかる危険性はあったが暗くしているよりはましだった。  結局白眉には雫が屋上で見た女の子のすべてが見えて居なかったらしい。いや、女の子は雫だけが見た幻だったと言うべきか。  とにかく屋上の外周を周る途中で雫は急にぼんやりして動かなくなってしまい、柵の内側から白眉が呼べど叫べど反応しなくなったらしい。仕方なく外に出てきた白眉が雫の両肩を掴んでようやく雫がこちら側に帰って来たという訳だ。 「もーっやだ。こういう危ないのはやだ。絶対やらないから」  白眉はぷんぷんと怒っている。雫はもう少しならやってもいいかなと思っている本音を飲み込んで言った。 「もうこういうのはやらないから。危ないのはないから」  いざとなれば危なそうなのは自分一人でやればいい。 「雫ひとりでやる気でしょ」  そう思っていた本音を見抜かれた。ぐっと言葉に詰まって視線を逸らした。 「それはだめだから。絶対だめだから。いきなり雫が変死体で発見されたりしたら俺は一生後悔するからね!」  怒られてしまった。白眉との付き合いはせいぜい一年くらいだ。そのくらいの付き合いのやつが死んで一生後悔するのは大概いいやつのような気がする。 「わかったよ。危ない事する時はお前に相談する」  白眉はなにやら悲しそうな顔をした。 「やらないのが一番いいんだよ」  でも時にはやらないと分からないような気がする。向こう側のこと。日常の向こう側にあるあちらの世界のことを雫はどうしても知りたかった。  その思いを口にしようとして、やめて。結局全然違うことを雫は言った。 「帰りラーメン食ってくか?奢るよ」  どうせ二人とも親は帰りが遅い。夕食は二人でとる事が多い。白眉はラーメンと聞いて少し表情を緩めた。 「……餃子と半チャーハンつけていい?」 「おう。野菜ましましで」 「……じゃあ許す」 「オッケー決まり。じゃあ行くか」  もう外は暗くなっている。そろそろ見回りの職員が来る頃だ。二人はばたばたと荷物を纏めると暗くなった廊下に出た。  雫は振り返って教室の明かりを落とした。真っ暗になった教室の隅にあの女の子が立っているような気がした。 「雫ー行くよ-」  呼びかけられて我に返って。先を行く白眉の後を、雫は小走りに追った。
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