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クソみてぇな飲み会だった。軽音サークルの文化祭公演お疲れさま会で、会場は鳥貴族だった。右隣の男はしきりに「焼鳥は塩しか勝たんだろ」と高唱していて、左隣の女は後輩がカルーアミルクを注文したことを延々とからかい続けていた。演奏中のバンドのミスを嘲り笑って見ていた奴らが、そのミスっていた張本人に、「今日けっこう声出てたねー」とかへらへらしながら言ってるのも腹立たしい。馴れ合いのために嘘をつく奴がロックを名乗るなよ、と主張しようと思ったが、あまりにも両隣がうるさいので、仕方なくほろ苦いレモンサワーで言葉を喉に流し込んだ。前の席には島村という俺と同じバンドのベーシストの男が座っていて、いやらしく頬を持ち上げて、ぎゅっと歪んだ俺の顔をじろじろ見つめている。
もはやなんのために酒を飲んでいるのか分からなかったが、「二次会行くひと~」と叫ぶ声にふらふらと近寄っていった。大人数だと安く済むからと、なぜかレンタカー屋が運営しているカラオケが、二次会の会場となった。
三部屋に分かれて、自己顕示欲の強い選曲のひけらかし合いが始まった。そのうちひと部屋には睡魔に負けた人たちが死体のように転がっている。最近サークル内で恋愛トラブルを起こした女が、死体の山の真ん中で、元カノのことしか歌わない最近売れてるスリーピースバンドの曲を流して、マイクは持っているのに歌いもせずにMVを見つめている。「うっわやべぇ空間」と、焼鳥は塩しか勝たない男が、扉の窓から部屋の中を覗いて笑うのを、喫煙所への道中で見かけた。この男こそが恋愛トラブルの原因(この男がカルーアミルクを馬鹿にしていた女と密かに付き合っている噂がサークル内で広まった)だと、この男自身は気付いていないのだから皮肉である。
既に終電はなくなっているので、市外から大学に通っている俺は、この牢獄のような空間から抜け出しても逃げ込める場所といえば喫煙所かせいぜい近くのファミリーマートくらいだった。
「今日の演奏、ゴミカスだったなぁ。特にお前な」
喫煙所には先に島村がいて、開口一番そう言ってきた。
「先にミスったのはサポっちだろ」
と、ドラム担当の愛称を出す。どのバンドにも所属せずにサポートばっかりやってるから『サポっち』だ。サポートメンバーが真っ先にミスすんなよ、と内心で毒づきながら、俺の手元は乱れていった。
「お前、協調性がドカスなんだよ。俺が一所懸命にサポっちのミスをケアしようとしてんのに、ミスった奴が全部悪いみたいな顔して突っ走るからさぁ。俺らプロ並みの技術があるわけじゃないんだし、ていうかプロならよけい助け合うだら」
「あーはいはい。ほんとおもんないわ。ロックってもっと衝動的なもんかと思ってたのに、バンドも演奏もめちゃくちゃ理性的でシステマチックじゃん。ロックなんて協調性がないはぐれ者がやるもんだと思ってたわ」
「どこ行ったって結局、人が複数いて社会があんだよ。しゃあないじゃん、それは。お前の理想を叶えるなら、山にでもこもってシンガーソングライターになるしかないら」
島村とは考え方は合わなかったけど、不思議とウマが合った。サークルに馴染めないでいた俺をバンドに誘ってくれたのも島村だ。「抜け出しちゃおっか」と島村が言う。「きしょ。女に言われたかったわ」と返しながら、ふたりともたばこの火を消してカラオケを出た。女とならホテルにでも行けばよかったが、島村とではあてもない。ファミリーマートで缶チューハイ数本とつまみを買って、飲みながらだらだらと歩いた。別に会話が弾むわけでもない。でも苦痛な時間ではなかった。
十分ほどさまようと公園を見つけた。ブランコに向かう俺を「酒飲んでブランコなんて酔うだら」と島村が止める。俺たちはアスレチックに腰かけた。こういう時って男同士だと何を話すのが定石なのだろう。話題が見つからないと俺はすぐに黙ってしまう。考えに考えて出た言葉が「クソみてぇな飲み会だったな」だった。
「自分らしさってなんだろうみたいな歌でコピバンしてた奴がカルーアミルク飲んでるの否定するの、いろいろ考えさせられたよなぁ」
