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家屋はお菓子でできていた。
色鮮やかなアイシングクッキーの屋根にウエハースの壁。扉と窓枠はチョコレート、硝子の代わりには飴が嵌め込まれている。
「靴はここで脱いで箱の中へ、可能なら上着や武器もここに掛けてください。室内は繊細な造りになっているので、お客様に対して注文が多く申し訳ないのですが何卒ご承知ください」
玄関先で畏まったように語りながら、イリスは靴を箱に入れて壁の上着掛けを指差す。俺達も少女に続いて靴箱に履物を預ける。少し迷ったが防御魔法が付与された外套も脱いで、剣を壁に立て掛けておく。イリスが規格外の武装解除魔法を有している以上、武器を持っていても無意味だろうと他の三人と密かに相談した結果だ。手元に武器がなくても俺には取っておきがあるので大丈夫。
土足厳禁なのでと言われた騎士団長は靴下を脱ぎ、とうとう毛布のみ羽織った姿になる。薄く伸ばした綿飴みたいな白い布に包まれて、生まれたての赤子を想起させる格好だった。
香ばしいビスケットでできたドアが開かれて、俺達は可愛らしい装飾が目立つ部屋に通された。室内は爽やかな果実の匂いが仄甘く立ち込めている。
「皆様こちらへお座りください」
マシュマロで作られた椅子とバウムクーヘンの机があった。椅子は均等な距離を保って五芒星の頂点のような配置。先に少女が腰掛けて俺達も座る。騎士団長は始め直に尻を降ろすのを躊躇っていた。察したイリスが薄い布を座面に敷く。生成色のそれが俺にはクレープ生地のようにも見えた。
「上着を脱いで頂きましたが、もしも寒い時は教えてください。掛布はまだありますから」
「一枚欲しいです」
「ではこちらも」
治癒士と賢者が挙手する。
手触りが気になったのだろうか。受け取るなりすべすべの表面を指や掌でなぞる。肩にかけてみた治癒士の呟きを聞くに薄いのに暖かいらしい。賢者は無言で布を纏いほっこりしていた。ほんのりバニラっぽい香りがする。
「お茶をどうぞ一杯飲んでくださいませ。リラックス効果のあるハーブティーです。物足りなければワインはいかがでしょう?」
琥珀色の茶が入ったティーカップが現れ、続けてワイングラスが出現。それぞれ五人分用意されていた。
赤い葡萄酒の瓶を抱いて少女が微笑む。元より酒好きの騎士団長は醜態を忘れたいのもあるのか即座にワインを所望した。賢者と治癒士はハーブティーに口を付ける。どれもこっそり毒性がないことは確かめてあった。
俺もとりあえずグラスを手にする。
「さて……巻き込んでしまったからには包み隠さず、わたし達の事情についてお話しましょう。長くなるかもしれませんが、どうか聞き流してください」
女の子は葡萄酒が注がれたグラスを手に取り、写し取ったような深紫の瞳で俺達を見回した。
「今のところ人族には知られていないようですが、実は先代魔王サーチアンドデストロイが失踪したのです。勇者が存在している以上、魔王の存在は不可欠なので急遽新たな魔王が必要となりまして……恥ずかしながら現在、魔族社会は魔王の後継を決める為に揉めているんですよ」
一息吐いて、少女は葡萄色の液体をこくこくと飲み下す。まるで可能なら話したくない内容を酒の勢いで後押しするみたいに。
色気を増して蠢く白い喉元に誘われたか、向かいに座していた騎士団長も釣られるようにぐいぐい酒を煽る。そんなペースで大丈夫か?
