魔王城がふわふわのパンケーキな件

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「勇者様って呼べばいいのに。敬意とかないの?」 「魔王を倒すまでは勇者と呼ぶなと団長本人が言ったんだよ。お粗末な偽物だな」 言いながら力を込めて押し退ける、寸前で騎士団長の姿をした何かは自ら後方に跳んだ。戯けるようにくるくると軽やかな宙返りを決めて着地。白い布の下は全裸なので危ういものがあった。 「あっそ、勘違いして悪かったね。人格や記憶まで把握できないし興味もなくってさ」 「……操っているのか成り代わったのか知らんが団長を返せ。大事な雇い主なんだ」 「んなことより後ろに注意したら?」 背筋が凍るような感覚。 後方で沸き立ったのは殺気ではなく純粋な怒気。 咄嗟にその場から離れる。横目に確認すれば少女の大きな瞳を暗く重い色が侵食していた。怒った顔も綺麗だ。魔女の如き妖艶な迫力に息を飲む。 「吐き出して――暗黒砂漠(ブラックデザート)――」 少女の陰影が色濃く浮かび上がり漆黒の流砂となって爆発的に拡散。二股に分かれて俺と偽物の団長を狙う。 愉快そうな顔をした偽団長は抵抗することもなく捕縛される。俺は球状の結界を張ったものの秒で破壊されて黒砂の帯に拘束された。 「酷いですよ兄様!出てくるの遅いですしまさか其方だったなんて……わたし勘違いしちゃって、恥ずかしいじゃないですかもう」 「悪ぃ悪ぃ。無事なんだから許してよ」 黒い眼差しに射られても偽物の団長は飄々としていた。 「にしても怖い目にあえば少しは人間を警戒したり、殺す気になったりもするかと思ったんだが全然ダメだな。自分に凶器を向けた相手に対して手加減し過ぎ。本当にイリスは甘ったるいんだから」 偽団長がにやにやと笑いながら俺を見る。 「さっきから何なんだ?兄様とか意味わかんねえし」 「わかりやすく自己紹介が必要かい?名前はまだない、なんてね。呼んでいいのは身内だけだから教えない……ま、トリックアンドトリートの悪戯(トリック)担当で甘々なイリスにとっては双子の兄みたいなモノだ」 双子の兄とか騎士団長の姿で言われると違和感しかない。少女の紫黒の双眸と悪戯っぽい笑みがこっちを見る。 「媚薬を盛ったり酒で酔わせたりというのは兄様のご指示なんですよ。確実に成果を得る為、パーティ内で影響力を持つ勇者様に憑依してわたしを助けてくれる手筈になっていたのです」 「だがしかし、本当の勇者はこの騎士団長なのにアンタが目立つせいで勘違いしてたワケ。お陰様で転移がギリギリになっちまった」 偽の団長は笑いながら軽く体を揺すり、暗黒の束縛を振り解いて床に着地した。団長の裸体が露わになり慌てて白い布を羽織り直すと、苦笑いしながら少女に近付く。 「人の姿で全裸ってのは落ち着かないもんだな。イリス、体を預けてくれるかな?甘い接待(トリート)はもう充分だろ?」 「もちろん構いませんけど、わたしが眠るとあの人を抑えている暗黒砂漠(ブラックデザート)は解除されてしまいますよ?」 横目で俺を見た少女の頬を偽団長の手が撫でる。 「問題ない。あんな奴どうとでもなるさ」 「ではどうぞ、おかえりください」 騎士のように跪いて少女と目線を合わせていた。 本人にしか視認できない何かが乗り移る。 意識を失ったのか騎士団長が力なく項垂れた。 少女の自意識も沈み、俺を縛る黒い砂が霧散する。 解放された俺は着地と同時に開けた胸元から短槍を掴み出す。前方では棒立ちの少女がこちらを振り向き薄ら笑いを浮かべた。 「……舐めやがって」 柄を硬く握り締め、魔力で強化した脚力で踏み込む。 瞬時に接近し胸元へ短槍を突き出す。 ドレスの空色が突如として肌色に変わる。 手に伝わる肉を穿った確かな感触。 それは鍛えられた筋肉を貫く違和感で。 「なっ、団長!?」 俺と少女の合間に騎士団長の裸身が割り込んでいた。 脇腹を穿たれた団長が無表情で槍を引き抜く。 飛散した血飛沫と赤黒く開いた傷につい注意が向いた。視界の端で騎士団長の二の腕に力が込められる。槍が掴み上げられやばいと思った瞬間、俺は力任せに床へと叩き付けられた。 「……痛くない」 床にめり込んでるのに苦痛は全くなかった。 柔らかなクッションに受け止められたような感覚だ。 「床はパンだけど今はその辺だけスフレにしてある。