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それは大学からの帰り道でのことだった。
男が私の前に来て声をかけてきた。
「久しぶりだね」
私と同じくらいの歳の男だ。
知らない男だと思った。
ナンパのように声をかけてくるのはよくあることだった。
「俺だよ、タカシだよ」
タカシ…
もう一度男の顔を見てみる。
そういえばどこかで会ったことがあるような気もしてきた。
「三中のミヤベタカシ。おまえからラブレターもらった男」
その台詞を聞いて私の胸に何かが突き刺さった。背中が震えてくる。
第三中学で同級生だった宮部孝。
私の初恋の人だった宮部孝。
私が生まれて初めてラブレターを渡した男である宮部孝。
目の前にいる男は確かに言われてみれば孝の面影がなくもない。でも違うのだ。ニセモノなのだ。
なぜかといえば、宮部孝はもうこの世にいないからだ。
ラブレターを渡した翌日、学校の帰り、ひとりで歩く私を見つけ孝が手を振った。
忘れられない、その時の表情。
嬉しそうな照れたようななんともいえないその表情。
孝は私を追いかけるように走ってきて、そして車に撥ねられた。無免許の少年が暴走していた自動車。即死だった。
なぜだろう、私はその後のことをほとんど覚えていない。ただ、涙も出さずじっと立っていた。それだけは覚えている。
「嘘はダメよ。孝は事故で死んだんだから」
「わかってるさ。俺は死んだのさ」
この男はいったい何を言っているんだろうと怖くなった。
「確かに俺は車に撥ねられて死んだよ。でも撥ねられて死んだのは俺だけじゃなかった。おまえもさ」
「私が?」
この私が車に撥ねられた?
「俺のところに車が突っ込んでくるのを見て、反射的に助けようとしてくれたんだ。そしてふたりとも撥ねられて即死さ」
そんなわけはない。
ありえないことだ。だって私はこうして生きているではないか。冗談だとしても悪質すぎる。
「バカなこと言わないで…」
そうよ、私が死んでいるなんて…
全身から血の気が引くようだ。
冷たくなった手を見ると透き通って見える気がした。まわりの建物、すれ違う人たちが霞んで見えてきた。
今ここにいる私もまたニセモノなのだろうか。
怖くなった私は逃げるように走り出した。
宮部孝と名乗る男は追ってくることはなかった。
その日から孝には会わなくなった。
そのかわり私は今、何年も前に亡くなったはずの祖父や祖母たちと一緒に暮らしている。
THE END
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