団長の飲みっぷりを面白そうに見やって、少女はほんのり血色を強めた唇を再び開く。
「元の魔王を推していた者達は血の繋がっている実子を新たな魔王にと推薦し、以前から反目していた血気盛んな連中は実力主義を主張して……高位の魔物同士で殺し合い勝者を魔王とすべきなんて無茶苦茶な戯言を仰るのです」
淡々と語りながらも少女は苦味を耐えるように顔を顰めていた。伏し目がちになると睫毛の長さが際立つ。うっかり見蕩れそうになり、俺はちらりと二人の仲間に視線を送る。
ハーブティーをいつの間にか飲み干した治癒士と賢者は複雑な顔をしていた。治癒士は魔物に故郷の村ごと家族を奪われた過去があって、賢者は爵位持ちの高位魔族との戦闘時に数多くの部下を殺された経緯があり魔王討伐に志願したらしい。魔族なんかいっそ潰し合って滅びてしまえ、なんて考えたとしても口には出せないだろうが。
「実子とはいえ正式な継承もないまま新魔王とすることに納得できない気持ちはわかります。他を圧倒する実力が要ることも理解しています。しかしながら年々人類の侵略により魔族の数が減少している中、バトルロイヤルなんて有り得ないでしょう?貴族らしからぬ浅慮と暴虐は何としても止めるべきなのです」
「正直に言うと、個人的には魔族同士で勝手にしてくれとしか思えないな」
「素直なお言葉ありがとうございます」
偽りない俺の言葉に少女はくすりと笑った。
魔王とか自称していなければ口説いてるのに。
翡翠色に変わった双眸が金の髪に映えていた。
「他の皆様もきっと、魔物が蠱毒の如く殺し合うのは人間にとって僥倖だとお考えでしょう?しかしながら魔王の座の争奪戦を契機に魔族が壊滅したとして、人間界に平和は訪れることは有り得ません。魔族が絶えても人類が滅びても、何方かが潰えれば残った側は同族同士でくだらない縄張り争いを繰り広げるでしょう。ならば人間と魔物で程よく戦争遊戯を続けた方がまだ有意義というのが先代魔王のお考えでした」
「……まあ、わからなくもない。俺みたいな金で動く雇われ傭兵としても、敵が同種族よりは恐ろしい別種族の方が気分的に楽だ」
人の形をした敵を殺めるというのは、慣れはしても後味が良くなるなんてことはない。快楽殺人者でも戦闘狂でもないからな。できれば手にかけたくない、って人間の女の子にしか見えない容姿を眺めて熟々思う。魔力測定器の故障も魔王城のある場所だから異常が起きただけと信じたい。
相手はこちらの内心を知ってか知らずか警戒心のない無垢な顔をしている。葡萄酒を飲み切った少女は次に冷めたハーブティーを啜ってから、穏やかに凪いだ声で紡ぐ。
「より非合理的で不毛な争いを避ける為に、わたし達は勇者を殺したという既成事実をもって新魔王として認められたいのです。ここだけの話、人間と魔族の均衡を保つ為にというのは建前なんですけどね。わたしは単純に癒しをくれる魔獣達の平穏を守りたいだけなのですが……個人的には誰も殺したくなんてありません」
窓の外に視線をやって少女は物憂げな溜息を一つ。
ふと気付いた。いくら女慣れしていない人見知りにしたって俺以外の奴ら口数少な過ぎないか?
「時間稼ぎの長話にお付き合い頂きありがとうございました。そろそろ効いてきたみたいですね」
虹色に煌めく瞳が俺達を順番に見据える。
酒精に溺れて眠り込んだ騎士団長を、何やら様子のおかしい賢者と治癒士を、最後に素面の俺に目を止めると少女は唇で三日月を描いた。優雅な仕草でティーカップを軽く持ち上げ、琥珀色の水面を揺らしてみせる。熱っぽい色をした賢者と治癒士の顔を真似たような薔薇色の瞳が煌めく。
「初めに贈ったルビーチョコレートは、このハーブティーと胃の中で混ざり合うことにより媚薬に似た効果を発揮するんです。そしてこちらの葡萄酒は甘やかで薄味ながら酒精の度数は極めて高い代物でして、常人なら少量の摂取でもいとも容易く酩酊に陥ってしまいます」
「無邪気な顔して随分な悪戯をしてくれるじゃないか。子供のお巫山戯じゃ済まされないぞ」
「悪戯はあなたの」
何か言いかけて、小首を傾げる。
怪訝そうに見返せば瞳に黄色が滲み出た。
そこはかとなく硬くなった微笑を俺に向け、少女は焦れたような調子で甘えた声を放つ。
「わたしが言うべきことは全て語りました。あなたも隠すのはそろそろ飽きた頃でしょう?茶番も終盤ですし、もう中身を明かしてもよいのでは?」
「……へえ?どうして気付いたんだ?俺が体内に色々と仕込んでるって」
俺は袖を捲り左腕の内側から短剣を取り出す。
見透かしたような物言いをした少女は目を瞠った。
当惑に揺れる瞳が緋色に収束し唇が微かに震える。
「死にたくなければ許可なく喋るな」
バウムクーヘンのテーブルに飛び乗り少女の喉元に切っ先を突き付ける。意味不明な魔法さえなければ子供も同然だし、魔法陣や呪符を使わず詠唱で済ますタイプなら口を封じれば無力化できる。
怯えた目線がちらりと窓に移った。
「あ、カーテンないのか。飴の窓でも魔獣の視力なら見えたりする?まあ助けに来るなら獣共から殺して」
「水飴の刃で何を殺すって?」
背後から聞き慣れた低音と威圧感。
少女を脅かす刀身がどろりと溶けたように流れ落ちる。テーブルに滴った無色透明は確かに水飴のようだった。
使い物にならなくなった武器を捨て、腕から新たに旋棍を引き抜く。酒瓶による打撃を間一髪、振り向き様に受け止める。俺は白い布を羽織る裸の男に笑いかけた。
「危ないな。酔っ払ってんすか?団長」
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