お菓子の家はオレの閉鎖領域だから作り変えるのも自由自在なのさ」 鮮血を流す団長の隣に並び立った少女が俺を見下し、腰に片手を当てて気怠い様子で口を開く。 「アンタにはお願いしたいことがあるんで無駄に怪我されたくないワケ。頼むから大人しくしてくんないかな?」 それが本来の姿なのか、髪と同じ金色の猫耳と尻尾がごく自然に生えていた。銀河を閉じ込めたような不思議な色の瞳に見蕩れていると少女が笑いかけてくる。 「ああ、団長(これ)が気になる?どうせ仕掛けてくると思ったからオレを守るよう催眠を施しておいた。勇者様の精神も微睡んでいる間は赤子同然だね」 「いや、俺が気にしてたのは別の」 少女の隣でいきなり団長が吐血して膝を着いた。 青ざめた顔は苦悶に歪んでいる。観ている間にも急速に呼吸は浅く、脈拍は弱くなっていく。 「なんで死にかけてんの?別に致命傷じゃないのに」 死を濃厚に匂わせる団長を眺めて少女は不思議そうにしている。しかし助ける気はなさそうだ。 気が逸れた隙にと俺は上体を起こした。手を着いたら床に埋まってしまい少し驚く。スフレにしたって異様な柔らかさだ。立ち上がるのは諦めて座り込んだまま種明かしする。 「この槍には即効性の致死毒が仕込んであるんだ。人間にも魔物にも効く蠱毒の呪詛がな。高位の魔族でも掠めただけで死に至るが解毒剤は」 「あははっ!そりゃあ好都合だ。おねだりする手間が省けたよ」 嬉しそうに嗤う少女の様子に不快な推測が過る。 「……まさか俺に団長を殺させるつもりだったのか?」 「正解。勇者様を殺してくれてありがとよ、なんてね。自分でやるの面倒臭くてさ」 瀕死の団長に興味をなくしたように、少女は無警戒にすたすたと俺に歩み寄る。眼前で止まり躊躇いなくしゃがみ込んだ。 「ご褒美に真実を語ってあげよう」 金の体毛がふさふさと生えた尻尾が鼻先を擽る。 「先代魔王と人間の女性の間に産まれたトリックアンドトリートは歪な双子で、二人でようやく一人前なんだ。イリスは人の要素を強く受け継いでいる。対してオレが生まれつき得たものは父である魔王の膨大な魔力と、母親に取り憑いていた化け猫の呪いだ。ご覧の通り半端な見てくれだろ?こんな恥ずかしい格好が嫌だからオレはあんま表舞台には立てないんだ」 苛立つように猫の尾が揺れ動く。これ以上はくしゃみが出そうなのでさりげなく手で毛並みの良い尻尾を遮る。触れてみると思いの外ふわふわしていた。自然と撫でているうちに言葉が零れる。 「俺は可愛いと思うけど」 「はぁ?無理に褒めなくていいよ」 「別にお世辞ではないんだが」 「……人の感覚ってのはわかんないな」 尻尾がするりと逃げていく。立ち上がった少女がバウムクーヘンのテーブルに腰掛ける。見せ付けるように足を組んで意味深に笑う。 「話を戻そうか。イリスの方は甘いから人間も魔物も傷付けられない。オレは魔物なら殺せるんだけど……人の命を奪おうとするとこうなっちゃう」 少女が指を鳴らす。直後、悲鳴が二つ降り注いだ。 今までそれどころじゃなくて気にかけてやれなかった賢者と治癒士の声だった。俺は音の出処を見上げる。二人はどうしてか天井に張り付いていた。 「ほら、この始末。信じられないだろうがオレは今、二人の全身をマシュマロで包み込んで窒息死させてやろうとしたんだ。なのに現状はあの有様」 生成色の薄布で簀巻きにされた状態で、二人は天井から垂れ下がる伽羅色の粘着質な何かに絡め取られていた。忌々しそうに仰ぎ見ていた少女の手に色とりどりの飴のナイフが七本現れる。七色のナイフが二人に向けて素早く投擲された。伽羅色の粘液は見かけによらない速度で回避し、引き波となって天井裏に引っ込む。 賢者と治癒士を飲み込んだまま。 「こうやって執拗に殺そうとすればお菓子が勝手に獲物を喰っちまう。取り込まれた奴等はすぐに分解吸収されて後には欠片も残らない。だからアンタに勇者様を殺してもらいたかったワケ。結果的に殺せたとしても証拠がないんじゃ信じてもらえないからね。先代魔王みたいに」 少女はあっさりと重大な事実を明かした。 「元の魔王は君が殺したのか?」 「そうだよ。オレ達のこと無能とか言って公爵級とはいえ糞キモい魔族に嫁がせようとしたから、ブチ切れて魔王城ごと飲み込まれちまった。あのパンケーキの塔は墓標なのさ。ま、イリス本人は知らない真実だ。