「考えさせられたってなんだよ」
「ほら結局アーティストのメッセージって微塵も伝わってねぇんだなってさ。悲しいよな。そらラブアンドピースな音楽がどれだけ生み出されても、この世から傷つく人間はいなくならないわけだ」
「そんなデカいことまで考えとらんけど」
「まぁこうして他人の悪口くらいでしか盛り上がれない俺らもかなり終わってるけどな」
「言えてら」
俺と島村は同時に缶を持ち上げる。彼の言うとおりだった。しんみりとした空気が流れそうになって、「やっぱダメだよな悪口は。好きな音楽の話でもするか」と提案してみる。
「別にいいだら。陰口は陰にあるうちはただのひとつの話題だと思うわ。まあでも陰口を言うからには、他人に言われても文句言えんわな」
「あいつら黙って抜け出して今ごろ抱き合ってるぞ、とか言われてるかもな」
「それ、事実にしちゃう?」
「やめろよ。気色悪い」
「わーそれ、LだかGだかよく知らんけど、同性同士の恋愛を否定すんのって古くさーい。ロックじゃねぇよ」
「だったらさ、きしょいと思う人を否定するのもロックじゃないだろ」
島村は「言えてら」と言って吹き出した。結局、悪口や愚痴をこぼすだけで、なにも建設的じゃない時間が無意味に夜に消えていった。誰それがロックじゃないとか言ってゲラゲラ笑いながらも、近隣住民の迷惑にならないように声を抑えている俺たちはきっと全然ロックではなかった。終電や面倒くさい人間関係に縛られて肩身が狭くなった公園に、白んできた夜空が色をつけていく。口寂しくなって、俺たちはまたふらふらとコンビニを探した。小腹も空いている。なにかしょっぱいものが食べたかった。
「揚げものは重いし肉まんっしょ」
と、意気込んで店に入った島村が、朝早すぎて中華まんが仕込み中だったことに肩を落とした。
「昨日さんざん酒飲んだし味噌汁がいいわ」
と、ため息をつく島村を嘲っていた俺も、まだ熱湯が用意されていないことに気付いて落胆した。
なにもうまくいかない。
レジに向かう島村が缶チューハイを二本持っていた。「まだ飲むのかよ」と呆れるが、どうやら一本は俺のものらしい。
「焼鳥食うなら酒飲まんといかんって法律で決まっとる。ロックじゃねえ俺らはきちんと真面目に法律守らんと」
「焼鳥食うのかよ。昨日さんざん食ったじゃんか」
島村はタレのももとかわを二本ずつ注文した。
「塩しか勝たんらしいぞ」
「俺は負け確の奴の味方をするよ」
それにほら、と島村が焼鳥と缶チューハイを俺に手渡してから、夜空の黒い膜を捲り始めている橙色を指さした。
「朝焼けだな。やっとしょうもない夜が明けるってもんだ」
「かわたれ時だし、かわのタレを食おうや」
「かわたれ時ってなんだよ」
「まだ薄暗くて行き会う人が誰なのか判別できん時間のことだよ。お前知らんのかよ。彼は誰、ってなるから、かわたれ時な。なぁ、お前は誰?」
島村が今度は俺を指さす。
ふたつのプルタブの音が鳴って、乾きだした空気をほんの少しだけ揺らした。缶を握る手のひらが冷たくて、ぶるっと震える。急に寒くなった。こうなれば、あっという間に年末まで時間が過ぎていく。嫌にでも一年間を振り返らせられる時間がやってくる。なんのために大学に通ってギターを弾いてクソみてぇな飲み会に参加しているのか考えさせられる時間だ。チューハイを喉に通すと、昨日から微かに残る頭痛がぐわんと酷くなる。腰のあたりが痛みを思い出した。
俺って誰なのだろう。
はぁ。
と、俺と島村は同時にため息をついた。ため息なんかついても何も変わらない。気分は少しもよくならないし、自分の呼気の酒くささに嫌気がさすだけだった。最低な朝だと思った。でもやはり悪い気はしなかった。
「なんかさ、一日で一番ため息が似合う空の色じゃん」
島村の言葉を合図に焼鳥を頬張った。きっとタレでも塩でもどっちにしろ美味かったに違いない。一度顔を出せば太陽はすごいはやさで空の青さを見せつけてくる。またいつもどおりに今日がやってきた。
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