生キャラメルで溺死したくなければ黙っててね」 ふわふわのパンケーキは魔王の墓だったらしい。 少女がテーブルから軽やかに降りる。何と言ったらいいのか悩んでいる俺を見つめて可愛らしく小首を傾げた。 「さて、勇者殺しの傭兵さん?オレの腹の内は明かしたけどアンタはどうする?選択肢は限られてるけどね。さっきの二人みたいにお菓子に侵され面白可笑しく死ぬか、オレ達と契約して五匹目の愛玩動物(ペット)として生きるか。どっちを選ぶ?」 「酷い二択だな。明かされてもこっちはお先真っ暗なんだが。腹の中に閉じ込めておいて端から選ばせる気もないんだろ?」 少女が悪戯っぽく微笑む。 宇宙色の眼差しが俺を上から観ていた。 「世間知らずなイリスの社会勉強の為にも人の実物を一匹は傍に置いておきたかったんだ。人間こそがこの世で最も恐ろしく狡猾で気色の悪い獣なんだから、ちゃんと学習させておく必要がある」 「……気色悪い獣か、違いない」 実際、俺自身がそうだ。 勇者パーティの一員ってことで外面だけ取り繕ってきたけど、所詮は生き汚く醜悪で嘘吐きな動物の一人だ。自分が助かるなら仲間の仇なんてどうでもいいし、魔王だろうが報酬をくれるなら雇われてやってもいい。 そもそも態とでないとはいえ騎士団長を殺めてしまった以上、国に帰ったところで明るい未来はないだろう。槍を止められなかった時点で俺の人生は終わったも同然だった。 「ま、生きるか死ぬかなんて悩むことないだろうけど。人も魔物も自分の命が大切なのは同じだろうし」 奇妙な色の眼が合わせ鏡のように俺を映している。 「そうだな、答えなんて一つしかない。君に従うよ」 「決まりだね。契りを交わせばアンタはもう色から識までオレのもの。ここから先は(それ)らしく猫を被ってあげましょう」 晴れやかな空色がふわりと舞い落ちる。 新しい雇い主がシフォンのドレスを脱ぎ捨てた。猫のように足音なく忍び寄ると、しなやかな色白の裸身を添わせてくる。間近で渦巻く星空みたいな瞳に覗き込まれて、深淵に吸い込まれそうな錯覚を抱いた。少女の温度を孕んだ尻尾が優しげに纏わり憑いてくる。軽薄にスフレの床に押し倒されて、艷めく金の髪先が頬に触れた。薔薇色の唇が三日月の微笑を浮かべる。 怪しく光る双眸に夜の色が滲み出す。 「わたしに夢を預けて――混濁指揮(コンダクター)――」 抗えない眠気が俺を満たした。心地好い微睡みの中、パーティを組んでいた連中をふと思い出す。単なる仕事仲間だった。間違っても愛着なんて抱かないように役職で呼んできたんだ。賢者と治癒士なんか初めの頃は俺を平民と見下してきたしな。騎士団長もなんか隙だらけで抜けてるし。旅の道中ずっと俺は使えないお貴族様のお守りをして、進んでやりたがらない交渉とか雑用を引き受けてきた。散々腹立つ言動も不甲斐ない側面も互いに見過ごしてきたから、敢えて最後は危険を見逃し陥れてやったんだ。振り返ってみれはそんなに悪くなかった旅だから、喜劇みたいに終わらせてしまえばいいなんて。 特に騎士団長は鬱陶しい奴だった。誰にでも優しい人柄は美徳なんだろうがそのせいで信用できない。一緒にいて安心できたことはなかった。胡散臭い聖女様の予言なんか信じて益々善人気取りになるから気分悪くなるんだ。どうだっていいけど。全然立場の違う俺には関係ないし。才能にも血筋にも恵まれた勇者様に呪詛の毒で穢れた槍を突き刺した時はスカッとしたさ。寸止めしようと思えばできた筈なのに。手に入らないなら自ら殺し手放してしまえなんて内心の欲が勢い付かせた。約束された金貨より重くなってしまったから、俺はきっと望んで喪ったんだ。 甘やかしてきたようで今まで甘えていたのは自分だ。鏡写しの醜悪さから逃げるように正反対なものに視線を注いできた。名状し難いグロテスクな怪物はずっと近くにいたのに、誰も言及しないから目を逸らしていた。積み重ねた全てが嘘だったらなんて願うのも罪だろうから、魔性に魅入られて滑稽な獣に堕ちてしまうのが正しい報いだ。 無意識の底闇に繋がれば貌のない母の像が視えて、覚えのない子守歌が聴こえた。開かれた絵本は何度も繰り返されてきた英雄譚。魔王を名乗る何かはパンケーキに置換された骨肉の内側で葡萄酒の血を巡らせる。どうせ悪い夢だ。覚める必要は別にないな。
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